エアカランに乗り、ニューカレドニア、ヌメア・トントゥータ

空港に到着したのは、4/1の夜10時過ぎ。現地で日本人

旅行客に対応するのは、サウスパシフィックツアーズ社

(SPT)です。

 

どうやら、日本国内の複数の旅行代理店から業務を受け

負っているようで、空港から日本人客ばかりを1台のバスに

乗せて、それぞれのホテルに送り届けていました。

 

さて、知っての通り、ニューカレドニアはフランスの海外領

土であり、今もってフランス国の一部です。成田からの行き

の機内にあまりにフランス人が多かったため、最初は「こ

んなに多くの観光客がフランスから来ているのか!?」と

勘違いもしましたが、実際にはメラネシア系先住民族である

カナック(約4割)等とともに、フランス系ヨーロッパ人(約3割)

が多く現地で生活しています。

 

私たちが今回宿泊したのは、アンスバタビーチの目の前に

あるヌバタホテル。ヒルトンホテルやショッピングセンター等、

観光施設が立ち並ぶエリアでもあり、やはり多くの、そして

大変おしゃれなフランス系住民が目立ったわけですが、ココ

ティエ広場へ向かうのにがんばってバスに乗ってみると、ニ

ューカレドニアにおける社会構造を垣間見ることができた気

がしました。

 

バスに乗ってみたのは、現地最終日のこと。午前11時には

ホテルを追い出され(笑)、空港まで向かうバスの集合時刻

まであり余る時間。おみやげはアンスバタエリアでも買い求め

ることができるものの、ヌメア市街地であるココティエ広場まで

繰り出さないかということになったものです。

 

アンスバタからココティエ広場へのバスへは、「place de

cocotie?」との片言のフランス語だけが頼り。乗るべきバス

がわかったものの、車内でチケットを買ったり、買ったチケット

を不慣れな機械にさし込まなければならなかったりと、結構難

儀いたしました。

 

さて、バスに乗ってからしばらくして気が付いたのは、車内に

乗っているのはカナックやワリシア人とおぼしき先住民ばかり

でフランス系住民は1人もいないということです。これは、帰りの

バスでも同じことでした。また、比較的高級車が目立つ市内を

走る乗用車も、よく見れば、多くがフランス人が運転するもの

であり、アンスバタビーチ前の広がる高級アパート、マンション

でも同じような光景が見られます。

 

つまりは、高級車や高級アパート、比較的割高なレストランを

利用できるフランス系住民に対し、先住民族であるカナック、

ワリシア人が低所得層を占めるという社会構造。人種や肌の

色がそのまま経済格差を表しているようにも見え、わたしたち

日本人には大きな衝撃を感じました。

 

そんな中でも、私を安堵させてくれたのは、現地住民の一様に

温かな笑顔でした。ココティエ広場の特にたくさん設けられた

ベンチには多くの住民が集い、おしゃべりをしていたり、体を

休めていたりします。南の島特有のゆったりした時間を過ごす

彼らには、仕事や生活に追われるというような悲壮感は微塵も

感じられません。むしろ、あなたたちの生活はだいじょうぶ

ですか?と言われるべきは、私たちなのかも知れませんね。

 

最後に、ココティエ広場からアンスバタへ戻るバスに乗る際

も少々の難儀がありました。バス停と思われた場所に家族

ともども待っていたのですが、いよいよ、バスが来たと思い

立ち上がると、そのバスは私たちをスルーし行ってしまいます。

すると、近くに座っていたやはりカナック系男性が、ここは違う、

バス停は別の場所だと教えてくれたのです。もちろん、こちらは

現地言語がちんぷんかんぷんであったため、彼も身振り手振り

のものでした。

 

教えてもらったバス停はそこから数十メートル先。数分後に

やってきたバスに乗車し、進行方向を見やると、先ほどのベン

チに彼はまだ座っています。手を振ろうと窓を開けるときに気

づいたのは、彼もまたこちらの様子を案じ、バスの車内をうか

がっているということでした。

 

その刹那、左手で窓を大きく開け、周りの外国人にはばかりも

せず、「merci!」と思わず叫んだのは、彼の優しさに率直に

応えたかったからに他なりません。私がサムズアップすると、

彼も応えてサムズアップ。もちろん、私たちを安堵させるあの

温かい笑顔を浮かべながら。

 

この旅の、私にとっての間違いないハイライトとなりました。