さて、前回の続きです。
(大昔の記事のリライトです。)
「闇」をどう扱えばいいか、
というテーマでお話ししてましたが、
光と闇をハリウッド映画の描き方から
考察してみましょう。
そもそも、ハリウッド映画が面白いのは
光と闇が明確に描かれているからです。
日本の水戸黄門もそうだけどね。
最後に強烈な「光」を見せつけることで
全ての闇が圧倒される・・・
というストーリーが愛されています。
なぜ万人の心を掴むかというとj、
つまり、そもそも人間には
光と闇を明確に分けたい!
という、本能があるんだと思います。
分けた方が「生きている手応え」を
かんじることが出来るからです。
闇がないと
「水戸黄門すげえ!」とか、
「おれ、すごい!」
っていう、手応えを感じにくいからです。
てことはね、
「アタシ、すごい!」
「おれ、いけてる!」
といういう手応えは「闇」がないと成立しないのです。
それが悪いわけじゃなく
ただ原理なんです。
それにね
光と闇は対比が美しい。
それだけで、ただ・・・
美しいのです。
だから人間が光と闇を分けて考えたいのは
自然なことです。
別にそれ自体は悪いことではないと思います。
話は映画に戻り・・・
ハリウッド映画といえば
「スターウォーズ」
例えばスターウォーズで
ジェダイの騎士(正義)と
ダースベイダーを比較したら
どう考えても
ジェダイ=光
ダースベイダー=闇
です。
しかしながらエピソードを
全て見られた方はご存じでしょうが、
ダースベイダーも元は
優秀なジェダイ(光)だったのです。
かわいい、かわいい
キュートなアナキン君で
みんなに愛されていた。
つまりこの世の価値観的にいうと、
「光」的な存在だったわけです。
ダースベイダーになっちゃったアナキンくんは、
そもそも、ただの強い男前なナイトでした。
光あふれる騎士だった!
愛する姫もいて
その姫は身ごもっていました
彼は姫が大事で大事でしょうがなかった。
愛おしくて、愛おしくて
もう狂うぐらい愛していた。
ただの愛情深い、
お兄ちゃんだったわけだ。
だったけど。。。
彼が愛に苦しみ・・・
(愛する姫を失うかもしれーん!)
恐れにおののき、
(これ以上、失うのこわーい!)
むかしお母ちゃんを失ったときと同じ
想いをするのは死んでもいやだー!!!!
ということを感じてしまって、
とうとう・・・
ダーク(闇)サイドへ・・・
ばーん、ばーんばーんばっば、
ばーん、ばっばばーーーーん♪
(ダーズベイダーのテーマ)
で、
「はぁーほぉーはぁーほぉー」
な黒いダースベイダーになっちゃったんだ。
光的な存在から
闇的な存在になっちゃった彼・・・
でも、そもそも!
ダースベイダーは、
「なにから」出来ているのか?
どうやって生まれたのか?
そう。
彼の中にあった
失うのが怖いっ!という
「恐れ=闇」
「怒り=闇」が作ったんですね。
しかーし!そもそも!
その「恐れ」「闇」は、
なぜ生まれたかというと。
彼が愛情深いお兄ちゃんだったからですよね。
「愛=光」なんですね。
愛がないと、恐れも生まれなかったのです。
彼の姫に対する愛、
生まれてくる子供に対する愛
お母さんに対する愛
です。
そう。
ダースベイダーは彼の唯一の姿ではなく、
オセロゲームのコマの
「黒色」の部分が
この世に出現しただけです。
裏は白(光)ですけどね。
この世は3次元だから。
裏返って「黒」が見えたら、
「黒」に見える。
黒にしか見えないし、
そう五感で感じてしまう。
つまり、
闇的存在のダーズベイダーと
男前な光のジェダイの騎士を
二ついっぺんに見ることは出来ない。
そして最初に申し上げた通り、
人間には「光と闇」を
分けて捉えたい本能があります。
でも、たましい的には
ダースベイダー=愛のかたまり
ともいえるワケです。
むしろ固まり過ぎて黒くなったか・・・
という感じかも。
つまり、便宜上、物事を捉えるため、
私たちは光と闇に分けて考えるけど
三次元の世界では片面しか見れないので
そうなっちゃう・・・
ってだけなんです。
つづきます>>>
今回はなかなか濃い会になりそうですぞ!
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