SNS依存症については過去55章・57章と話してきました。      
お酒にしろ薬にしてもSNSでも上手に使えたら、これほどいいものはない。
しかし使い方によっては中毒性もあるので害にも毒にもなる。

SNSにのめり込むと誰かと繋がり続けないといけない様な強迫観念にはまる。

しかし現実社会では無数の人と毎日毎時近況報告し合い
お互い何かした度に「いいね!」と言い続けてたら生活して行けない。

SNSは評価を求めるアプリなので人が振り向いてくれそうな事を話そうとしたり見栄えする写真やその写真にあったストーリー作りに追われアップし続けなければならなくなる。

何処に行っても、いい写真を撮ることや、その写真のストーリー作りで、
どの場所でも、ありのままの時間を楽しめなくなる。

全く不幸な事だ。
日常の報告が日常でなくなってくる。
そこが日記とは似て非なるところだ。

それも他人の評価前提で常に受動的であるため時間の経過を感じさせない錯覚に陥り時間を浪費することになる。

SNSで次々と他人から「何処行った。何食べた」等の情報が入り他人とツイート交換が永遠続く。

更にフォロワーの数が増えてくるとより時間がなくなり返信に追われる事になる。。

人間はSNSのないストレスフリーの世界で本を読んだり絵を描いたりとか、ひとつの事に集中出来る時間が長くなればなるほど心の平穏が保たれることが分かっている。

他人から情報が入るSNS社会(ツイッター、インスタグラム、フェイスブック等)に埋もれていくと苛立ちが増えたり鬱になったり現実に周りにいる身近な人との親和性が希薄になり直接相手の感情が読めなくなるとの心理学者の意見もある。

バーチャルなツイッター内で「流石はセンスが違いますね」とか赤の他人に、おだてられたほうが身近な人間と会うよりドーパミンが出ることが慣れているかの様だ。

身の回りの大切なものへの評価や判断能力が欠如していくと言う。

人間は暇になると誰かとコミュニケーションを取りたくなる動物なのだ。
そして幸せになりたいと思うと他人に自分の価値を認めて貰いたいと思う。

若い頃、身近な人に最初に認めて貰えなかった人ほど、
その後「他人に認めて欲しい」の承認欲求が強くなると言う。

そこから更に「もっと沢山の人に認めて貰いたい」や
「誰でもいいから認めて貰いたい」と欲求はエスカレートする。

そもそも最初は身近な人間に(親や恋人や仕事関係であったり)自分の価値を認めて貰いたかったのだ。
その頃の傷を埋めに戻らないで、この負のスパイラルは止めることは出来ない。

人間は大勢の中で人と等しく行動しないと不安になる動物なのだ。

「そう言うアナタはやりたい事があり特別だから、そんなことが言える」
と身近にいるSNS依存症のかたに言われた。
「私にはSNSしかない」とも言われた。

しかし人より何かこなせる事があるのは人生に満足していることではない。
それが悩みの種ともなりうるのだ。

仮にビリヤードの腕前がハスラーみたくなっても満足で幸せと限らない。

やりたいことが、どの程度出来て満足してるかは皆それぞれ違うのだ。

やりたいことさえ、あれば自分の思う満足(幸せ)が勝ちとれるのか?
これは絶対ではない。

理想は人それぞれ違うからだ。

しかし、やりたいことが、あれば幸せになるチャンスはある。

その満足を目指して、それが多少苦難でも面倒くさい事であっても成長している時こそが心の平穏を感じれる時なのだ。

安易なものは安易でしかない。
それは、まるでパチンコでたまに与えられるドーパミンの虜(トリコ)になったのと同じだ。
時間の浪費を繰り返すだけだ。

そもそも自分と他人を比較するから、おかしくなりSNS依存症が生まれ元に戻れなくなるのだ。

HEART OF GOLD     

  この頃続く。


わ た く し あの頃まだまだ 青2才でした。