昨日は、東京に来ている母と一緒に噂の「ボヘミアン・ラプソディ」を観に行ってきました。

 

 

 

 

うわーーー

泣いたわーーーしかし。

 

 

泣かせようとしてトラップみたいに演出が仕掛けられている映画には、まあ一応泣くけど泣いた後「しまったーつい反射神経で乗っかってしまった」と後悔するけど、

 

この映画で号泣したことは後悔してません。

 

って、

 

だって音楽の世界観の壮大さに、「人類」とか「愛」を感じて泣いたんだもん。

 

 

恋だ惚れただ寂しいだホッコリだなんだで泣いたんじゃないんですもの。そんなもんくだらないわ、生きるついでに暇つぶしでやるテーマです。

 

 

じゃなくて本気で「うわーすご!!!本物!!」て泣いたんだもん。

映画としても凄すぎるし実話なのがすごいわー;;;

 

そもそも私ね、日頃から大笑いしただけで涙が出るぐらい涙腺が緩いので(あ、身持ちの方は固いわよ涙腺が緩かろうが)、一時期は本気で涙腺の手術をしようかなと5秒間ぐらい思ったこともあるのですが、一生涯の大失敗と後悔しているレーシック手術に加えてそんなことしようもんなら、ドライアイ&眩しさに弱い女日本一になりそうなので絶対にしないんですけどね。

 

レーシック手術は、感受性がちょっとでも強い人なら絶対やめた方がいいというblogをいつだったか書いたけど改めて書くけど、、、

 

本当に「眩しさ」に弱くなるから、スポーツ選手じゃ無い限りやめた方がいいよ。

ホテルのラウンジで景色が見える席とか、座れないもんー!眩しくて目が開かないから。あれ以来、常に窓に背を向ける席に座ってるよ。景色がクッキリ見える視力なのに、景色が眩しくて見られないんだよ。

なんやねんな。

勇んでパイプカットしたのにその直後モテなくなるオジさんみたいな感じかなあ?あ、全然違うかな。すみません。

 

更にね、まあそれは普段、家にいる時に暗闇を愛すればいい話だからと切り替えるとしてもだよ。

もっと弊害あって。

 

コンタクトレンズを外し「何も見えない」「世界と自分を完全OFFできる瞬間」を失う人生は、マジでピキピキし過ぎて切ないのよ。

 

光って一瞬の表だから、見続けるもんじゃないんだよね。

光の裏には、その数倍の暗闇や陰があることに気づいている人には、世界全部が見えることはあまりにも情報量として処理するには凄すぎるからね。人智を超えてるから。

 

視界がぼやける。全てのものが靄がかかって見える。自分の皮膚感覚に頼らないと歩くことすらできない。世界と私を切り離し、自分の意識だけに集中できる時間・・・

 

なんなら通常、人生において5%以下しか使用することのできないと言われている自分の潜在意識の95%のその先に発掘に向かい合える時間・・・というね、

 

究極の「視力0.01の世界」を知っている人間がいきなり「視力1.5とか2.0」の何もかも見えまくる世界を突きつけられたら、視力以外の感覚が超敏感になっちゃって、生き辛くなるのよ。

 

現に私は今、もともと耳がめっちゃ良いのでちょっとした音もドレミファソレシドの組み合わせのどれかに聞こえるぐらいだったから、音に苦しんでいるもの。例えば机を自分の指で叩いた音が、ピアノの鍵盤のどこの音の組みわせか?とかいちいち考えちゃうんだよ。「見えない」が解消しちゃったらその次って、絶対出てくるんだよねえ。新たな試練が。見えなきゃそっちが主な悩みだったのに!見えるからこそ今度は、音声が鍵盤のどれかに聞こえてくる悩みですよ。「聞こえる」だよ。目と耳、どっちが脳に近いのかなあ。

 

 

例:視力0.01の世界↓

 

 

 

 

うは快適。

 

 

なんとなくわかるけどボヤける世界。

人の生き様とは結局、これで良いのです。

なんの必要があって世界の全部を知る必要があるのでしょう。

ほんのちょっと、またはあんまり見えないぐらいが絶対にちょうどいいのです。

 

世の中って、見えなくていいものや見なくていいものの方が遥かに多数に多いのです。

超神経質な人で、ハッピーなことに視力の弱い人はそのままにしといた方がいいのです。

 

 

常に視界から入ってくる情報に感覚が翻弄されるので脳が疲れます。

 

メガネ外せば、コンタクト外せば「世界と完全OFF」できるっていう選択肢のある贅沢を手放すべきではありません。

「見えない世界」「コンタクトしてる世界」「メガネでちょっと歪んでる世界」の3種類持ってる幸せを、わざわざ1種類の「寝ても起きてもめちゃ同じように見える世界」に限定する必要は無いのです。

 

 

特に私のように、自分で言うのもなんだけど超繊細で、ガラスっていうか和菓子職人が創る薄いすぐ折れる飴細工みたいな、儚くて感受性や敏感さや”悩みレベル”が10代みたいな心の人へは絶対に向かないのです。

 

 

中1でせっかく視力が0.1になってそれからどんどん悪化して20代では完全に視力0.01で過ごしていたのに、てかそれは絶対に私のような超神経質女にとっては神様からの当然のギフトだったのに、先進医療技術でそれをフイにしてしまった私には、「見えすぎて辛い」という罰が今、与えられてるんだよね。

 

すんません神様。間違えましたです。てことで既にしてないけど今後、整形もしません。もー絶対に逆らわんです。

 

 

美しい花だって、素晴らしい景色だって、くっきり見えると何かしら思うとこあるでしょう。

特に美しいものはね、くっきり見えると辛いよね。

美しくなくなる、または美しくないじゃん表面的なだけで、と感じてしまうきっかけとなる小さな綻びを、つい見てしまうんだよね。

 

って。

 

涙腺の問題じゃ無くて、私、そもそも心が湿っているのだな。

 

この世の物体で例えると多分、「ハガキに切手を貼るときに指につける水に浸したスポンジ」。

ああいう感じかな。

ちょっと押すとじゅわって水分出るんですよね。

 

 

でね、

 

映画の感想を書き綴るかと思いきや自分の話になっちゃったんだけど、本映画の評論は世界中に溢れているので私が改めてそれを述べてもレベル低いし仕方ないので、まあこういったインスピレーションby、な文章になっちゃうんだけど

 

けど

 

本当は谷間をアップしてた方がよほど得策だし、いいねが増えると分かっていながら敢えて、こんな読むのもめんどくさくなることを書く私は。。。ダメなオンナかなぁ。


でもね、エロいって馬鹿げてるからね。そもそも真剣に考えたくないもんねたまにはいいけど。瞬間湯沸かし器で沸騰したお湯で、コンビニで買ったしじみの味噌汁を作ってるのと同等の感覚ですよねえ。まあまあ今はとりあえず良いですがずっとこれじゃ超やだねみたいな。


 

明らかに映画を見て「凄すぎる本物」に倒れそうな程の感銘と衝撃を受け、

 

「岩本和子、あなた何してんの?」

「本当に社会貢献できてるんすか?その実力で?」

 

って心から思い反省し、

 

作曲もパフォーマンスもできないからまずblogで、ド下手くそな文章でもいいから少しだけでも何かを吐露したくなった自分の心情とも言えます。

 

 

全ての事象に出来事に、作品に魂に、いろんな人との多様な関係性に、本当にありがとうございます。