昨年1月に野田市立小の女児が実父から虐待を受け死亡した事件で、県に続き野田市も検証報告を発表。今回は、29年12月の一時保護解除に焦点を当て検証します。

 

女児は、29年11月に実施されたいじめアンケートで、「お父さんにぼう力を受けています」「夜中に起こされたり起きているときにはけられたりたたかれたりされています」等と回答。市は直後に児童相談所(以下、県児相)に通告し、11/7に女児の一時保護が決定しています。

 

 関係者による実務者会議で女児のPTSD症状等が報告される中、2か月後の12/27に一時保護解除を決定しています。女児が受けていた身体的虐待は、口と鼻をふさがれて床に押し付けられるなど、命の危険のある重篤なものであり、ズボン、パンツまで下ろされるという性虐待の疑いも明らかになっていたわけで、一時保護を安易に解除すべきではありませんでした。

 

この一時保護解除の条件として、市児童家庭課は県児相より「本児を父に一定期間、絶対に会わせない」との連絡を受けていますが、県児相の援助方針会議の記録では「二人きりでは会わせない」となっていました。つまり、市に伝えられた条件と県の方針が大きく異なっていたわけです。

 

そのような中、30年3月10日の下校時に父が昇降口まで児童を迎えに来たため、小学校は混乱に陥ります。県児相に電話するも連絡がつかず、やむを得ず父に児童を引き渡しました。その後、連絡がついた県児相からは「引き渡しはやむを得ない」との回答。父に絶対に会わせないとの条件を律義に守っていた市や学校関係者は疑念を抱くようになります。その後、父を含めた家族4人で過ごしていたことが判明するなどし、一時保護解除条件がなし崩しとなってしまうのです。

 

さらに、一時保護解除後に措置(命令)である児童福祉司指導とせず、任意の行政指導である継続指導であったことは大きな問題として指摘されます。

 

30年2月、児童相談所を訪れた父に子どもと会わせない法的根拠について聞かれ、答えに窮します。福祉司指導であれば法的根拠がある一方、継続指導でありその根拠がなかったからです。「女児を連れて帰る」という父に「いいとは言えない」と答えるにとどまり、県は市児童家庭課に「おそらく本児は自宅に戻った」と報告。女児は父と同居し始めていると考えられたものの、再保護もせず、条件のなし崩しを県児相が認めてしまったことになります。その後、県児相が「虐待の再発は認められない」として、女児を父母宅に戻すことへと繋がってしまったわけです。