さて、何から書こうか。

どこから綴ろうか。

何について。

誰がために―。

 

そうだ。

ピアノの音はいい。

あれは、なんと言うかとても心地いいものがある。

そういえば来週、JAZZを愉しみに行く。

JAZZなんてまったく勉強していないけども。

まぁ、なんとかなるだろ。

聴きたいんだし。

きっと、心地いいんだろし。

今も音楽をやっている上司(彼はドラマーだ)が誘ってくれた。

友人が学校を開校していて(どうやら友人というひとは校長先生らしい)、生徒たちの発表会があるのだと言う。

一度観に行ったことのある上司曰く、

きちんと正装をして、演奏がおぼつかなくとも、真っ直ぐ音楽に向き合う様を見せられただけで感動したと。

向き合う姿勢が大切なんだということを思い知らせたと。

ぼくは頷きながら、少し彼をおもった。

そーいや、そんな奴が自分の近くにも居るなって。

あいつは今も、奏でているだろうか。

誰かに届けているだろうか。

真っ直ぐに。

毎日を。

 

季節に埋もれてしまわぬよう。

必死に今を生きるけど。

どこに通じているのかもわからずに、闇雲に突き進めたのは20代。

届きそうで届かないものに、必死に手を伸ばしたのは30代。

ひたむきに生きた。

だからなんだ。と言われればそれまでの日常でも、振り返れば延々と続いてきた足跡が、自らのこれまでを示している。

40代。

区切りのない毎日に線を引いて、奮起して、目覚めるたびに明日を占うような日常はもう求めていない。

よれよれになったTシャツを着てこどもを抱き、肩をよだれまみれにされながら、すりつけてくる小さな額からミルクの匂いを感じたとき。

半ば諦めながら寝かしつけているのに、素知らぬ顔で騒ぐ笑顔を見たとき。

怒りながらも。

戸惑いながらも。

泣きながらも。

もしかしたら、幸せなんじゃなかろうか。

ささやかでも慎ましく、自分に正しく見合っただけの仕合せ。

そういえば、そうだ。

ベランダから見上げる空もそう悪くない。

相変わらず夏らしく晴れているし。

 

今を、生きているか?

自分に問いただしてみる。

あいつみたいに、今を生きているか?

今日の空のように輝けているか?

 

新緑のまぶしい時期はとうに過ぎた。

纏った色をこれでもかと誇った時期もまた過ぎた。

もしかしたらもう、失いつつある色を追っているのかもしれない。

未練がましく落陽で肌を焼くとでもいうのか。

 

気付けば。

一番追い求めていた時間はこれからにある。

日の中で、暮れてしまった陽射しの残り火で、夕方とも夜とも区別のつかない時間帯が一番好きだった。

儚さが好きだった。

ひぐらしの鳴く頃が好きだった。

 

一生は儚い。

そうして、名もなき一生は紡ぎ繋がって続いている。

自分も歯車の一部だと、とうに気付いていたのにそれでもなお失われつつある色を追っている。

幸せを感じてしまったが故か。

手にいれてしまったが故か。

去りゆくものを、失われるべくして失くしていくものを看取ってやれるだけの時間が欲しい。

それにはまだ半歩及ばないのか。

機は熟さず。

 

ただ、ただ、耳を澄まして、遠い日のひぐらしの鳴き声を聞いている。

追い求めた時間は,間もなくやってくる。

さりげなく、正しく、等しく誰しもに公平に。

生き急がずとも。

ぼくも正装をして、真っ直ぐに向き合うことができるだろうか。

さすがに白のハイネックにグレイのスーツというわけにはいかないけれども。

相応に。

そう、相応にね。

 

 

 

 

 

 

 

 追記 

分身である君も、きっと同じ心持だろうか。

そうであって欲しい。

遠い日のひぐらしの鳴き声ぐらい不確かに、いつか君と会える気がしている。

それはとても不確かであるけども、真っ直ぐに日常に向き合うことと同じように正しいことだと思える。

分かつものは、ひとつに戻るだろう。

共に、半生を分け合い生きた。

残り、半生はないけども。

そのときは、少しばかりおめかしをして。

ひぐらしの鳴く頃に―。