外交でも手腕を発揮した 安藤信正 | いわき情報堂

いわき情報堂

いわきの情報、雑記などを綴っています。


テーマ:
ロシア大統領の来日で、北方領土問題、ロシアとの国境線確定が再度クローズアップされていますが、今から約150年前の日本でも、幕府老中・外国御用取扱だった安藤信正(磐城平藩主)がロシアとの樺太国境線確定という政治課題に取り組んでいました。

当時日本外交の総責任者だった信正は、樺太に関してロシアとの国境線を確定するために使節団をロシアに派遣。全島の領有を主張するロシア側に対し信正は「樺太の日露の国境線は北緯50度として、一歩も譲ることなくロシア側と交渉せよ」と使節団に指示。

最終的に、日露両国で樺太の実地調査を行った上で国境線を決めることになったが、日本国内で尊皇攘夷派が起こした「坂下門外の変」で信正が襲撃され辞任するなどの混乱で日本側が実地調査を実施せず立ち消えに。
もしも、信正が取り仕切っていたら歴史が変わっていたかも。悔やまれます。

信正はこれ以外にも小笠原諸島の領有権確立、ドイツとの国交樹立など日本の外交面でも手腕を発揮しました。


41歳という若さで幕府老中に就任、外国御用取扱も兼務、現在で言うなれば総理大臣兼外務大臣。幕末の日本で、難局極まる内政、外交の課題に取り組んだ安藤信正。

あの時代、日本の舵取りをしていたのは磐城平藩主、いわき人だった。


いわき市の松ヶ岡公園に建つ安藤信正の銅像。





    人気ブログランキングへ


ヒシカワさんをフォロー

ブログの更新情報が受け取れて、アクセスが簡単になります

Ameba人気のブログ