先日、筆者が提案する健康メソッド
「うつし」
の体験会を開催いたしました。
ご参加くださった方、
まことにありがとうございます。
おかげさまで
人前で話すこと、
伝えたいことを順序立てて説明すること、
咄嗟の質問に対して慌てずに応えること、
といった、
対人発信の基本のようなことを、
今さらながら学ばせて頂いております。
今まではこのように、
文章による一方的な表現、
あるいは
演劇仲間同士の、
お互いにある程度の
共通認識がある中でのやりとり
といったコミュニケーションばかり
行ってきたため、
「それってどんなものなの?」
「さっきこう言ったけれど、
するとこっちはどうなるの?」
といった状況に対応するという訓練を
ロクに行わないまま来たのだなぁと
我が身を省みるばかりです。
また、
「今の言い方だと少し伝わりにくいから
別の表現を使ったほうがいいのだろうか?」
という振り返りも入れることができるのも、
共通認識を持たない別の方と向き合うことで
得られる経験なのだと思います。
改めて、感謝申し上げます。
さて、今回はその体験会の中で
筆者が語った、
「健康とは?」
という問いを、
改めて振り返ってみたいと思います。
結論から語りますと、
それがタイトルにもありますとおり、
①「医者いらず」
という在り方であり、
よりポジティブに表現するなら、
②「自分がしたい、やりたいと思ったことを、
自分なりにできる範囲でできる状態」
と言えるでしょう。
①にかんしては、
昔からよく用いられている表現だと思います。
これは何も、医者が不要になる
という意味ではありません。
それどころか、社会が発展し、
文化文明が発展すればするほどに、
医者の存在は重要なものになってきます。
しかし、
重要であることと、
絶対に無くてはならないもの
は違います。
また、
絶対に無くてはならないもの
であったとしても、
それが無いと立ち行かないもの
かどうかも、
検証する必要があるでしょう。
つまり、
「病院にいかないと不安」
「お医者さんの言うことは絶対」
「どれだけ大病をしても
医者が必ず助けてくれる」
こういった精神状態から脱却し、
「医者は私たちの日常生活を
豊かにするための道具のひとつ」
として、私たちが医者や医療を使える立場になること。
これが、医者いらずという在り方だと思うのです。
「うつし」に限らず、
ボディワークを通じて直接人体にかかわること、
演劇という表現活動、
これらすべては、
「私たちのからだ」が、
「寿命というタイムリミットを迎える最後の瞬間まで、
私たちを幸福にするものとして機能して欲しい」
という願いから始まっています。
それが、上記の②の在り方。
自分がしたい、やりたいと思ったことを、
そのときの自分なりにできる範囲でできること
だと思うのです。
私たちのからだは、
年齢や経験と共に変化します。
それは当然です。
若い頃にできていたことができなくなる。
あれほど好きだったものが食べられなくなっている。
そういったことは、
当たり前のこととして起きるでしょう。
そのときに、
自分自身が劣化している、
自分が失われてゆく
というネガティブな感情に支配されることなく、
「仕方ない」
「これもひとつの変化だ」
と割り切り、
できることならそこから
「では、若い頃にできなかったことが
もしかしたらできるようになってないかな?」
「今まで気付かなかったようなことが
見つけられたりしないかな?」
というところまで進めれば、
私たちは恐らく、
一生涯の健康と幸福を手に入れることが
できるのだと思うのです。
たとえば。
若い頃に大好きだったラーメンが
また食べたいと思ったとして。
けれどあの頃のような、
山盛り濃厚とんこつは食べられなくて。
それでも、少しくらいなら食べられるから
ハーフサイズで食べてみたらすごく美味しい。
吐く寸前まで食べるような喜びは無理でも、
心地よいと感じる範囲で喜びを噛み締められる、
それを幸せだと感じ取れること。
あるいは、
昔はそんなに好き好んで食べなかった
シンプルな醤油ラーメンを
すごく美味いと感じるようになったとか。
ひとくちに醤油と言っても、
使っている出汁だったりといった、
作り手のコダワリのようなところにまで
目が行くようになったりとか。
こういった変化もまた、
立派な成長だと思うのです。
このような変化を感じ取るための手助けとして、
医者や、
あるいは筆者のような仕事の者を、
選択して、使えるようになって欲しいのです。
そして治ったら、
「ありがとう、もう要らないよ」
と、笑って手を振れるようになって欲しいのです。
ひるがえって筆者のような立場の者は、
そういった姿を見て、
客が離れた
と思うのではなく、
「あの人は独り立ちできるようになった、
ありがたいことだ」
と受け止められるような
心持ちで仕事に臨めるよう、
気を付けなければならないと
思った次第です。