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昭和だった

昭和の最後、まだ私は小学生でした。
今思い返すと、おおらかな時代だったな、と思います。
その時代を思い返しながら、きっと今も、もっとおおらかな育児でも子どもはすくすく育つんじゃないかな、と思いながら書いていきたいです。



私の住んでた京都市では、当時、アルミ皿で提供される給食でした。

トレイはなくて、自分の持ってきたナフキンの上に給食を置いてました。

ナフキンを忘れた子は藁半紙の上に給食でした。

ナフキンにアイロンを当ててないと恥ずかしいので、高学年くらいからは毎週自分でアイロンを当ててました。(今、私の子どもたちの学校はトレイの下にナフキンなので、シワがあろうがなかろうが何も気にしてない様子。)


コッペパンがほとんどで、たまに食パン。揚げパンは出たことがなかったです。

火曜日だけご飯の日で、自分でお箸を持っていってました。朝にランドセルの給食袋を振ってお箸が入っているかチェックしてました指差し

高学年になると、ご飯の日が火曜と木曜に増えました。


あと、ミルメークなるものも、当時の京都市の給食にはなくって、紙パックの牛乳でした。

そんな私たちの楽しみのひとつは、冷たい牛乳を、冬の日にストーブにのせて温めて飲むことでした。


ある日、親友のえりちゃんが、ストーブの上の牛乳を温めすぎて、紙パックが膨張して破裂しました。

担任の三木美紀子先生は、なんでもガハハと笑ってすませる先生で、その時もえりちゃんは特に叱られず、牛乳を雑巾で一緒にふきました。


紙パックの牛乳と、冬の日と、ガスストーブ、一つの思い出がセットになって、丸々わたしの心にあったかいままで留まりました。


もし、あの時ものすごーく叱られたり、

それから、牛乳温めるのが禁止になっていたりしたら、こんな風に心に留まってなかった気がします。


子どもは失敗をするもので、それを笑って、そんなこともあるよね、と綺麗に雑巾でふいてね、と言った三木美紀子先生は偉大だったな、と今でも思います。


(※えりちゃんも、三木美紀子先生も仮名です。)