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昭和だった

昭和の最後、まだ私は小学生でした。
今思い返すと、おおらかな時代だったな、と思います。
その時代を思い返しながら、きっと今も、もっとおおらかな育児でも子どもはすくすく育つんじゃないかな、と思いながら書いていきたいです。


当時、京都のニュータウンに住んでいた私が通っていた小学校は、京都で1番か2番くらいのマンモス校だった。


1.2年の頃は、40人学級の8クラスだったのが、3年生からは45人学級の7クラスになった。

私は3年7組で、担任は三木美紀子先生だった。

当時、教室が足りなかったのだろう。

私たちの3年7組は、廊下を歩いて奥の、本当なら特別教室になるはずの、突き当たりにある教室だった。

突き当たりにあるので、教室の出入りのドアは一つしかなかった。子どものときの感覚では、普通の教室より1.5倍の広さに感じられた。

その隅っこに追いやられた教室に初めて入った時、私はわくわくドキドキが止まらなかった。


2軒隣の大の仲良しのえりちゃんと同じクラスになったことも大きかった。


初めての日、その一つしかないドアをガラッと開けて、私たちの新しい担任の三木美紀子先生は入ってきた。

大きな口の口角をあげて、

「ハッピークラスにしましょうね。」

というのが、第一声だった。


それは楽しい楽しい2年間のはじまりだった。