シャンソン歌手ジャックブレルは死後色あせない。
猥雑で情熱的なジャックブレルの詩そしてメロディそれを表現する身振りや手振り。

シャンソンには人生をしみじみ語るものが多くブレルの作品にも人生がある。
時に過激で挑発的なものしかし根底には愛の表現が流れている。

昔ネットなどない時代 ジャックブレルのレコードが欲しくてもシャンソンのレコードは手に入りにくかった。
しかし古レコード屋を探し歩きあれこれ手に入れる事が出来た。

シャンソンと言ったらシャンソン化粧品しか知らない方もいるかも知れないが王道を嫌う危険で純粋な表現者ジャックブレルを見直して欲しい。

アンチ・ブルジョワジーの精神を歌い、フランス・ナショナリズムを嫌悪しベルギー人(フランデレン地方)の誇りを持った社会派の歌い手である部分は、歴史的背景に、詳しくない僕にはよく分からないが、娼婦や死を歌い愚かなる自分を自嘲し愛する対象への激しい情熱を囁き、罵り、汗をほとぼらせて嘲るさまは聴くものを圧倒させてくれます。

真似など出来ないフランス語での、まくしたては、余計受け身に聴いてしまう。
勿論対訳はしっかり見てから聴いている。

とにかくジャックブレルは訴えたい事が山ほどある人だ。
その原動力になってるのは彼の人に対する愛であり、その言葉には彼の人恋しいさを感じることが出来る。

他人にどう思われようと屈しない彼の主張やパワーにも、感心する。

日本人の僕に分からない民族的な詩の内容もありますが、彼が名指しで嫌悪の対象を批判し指を突き出し、拳を握りしめ歌う様を見ていると詳しい事情が分からなくとも力が湧いてきます。

「ブレルみたいに、しっかり自分の考えを持たなければいけない」と思わせてくれます。
ジャックブレルが僕に「こうしなさい」と言うわけでないのに感動します。
歌が与えるパワーや衝動は理屈で言い表せないもの。
人種や国籍も超えて行くものなのです。

聴きつけていると、まるでサブリミナル効果のように僕の日常に知らぬまに食い込んでくるみたいだ。

そのジャックブレルを知ったのは僕が中学生の時、アイドル歌手だったスコットウォーカーを通じてだ。
スコットウォーカーがジャックブレルに漕がれていたことを思うとウォーカーブラザース時代どことなくスコットウォーカーが機嫌悪かったのが分かる気がする。

ジャックブレルは一般大衆に迎合する歌手と全然違う。
ある意味次々と表現する内容で大衆を「いい意味」で裏切ってきた。

スコットウォーカーはアイドルとしてデビューしたものの行く行くは「一般大衆をいい意味で裏切り続けたかった」のだと思う。
いい意味で裏切るは、より創造性がなければ出来ないし才能にかかる事だ。
難しく困難な事でもある。

もしジャックブレルの様に生きたいなら大衆にへつらうものを出すのでなく大衆をリードする歌手でいたかったのだと思う。

スコットウォーカーは、1960年代後半にスタンダード・ヒット「アンテェインド・メロディー」で有名なアメリカのエバリーブラザースに対抗してイギリスのフィリップスレコード社から3人編成のウォーカーブラザースでデビュー「太陽は輝かない」で大ヒットし人気を博していた。

昔ミュージックライフと言う音楽雑誌にスコットウォーカーの新春挨拶のソノシートが付録でついていて中学生の時同じクラスの女子・細井寛美にイタ電して電話口でそのソノシートをかけたら英語で挨拶するスコットウォーカーの声を聞き面食らいながらも、まんまと騙され細井寛美は「ハロー」とやり返したことがある。

後でネタばらしして「なんや伊藤君かあ~」と笑いあったが、中学生の女の子でさえ皆スコットウォーカーをよく知っており人気があったのだ。

70年にソロで独立。そこからレコード会社から押しきせられた曲を歌うのでなく、彼の前々から望むジャックブレルの曲を歌いだしスコットウオーカーの表現者としての情熱は開花したのだ。

ジャックブレルは49才で1978年に肺癌で亡くなる。
ブレルの生前から彼の曲をカバーする歌手は多い。

フランクシナトラ、ダスティースプリングフィールド、ジョーンバエズなど。
しかしいずれも 「if you go away」日本でも流行った「行かないで」の1曲程度だ。

本当の意味でジャックブレルの信仰者と言えるのはスコット・ウォーカーだろう。

「ジャッキー」「マティルダ」「アムステルダム」「マイデス」「ネクスト」等ジャック・ブレルの代表曲を自身のアルバムにおけるメインメニューとしてA面の1曲目でも使いカバーしいる。

「行かないで」以外の曲をカバーしたミルバーレやジョン・デンバ-もいるがアルバム発表ごとジャックブレルの曲を取り上げているのはやはりスコットウォーカー1人だろう。

スコット・ウォーカーは繊細な感じだがソロデビューしたばかりの頃はスコットの若さもあり哲学者のようなブレルほどの風格は、なくヨーロッパや日本で直ぐに人気者となり来日公演もした。

ソロデビュー後の動画が残っているが日本でのものは、1970年NHK「世界の音楽」です。
フルバンドで生歌だ。You Tubeでも見れる。これは当時のイギリス・アメリカのポップスのテレビ番組と比べたら非常に珍しい。

当時の海外の人気歌番組「ゴーゴー・フラバルー」「シンディグ」「ハリウッド・ア・ゴーゴー」などは、レコードに合わせたクチパクあるいはカラオケかの手法が殆どなので大変貴重だ。
これ以外のスコットウォーカーのYouTubeであがっている海外のテレビ番組ものはチェックを入れたがレコードに対してのクチパクものばかりだ。

ましてや打ち合わせの煩雑な大所帯フルバンドでテレビ局のスタジオに集まり生で演奏、生歌は手間も経費も、かかり稀少である。

それとは時代や国も違うジャックブレルの残されている映像はテレビ番組でなくライブのものが殆どで演奏、歌共に生音です。

この時スコットウォーカーと競演したフルバンドは森寿男&ブルーハーツ。
日本のスウィングジャズの老舗バンドだ。
演奏者の座るボックスシートにブルーハーツの文字がある。

スコットウォーカーは初々しく生き生きとジャックブレルの魂を受け継ぎ歌い切っている。
恐らく日本のファンがテレビの前にカメラを置きマイクで音を拾い録画したものと思われる。
アナログ時代のものだけに音質、画像は劣化しているものの当時リアルタイムで50年まえ鮮明な画面で見たときの感動と変わらない。

家庭にビデオのない時代。「2度と見れない」といつも覚悟し音楽番組を見ていただけに懐かしく嬉しい。

若干26才。この時のスコットウォーカーこそが他人から見てスコットウォーカー76年の生涯でこの世の春と言える気がする。

ジャックブレルを志と仰ぎ、理想に近づきつつある自分に気づいてか表情が実に、晴れやかだからです。

他人の充実した姿を見るとこちらまで熱く感じることが出来る。

もう一つの推薦You Tubeはイギリス放送局の「Ⅿathilde & when joanna loved me」
(ジョアンナが恋した時)だ。
最初ダスティースプリングフィールドがギターを持ち座っている画面から始まる。
スコットウォーカーは、一曲歌い終わるごとにペコペコ頭を下げ声援に対してのお礼として申し訳なさそうにしている。

2曲目の「ジョアンナが恋した時」ではスコットの甘美なバリトンも聴ける。
自分の望む事が出来ているだけで、こうもにこやかに振る舞える。
ウォーカーブラザース時代に、わがままと言われた頃もあったのだが本当は正直で純粋な人なんだろう。

この人ほど陰と陽を表にさらしたミュージシャンも少ない。
何かとトラブルも少なくなかった。
人気最高にも関わらず気乗りのしなかったアイドル時代に比べソロ転身後暫く機嫌良かったのが、この70年来日前後の時期だ。

そのビデオが、この様に日本発で残っているのは喜ばしいことだ。

実力は十分ある。しかし、うすっぺらなアイドル稼業で終わりたくはない。
ソロになりジャックブレルの様にエンターテイナーよりアーティストになりたかったのだろう。その思いの一旦が果たせつつあった歴史的ビデオだ(画面は青いけど)

ウォーカーブラザース時代は、当時の音楽雑誌でも「スコットウォーカーが気難しい」とか言う話は時々取りざたされていた。
そんな雑誌編集者や評論家連中の話を聞き冷静な女性ファンの中にはスコットウォーカーを追っかけする反面、彼のその日の機嫌まで気づかいする様になった。

若い女性ファンが追いかける方向に迎合出来かねる主張を持つ事をジャックブレルから既に学び取っていたのだ。

ソロアルバム1~3までは、順調だった。
アルバム4ではジャックブレルを卒業し自身のオリジナル曲で占めるアルバム作りをした。

そこから人気は、やや低迷し以後スコットウォーカー名義のレコードは何十年も発売されなくなってしまった。

需要がなければ供給がないのは世の常である。

ここから「スコットウォーカーは気難しい」は再燃し始める。

飲食とパッケージになった高級ホテルのショーは一流エンターテイナーあるいはミュージシャンにとってよくある稼げる場所でもある。

そのショーでスコットウォーカーが歌っている最中にステーキを頼みナイフとホークを使いパクパク食べだしたお客を見てスコットウォーカーは、我慢出来なくなりステージ下まで降りて行き
その客とやり合ったと言う。
大衆誌でも取り上げられた。

それを聞きまだ高校生だった僕は「スコットウォーカー またトラブルか」と彼の不器用さに驚きやがては納得して行く事に、なりました。

元々は僕の高校の同じ文芸部先輩の大のスコットウォーカーファンの中島恒夫さんがスコットのレコードを持っていました。

中島さんは、女性ファンの多いスコットのコンサートを押されて、もみくちゃになりながらも観に行っていました。

その中島恒夫さんに「スコットウォーカーに比べたらジミヘンドリックスは単なるノイズ」とロックをけなされ、それを言われた僕は「あんなアイドルミュージシャンが何じゃい!」と彼の住む五月丘団地まで行きマーディーウォーターズのブルースのレコードを持ち込んでかけブルースハープを演奏しました。

ブルースを知ってもらうためです。

その後、ジミヘンドリックスがどれほどブルースの基本をマスターしているか 話したところ「色々な音楽があるという伊藤君の言う通りです。意地張ってスコットウォーカーしかないかの如くスコットファンを自認していたが正直言うと、ここ最近スコットウォーカーに、ついて少々食傷気味と感じている」と言われた。

なるほど中島さんは当時のスコットウォーカーの最新となるレコードのスコット4だけは持っていなかった。
スコットウォーカー4では自身のオリジナル曲が情熱的なジャックブレルに比べ地味なものが多いようだった。
ファンは退屈しだす。

そして、その後ウォーカーブラザースも一時期再編したが長くは続きませんでした。
中島さんがスコットに飽き出した時期に「ゆっくり借りていていいよ」と言ってくれ彼の持つスコットウォーカーの3枚のソロアルバムを借りて聞き、後には同じスコットウォーカーのⅭDを自分でも買う事になりました。

その後スコットウォーカーは長い隠遁生活に入り人々から忘れられていく。
1978年(スコット34才)から主だった活動はストップしてしまいました。

1995年に約20年近いブランク後に顔を見せた時は、まだスコットの回りにいた自分に対する支援者に感謝の言葉を述べていました。「機嫌が悪い、わがまま」と言われた頃の鋭さは年を重ね謙虚さに変わっていました。

デビィッドボウイは忘れられたスコットウォーカーの過去の曲をカバーするほど支持していました。かってスコットウォーカーがジャックブレルを尊敬したように・・・

カムバックした時のスコットの顔はボウイの様な鋭いスター性のあるオーラのある顔に比べ
より職人の様な繊細な顔になっていました。

95年久々のソロ作「Tilt」は20年近く前の前作スコット4でもポップ性があったのにそれらを一変し陰鬱で暗い全く光の存在しない世界を描いた様なアルバムでした。
以前を知るファンは、「この世界には、もはや彼自身しか入りこめないのか」と諦めに近い気になりました。

ⅭDセールスも当然伸びず次作「Drift」2006年リリースまで11年のまたもや長いブランクとなりました。

「Dri f t」(2006年)は色で例えるなら「漆黒」です。
漆黒の闇の世界を描いています。
これまた以前よりもっと暗いアルバムとなりました。
彼は何年もの歳月をかけ「漆黒」や「純黒」のサウンドに取りつかれていたのでしょうか。
詩の内容もより深い海の底に沈んだかの様で聞くものは重苦しく死をイメージするものばかりでした。

デビィッドボウイはそれでもスコットウォーカーを生涯支持し自身がエグゼグティブ・プロデューサーとなり「スコットウォーカー30世紀の男」(2007年)を映画化したほどリスペクトし続けました。

もう1度ジャックブレルを年輪を重ねたスコットが歌えば以前ほどでなくともオールドファンは必ず戻って来ますが、それを分かっていてもしないのは、他のかってのアイドルシンガーとスコットは正念が違うところがスコットウォーカーの真骨頂と言えます。

デビィッドボウイもスコットウォーカーの影響を受け「アウトサイド」や「ブラックスター」と言ったアルバムをリリースしました。

この作品は以前からのボウイ流のダークな一面を削ぎ堕とした死を意識した内容でした。

しかし妥協なきオリジナリティを持ったソロアーティスト スコットウォーカーの漆黒の世界観の域にはデビィッドボウイですら達することは出来なかったと言われました。

それくらい晩年のスコットウォーカーの幽玄で重厚過ぎるサウンドを聴くのは僕には、少々キツイものがありました。

彼には未だに壊そうとするものが、あり続けその葛藤が僕には、伝わりキツく感じるのです。

これらを聴くにつけ、あのジャックブレルのジャッキーを意気揚々と歌っていた頃が僕には懐かしく思えるのです。

先にスコットウォーカーの理解者デビィッドボウイが肝臓癌で2016年に69才で亡くなりました。
スコットウォーカーも先日2019年3月に76才の生涯を閉じました。死因は公表されていません。

スコットウォーカーの死後彼には奥さんや孫までいたことがマスコミにも知られる事となりました。

後半の人生は皆既日食のような出現率で私生活は不明でしたが、私生活の色まで漆黒でなかったようで、ほっとしました。

ついつい僕は王道行くアーティストより異端的な人が心配になり辿ってしまう癖があるようです。


 この頃続く。