戦艦大和 武蔵
戦艦大和の姉妹艦は3隻。
大和、武蔵、信濃。
信濃は、建造の途中から
航空母艦に改造されたので、
姉妹艦といえるかというと微妙ですが、
まあ、船体は大和型なのでここでは姉妹艦としましょう。
最初に、武蔵が沈みました。
フィリピンのシブヤン海というところです。
両舷に20本以上の航空魚雷が命中し、
自慢の抗堪性(こうたんせい)にも限界があり、
世界最大の戦艦も敢え無く沈没しました。
時に昭和19年10月24日、
19時35分。
しかし、抗堪性が強いことも事実で、
1025の最初の被雷から、1935の沈没まで、
実に9時間以上、対空戦闘を継続しながら、
浮いていたのです。
アメリカの海軍航空隊首脳は、
なかなか沈まない大和型戦艦の抗堪性を考慮し、
もう一隻残る大和型を攻撃する際は、
雷撃は片舷に集中するよう、雷撃隊に指示します。
武蔵沈没から165日後、
昭和20年4月7日、
大和が沈みます。
アメリカ雷撃隊の作戦通り、
魚雷は片舷に集中し、
十数本の命中魚雷のうち、そのほとんどが左舷に集中しました。
左舷に集中した浸水は、抗堪性の発揮もままならず、
戦闘開始から、僅か2時間で、
大和は力尽き、東シナ海にその姿を没しました。
空母信濃については、
次回に。