こんばんは、柊咲です爆笑

だいぶ遅れてしまいましたが、しばらく更新できていなかったので

今日は2018年の振り返りを書きたいと思います。

 

2018年は今までの年の中で本当に充実した1年でしたビックリマーク

ありがたいことに、沢山の人が色んな所に連れ出してくれて、

色んな機会を下さって、そして何より、沢山の方々が私の声を

【届けたい】とおっしゃってくれて…。

大変な事、嫌な事、辛いこと…正直相変わらず沢山。

だけど、それ以上にそんなことを忘れさせてくれるくらい

嬉しいこと山ほどあせるあせる

 

講演会に呼んでくれたこと、

初の男湯に入らせてくれた粋な計らい、

久しぶりに堪能することが出来た地元に近い空の星と澄んだ空気星空

 

嫌いだった書道と絵を描くということを好きにしてくれた人たち、

子供と触れ合うきっかけを沢山作っていただいたこと、

子供たちと腹を抱えて大笑いしたり、ご飯を食べ、

BBQをしたり、準備をしたり、はしゃいだりしたこと、

 

夢への第一歩?として初めてSAKUとして

プチカフェというていでイベントを開催出来たこと、

 

手術をするまで海にはいけないと思っていた俺を海に誘ってくれて

砂浜で思い切り笑いながら日焼けをしたこと、

 

念願の浴衣を着る為に着付けを教えてくださった方がいたこと、

 

教師の方々に【伝える】をしたいという俺に機会をくださったこと、

 

今までの講演会のDVDを見た同僚たちが涙しながら

「頑張ったね」って言ってくれたこと、

 

この人と何かしたい、何か作り出したい!と思える人に出逢えたこと…

 

振り返るとみて、常に全力疾走な1年だったから正直本当に疲れた。

だけど、どの事柄も全て全力で取り組みたい!と思えることだったし、

そんな1年を走りきれたこと、過ごせたことは何よりも嬉しい。

 

そして、2018年という1年で再認識したことは、【繋いでいくということ】

自分がされて嬉しかったことを今度は自分が誰かにする。

自分が貰った沢山のHappyを、今度は次の誰かに繋いでいくということ。

嬉しかった、幸せだったじゃなく、どんどんどんどん繋いでいって

いつか、本当に笑顔咲くつながりを広めていきたいということ。

 

そして、周りの人との協力一つで特別な事なんてなくても

不可能を可能にすることが出来るということをこれからも伝えていきたい。

 

2018年はすでに終わったけれど、

 

走り切った自分に、お疲れさまひらめき電球

走り切らせてくれたすべての人たちに、ありがとうニコニコ音譜

 

2019年もしっかりと、自分の信じる道を全力で走り抜けて

また、最高の1年だったと笑って話せるように精一杯頑張りますDASH!DASH!

 

 

こんばんは、柊咲です爆笑

 

10/6と10/7は大和町で開催された「にしぴりかの映画祭」に

実行委員兼ゲストスピーカーとして参加してきました。

 

 

見渡せば、知らないことばかりのこの世界

 

このキャッチコピーの映画祭。

 

1日目は、「獄友」と「道草」。

「獄友」は、殺人犯という濡れ衣を着せられ、人生の長い時間を獄中で過ごしてきた5人の男の話。

 

「道草」は、自閉症と知的障害があり、自傷・他害といった行動障害がある人の話。

 

2日目は、LGBTをテーマに「11歳の君へ」「恋とボルバキア」

「11歳の君へ」は5人のろう・難聴LGBTの恋愛や学校生活、家族や職場を取材したドキュメンタリー。

 

「恋とボルバキア」は、それぞれの登場人物の切実な恋や生き方が生き方の枠を溶かしていくようなドキュメンタリー。

 

上映会の後には、それぞれの作品の監督やゲストによるトークイベントもあり、本当に濃厚な2日間でした。

「映画祭」は全国で沢山ある中で、にしぴりかの映画祭は決して大規模とは言えない素朴なものです。

でも、その中で上映される作品や話される内容は、きっとどの映画祭よりも濃密で深いものだと感じています。

 

特別な事ではなく、当たり前のことが当たり前ではないことを気付かされ、考えさせられる2日間。

とかゆう私自身もこの映画祭を通して、沢山のことを考えさせられました。

 

自分がいま、過ごしているこの瞬間に、様々な事が起こっているということ。

平凡に昼寝をしている時間に冤罪で死刑にされてしまっている人が居たり、

「障害」という理由で外にも出られずに、その苛立ちや、やりきれない想い、ストレスを

どう晴らしていいかもわからずに、爆発させてしまい、周りからまた誤解されてしまう人が居る事。

難病を宣告されて、その恐怖や不安と伴走しながら、前を見つめて生きている人が居る…。

 

私達がただ、当たり前の様に何の変化もないと過ごしている日常は、本当にこの映画祭の

キャッチコピーのように 「見渡せば、知らないことばかりのこの世界」 であるということ。

 

知ろうとしなければ、誰かの辛さや悲しみ、孤独、苦しみ、何一つ分からないままになってしまい、

逆に知ろうとすれば、たとえ小さなことでも、何かを変えられるかもしれないということ。

 

そして、「障害者」「LGBT」「監督」「病気の当事者」「ろう・難聴」そんな肩書や固有名詞ではなく、

目の前の人と向き合うということ。

 

人は何かにつけてラベリングをする。

そのラベリングは決して悪いことではありません。

時に便利なことだってあります。

だけど、同じ障害を持っていたとしても、同じLGBT当事者だとしても、同じ病気だとしても、

同じ職業の人であったとしても、目の前に居る人はたった一人しかいなくて、

それぞれみんなが違うということ。

それぞれの人達と「個」として向き合わなければ、何も生まれないし、何も解決しないし

知ることも、分かり合うことも出来ないこと。

 

逆を言えば、例え、専門的な事を始めは知らなかったとしても、

目の前の人と真剣に向き合うことで見えてくるもの、互いに通うことが出来るということ。

当たり前のことだけれども、私たちはこの当たり前のこと程、時に忘れてしまいがちであるということ。

 

子供とパンやクッキーを一緒に売って、

知らない人達と同じ映画を見て、

初めて会う人や普段の生活では決して会うことの無いような人たちと話して、

食べて、飲んで、笑って、考えて…。

 

本当に充実した2日間でしたハリネズミキラキラ

 
お久しぶりの投稿になりましたキラキラ
柊咲です爆笑
 
今日は仕事でのある事をきっかけに自分の性格について
雨に濡れながらの帰宅路で考えたことを少し書きます。

 

まず、いきなりですが。。。

 
①基本的にめんどくさがりです。
 
②基本的に省エネで生活していたい性分です。
 
③「強制的にやらされること」全般が大嫌いです。
 
④一方的に怒られて言い分を聞いてもらえないと、拗ねます。
 
⑤「責任」「普通」「当たり前」という言葉が嫌いです。
 
⑥自己肯定がなかなか出来ないので、否定ばかりされると
ネガティブになってしまって縮こまってしまいます。
 
⑦意外に口下手で誤解されることが多い。
 
⑧何かのきっかけで仕事スイッチが入って自分から「やろう!」と、
なると納得がいく形になるまで熱中して取り組む。
「ほどほどでいいよ」と言われてもスイッチが入ると、こだわってしまう。
 
こんな性格を何となく汲んで、待ってくれると頑張れる。
だけど、大抵
「あいつは変だ」「何考えているかわからない」
「自己中だ」「わがままだ」といわれるから、ヤル気も気力もなくなって無気力になる。
逆に、そんな自分の極端さも含めて長所だと褒めてもらえると、自分の欠点を少しでも改善して頑張ろうと思える。
 
こんな感じの人間です(笑)
社会人としてどうなの?
それじゃ、社会人としてはダメじゃない?
ワガママじゃん、と思われるかもしれませんが、
基本的にこれが私の性格です。
 
そんな自分の性格を冷静に自己分析をしてみてわかること。
それは、語弊があるかもしれませんが、
ある意味「障害がある」と言われる人と大して変わらないということ。
 
この人に出来る事。
この人に出来ないこと。
苦手な事や得意な事。
この人の習性や性格、癖。
それを周りが理解さえしてあげれば、「障害」なんて存在しないんじゃないかと。
 
ちょっと周りよりも我が強いとか、
ちょっと周りよりも理解が遅いとか、
大半の人が10出来るときに8.5しか出来ないとか。
そんなの多分きっと、誰にでも当てはまる。
それに寄り添ってあげれるかどうか。
フォローできるかどうか。
 
ただ、それだけじゃないかなと。
 
「あいつは障害があるから」
昔ほどじゃないけど、そんな言葉を今でもやはり耳にするし、
気を付けてはいても、自分自身も時々、無意識で
思ってしまうことがあるかもしれない。
 
だけど、そう思う前に「自分はその人を理解しようとしたか」
「その人の良いところを見つけようとしたか」
「その人に伝わる工夫をしたか」
を、考えてみると案外大抵、自分にも非があったりもする。
「イラッ」としたときは考えられないことでも、
一度冷静になってみると100%相手が悪いことなんて存在しない気すらする。
 
イベントで仲良くなったある方の言葉を借りると
「逆に障害が一つもない人なんて一人もいない」
人間誰しも得手不得手があるのだから、
周りと違うことを、周りが当たり前に出来る事が出来ないことを
「障害」というのならみんな何かの障害を抱えて生きている。
 
だけど、それが目立たないのは「そうゆう人」「あの人はこうゆう人だから」
と、自分に落とし込んで生活しているから。
 
私は今の仕事を始めてからそのことを本当に痛感する。
私の抱えている「障害」は
 
・性同一性障害であること
・最初に書いた通り、面倒な面が沢山ある性格である事
 
このことで今まで就いた仕事でもプライベートな人間関係でも、
嫌な思いも、やりづらさも、生き辛さも感じていた。
少なくとも、「自分らしく」を保つことが本当に難しくて、
物凄く悩んだ。
 
だけど、今の仕事に就いてから直属の上司のお陰で
私は自然に「俺」で居られるし、
自己肯定感が全くなかったところから、自分の得意な事や
やりたいことが少しづつだけど、分かるようになってきた。
 
それは、いまの上司Sさんが、この面倒な正確な私を
「俺」として丸っと受け止めて向き合ってくれたから。
 
だから、自分がSさんにしてもらえたように
今度は自分がSさんの様な人間になりたい。
「障害」なんてある意味無いようなもんだ、と証明?したいと思える。
 
 
 
 
 
 
子供向けアニメNARUTOのテーマ曲になった
PUFFYの歌で「誰かが」という曲がある。
****************************
誰かが泣いてたら 抱きしめよう
それだけでいい
誰かが笑ってたら 肩を組もう
それだけでいい
誰かが倒れたなら 起こせばいい
それだけでいい
誰かが立ったなら ささえればいい
それだけでいい
everybody needs somebody
****************************
 
ホントにこの通りなんじゃないかなと。
「伴走」したら大抵のことは、解決する。
きっと、物凄く疲れるかもしれないけど、
それが出来たら、
きっとみんな笑えるんじゃないかと。
 
誰かを笑顔に出来るのは
「大きな特別な何か」じゃなく、
一人一人にできるほんの些細な言動や
寄り添い、伴走なんじゃないかと星星空

そして迎えた講演会当日。

私の番は一番最後。

 

会場入りから緊張はMAX。

(ふぁああああああああああ!!ショック滝汗滝汗

 

やっぱり人前で話すことは何度経験しても

慣れないもので、緊張は高まるばかり。

しかも、予想とは裏腹に会場は満席状態。。

満員のお客さんを前にどんどん高まる緊張。

 

だけど、この危機もまた、嬉しい奇跡が、

解決してくれたのです。

 

開場時間数分前。

1人、また1人と来場してくれた知人。

当日確実に来てくれると連絡をくれていた人は3人。

その3人の顔を見て少しほっこり。

「いつも通り、佐賀さんらしく。」

そんな言葉に励まされて少し緊張が解け。

それでも、やっぱり緊張する…

そうおもっていよいよ、この休憩が終わったら

出番だ!というとき。

「あれ?」

「えっ?」

「あれ??」

1人、また1人と知り合いが会場に。

最終的に駆けつけてくれて知人の数7人。

その中には去年の盛岡講演でお世話になった人も!

「佐賀さんが講演会するなら見に来なきゃ」

そう言ってくれた方。

 

その時実感した「一人じゃないんだ」という気持ち。

 

 

壇上に上がるときは、いつも一人。

話すのもいつも一人。

だから想いが伝わるかも不安。

不安な気持ちも一人。

 

だけど、少なくともいま、こうして駆けつけてくれた知人は

いろんな場所で自分が言った話、言葉が伝わって、

今こうして応援してくれている。

見守ってくれている。

だから、大丈夫。

きっと大丈夫。。

壇上では一人だけど、一人じゃない。

 

そう思ったら、自然と緊張の糸が緩みました。

 

そして、自分の伝えたい事、

話したい事、全部を一つ一つ言葉に込めて、

一生懸命伝えさせていただきました。

 

予定よりも長い時間を取って話してしまいましたが、

それでも真剣な眼差しで話を聞いてくれたお客さんたち。

話を聞きながら涙を流す人たち。

頷きながら聞く人。

私のその日の精一杯の力を出し切って伝えて、

それを真剣に受け止めようとする人たちの気迫。

 

来てよかった。

引きうけてよかった、

心から感じました。

 

閉会の言葉の後、

続々と私の周りに集まってくれたお客様方。

 

「抱きしめてあげたい気持ちになった」

「自分の孫のことを思い出した」

「応援したい」

「ありがとう」

「生きててくれてありがとう」

 

終わった後に貰った沢山の言葉。

 

私に大きな何かを変える力はきっとないけれど、

それでも、あの時間は、ほんの少しでも

何かが動き始めたようなそんな気持ちになりました。

「田舎だから理解されない」

「田舎だから理解しようとする人なんていない」

そうじゃない。

 

少なくとも、この会場に来て涙を流した人の涙の意味や

「ありがとう」の意味。

「孫を思い出した」といった言葉の意味。

 

この日のお客さんたちが、この先どこかで何かを少しずつ

動かして、いつか田舎でもLGBT当事者が生きていける

居場所を見つけられる日が来るんじゃないか…と、

希望を持てたような、

そんな気持ちで終わった紫波町講演会。

 

 

紫波町に着いて。

まずは宿泊先にチェックイン。

 

チェックイン時に定番の利用方法を一通り説明されたのですが、

その時、大浴場の説明がありました。

なんてことない普通の説明だったのですが、

私は手術もしていないFTM(女性→男性)のため、

いつものことではあるんですが、ちょっと残念な様な

そんな気持ちを抱いて、宿泊する部屋へ。

 

部屋の中で悶々とまた考え事。

そして思った

(本当に、このままただ、いつも通り普通に

講演会をして帰っていいのだろうか…)

 

 

そんなことを悶々と考えながら

夕方、当日の打ち合わせのため会場へ。

 

会場で役場の人にあいさつを済ませて、

ご飯に行きましょう!となったとき、

私はふっ、とある提案をしました。

 

「食事に行く前にお願いがあります。

無理なお願いかもしれないし、

失礼かもしれません。

でも、どうしてもやりたいことがあります。

宿泊施設でカミングアウトをして、

男湯の大浴場を使わせてほしいと言ったらどう対応するか

試させてください!」

 

この提案をしたとき、多分、これが私がずっとホテルで

悶々としていた原因だと確信したんです。

 

このまま普通に講演会をして帰っていいのか…

そう思ったのは、役場の人は自分を呼んでくれた側だから

LGBTを少しは理解している。

だけど、他の人は知らない。

だから伝えるんだけど、でも、それで当日伝えて本当に

大切な何かが伝わるんだろうか…。

役場の人だけにアンケートを取って、それで本当に

それだけを当日参考資料にしていいのか…。

ちがう!

抜き打ちで何も知らない人にカミングアウトして、

生の反応を見てこそ実際の状況が分かるし、

リアルなんじゃないか…。

相手も色々と考えるきっかけになるんじゃないか。

翌日話す人の心にも響くんじゃないか。

親近感がわくんじゃないか…。

 

そんな想いを胸に役場の人に頼み込んで、

この実験をさせて頂くことにしました。

 

 

…とはいうものの。。。。

言った矢先から、宿泊施設に向かうまでの数分間。

一気に不安に襲われたのは言うまでもなく。(笑)

宿泊施設の入り口で隠れて待つ役場の人を背に

気合を入れてフロントへ。

 

計画通りフロントに行き、

カミングアウトをして、男湯の大浴場を使わせてほしいと

頼みました。

もちろん、ダメ元です。

始めに話したフロントの女の子は、鳩豆状態で固まってしまい、

偉い人に対応交代。

そして出てきた責任者の男性。

「本日は予約でいっぱいでして…」

この言葉から始まった瞬間、ダメを確信しました。

(そうか、そうだよな。うん。でも物腰柔らかいだけでも救われた。)

そう思っていたら、その人にまだ準備中の大浴場側へ

連れていかれました。

 

???????キョロキョロアセアセアセアセアセアセアセアセアセアセアセアセ

 

すると、その責任者の方は申し訳なさそうに話し始めました。

 

「提案なんですけど、例えば23時までの営業なんですが、

その後に私が誰もいないことを確認します。

そのあと、貸し切り状態で男湯をご利用いただくのはどうでしょうか?

利用が遅くなってしまって申し訳ないんですけど、

どうですか??」

 

 

「えっ…」

 

今度は私は鳩豆状態。

「いいんですか??!!!?」

 

「はい、ご利用いただく方には、少しでも気持ちよく使ってもらいたい。

だから、私たちに出来る事があれば何でも言って下さい。

力にならせてください。」

 

私はしばらく状況が理解できませんでしたが、

心から感謝が込み上げてきました。

心の底からの「ありがとうございます。」

 

その後、宿泊施設の入り口で隠れていた役場の人に

結果を報告して、みんなでネタバラシ。

 

その後も責任者の方はニコニコ笑って、

「せっかくだから本当に使っていいですよ?

食事楽しんできてくださいね。

お待ちしています。」

 

 

その後、私は役場の人と食事を済ませた後に

人生初の念願の男湯を体験できたのです。

 

温泉施設のような豪華な造りなわけでもない。

一般の方から見たら、大袈裟だと思うでしょう。

だけど、私にとってはとても幸せな。

本当に心から嬉しい出来事。

 

風呂上がり、

宿の外へ出て、一服しながら見上げた空には

何年かぶりにみる空一面に散りばめられた満点の星空。

地元に居る頃も、こうして肌寒い夜に1人、

空を見上げていたことを思い出しながら、

いつかこんな幸せな気持ちで、

地元で空を見上げる日が来たら…

そんなことを思いながら、部屋に戻り、

前日は眠りにつきました。星空星