たまに言われることがある。
「自分もいとじゅんみたいな影響力のある人になりたい」
そう言われると、なんだかこそばゆい。
正直、自分に“影響力”なんてあると思ったことは一度もない。
たぶんそれは、自分が思う「影響力」と
人が言う「影響力」が、そもそも違うものだからだと思う。
自分の中で「影響力がある」と言えば、
堀江貴文さん、ひろゆきさん、ヒカルさん、朝倉未来さん、石丸伸二さん。
インフルエンサーだったり、実業家だったり、政治家だったり。
名前ひとつで多くの人を動かせるような存在。
右って言えば右へ。
左って言えば左へ。
その人の言葉や行動に、周囲が連動するような力。
それが“影響力”だと思っていた。
だけど、自分にはそんなものはないし、
そもそもそんなものが欲しいとも思わない。
右でも、左でも、上でも、下でもない。
誰かを導くために生きてるんじゃなくて、
ただ、目の前の誰かをちゃんと見て、寄り添って、関わって、見守るだけ。
気づけば影響を与えていた、なんてことがあるかもしれない。
でも、それは「狙って得たもの」じゃない。
たとえば夜空カフェで、
昨日書いたみたいに誰かの人生の一コマに関われたとしたら、それはただ“場を続けてきた”結果であって、誰かを変えてやろう、なんて思ったことはない。
企業や学校、送り出し機関や建設現場でも同じ。
今やってること全部に言える。
「影響力」はなくていい。
自分が光ろうとしなくても、
まわりのみんなが輝ける場をつくればそれでいい。
自分の言葉じゃなく、
“みんなの笑顔”が周囲を照らしてくれれば、それが一番。
だから、誤解を恐れずに言うと──
自分にとって「影響力」とは、“狙って得るもの”ではなく、“積み重ねの結果として、気づけば誰かに伝わっているもの”なんだと思う。
それがどこまで届いてるかは、自分にはわからない。
でも、今日も誰かがちょっと前向きになれたのなら、それで十分。
みんなが輝けばそれでいい。
自分はただのチキン野郎。
そんな自分にSOSを求めてくれる人に尽くすだけ。