95日(火)晴れ「人間ドックそして、読書力?」

 半日の人間ドック。今まで以上に手際がよく流れ、2時間あまりですべて終わってしまった。証拠は胃の中のバリウムだけだ。左耳のふさがり感で耳鼻科の検診をうけたが、見かけ上は問題はなさそうだと・・。

 帰りにはやっぱり、御茶ノ水だから、丸善に寄ってしまう。まど・みちおさんの『いわずに おれない』(集英社be文庫、680円)が出ていた(05.12初版)。大好きなまどさんだ。買わずにはおれない。これはどこかで読んだなあ。一度、単行本で出たのでは・・・?あとがきも何もない。あたかもまどさんの書き下ろしのように見えるが、インタビューをまとめたものだ。担当は細貝さやかさんと目次の裏に小さく書いている。ほんとうにまどさんの詩が好きな編集者なのだろう。語りと詩が調和してきもちよい本だ。それだけに、聞き手(文)の名前は表紙にあっていいのではないだろうか。まどさんの生き方と詩については、阪田寛夫さんの『まどさん』(童話屋・ポケットブック)があって、これは何度読んでも深く感動。まどさんを深く敬愛し、ご自分も詩人である阪田さんでなければ書けない本だ。

 鄭大均著『在日の耐えられない軽さ』(中公新書、740円、06,8)。サブタイトル「父の歴史と私の人生」、「父は日本語小説を書いた最初の朝鮮人。のち皇道思想家となり、戦後は心の病に冒されていた」と帯にある。これは読まなくては。酒井邦嘉著『科学者という仕事~独創性はどのように生まれるか~』(中公新書、780円、06.4初版)。これは笠井英彦さんの好きそうな本。科学とはなにかを科学者の人物例によって語ろうとしているのがおもしろそう。柳 宗民著『日本の花』(ちくま新書、950円、06,3初版)筆者が好き。えらぶらない丁寧な語りが好き。四季に分け、その花の見方、由来などを解説している。こういうのをちょっとずつ開いて読み進むというのがいい。かくして、また「積読(つんどく)」が増えた。

 ドックのおかげで、齋藤孝著『読書力』(岩波新書)を読了。「読書が苦にならず日常で何気なくできる力、これが読書力である」(9p)と、筆者は書いている。「読書力があるということは、読書習慣があるということでもある」とも。その基準に「文庫100冊新書50冊」を読了していることを一つの目安としてあげる。読めば、「読書(する)力」と「読書の(もたらす)力」とを区別して展開していることがわかるのだが、タイトルはそこをあいまいにしてくくってしまった。書いていることのほとんだはまあ、同意できることで、読書を論じたものでは繰りかえし言われてきたことである。まあ、そうなんだが・・・、とはうなずきつつ、なんとなく違和感があるのはなんだろう? 読書力の高さが江戸時代寺子屋の普及を背景に国の発展を支えてきた土台である(私流にまとめれば)とか、「日本では、大量の読書が、いわば宗教による倫理教育の代わりをなしていると言える」とか、論証を抜きに通説に依拠して論を流してしまうところ。彼とその周辺の子ども時代からの読書体験の語りが私のような田舎者から見ると「恵まれた層」の人びとの「常識」ではないのか・・・、など。そして、文章が「軽い」。軽快なフットワークというのは小気味がいい。しかし、流れていってしまう。落ちつきがないというか。「書き言葉」にこだわっているが、実際はパソコン文章で育ってきて、筆圧による文章によって磨いてきた文章とはちがうからではないだろうか。そういう意味では、典型的な日本語の世代交代かもしれない。部分部分には非常にうまい「メッセージ」がある。そこはさすがだ。