先日、大阪市内を歩いて、ある交差点に立ち止まると、いつもは気にしていなかった飲料の自動販売機に目がいきました。すると、従来は120円だった価格が、100円となり、90円、時には50円も同じ場所で見かけました。
 この先、いくらになるのかと思いましたが、それ以上に驚いたのは、辺りを見渡すと自販機の設置台数の多さです。目の届く範囲で数えると12台もあった。1か所の交差点で!!
 設置台数競争、価格競争、維持管理コストへのしわ寄せ、などなど、自販機がこれだけ氾濫して結果的に残るものは何かな?とつくづく疑問に思いますね!この交差点、実は決して交通量が多くはないのですが、このような状況は気を付けて見ると、程度の差はあるもののどこにもあるようですね。


 そもそも自販機企業は、何のために設置しているのでしょうね?利便性は、確かに消費者にあるのですが、これだけの競争をして採算性はどうなんでしょうか?
 競争激化で採算性は悪くなる、そのため台数を増やし、薄利でも販売数量を確保しょうとする、デフレスパイラスを地で行っているようですね。結局体力勝負になるのかと思いますが、残ったものは、何でしょうか?

エネルギーやスペースの浪費、企業体力の消耗から労務費削減などが思い浮かびます。労務費の削減は安価なアルバイトや契約社員と流れ、格差社会の増長につながるのでしょう。現在社会の縮図の一端を見る思いですね(-_-)

省エネが叫ばれている今、自販機の使用エネルギーが、原発の1基や2基分??ぐらいの電力を消費しているのかなと思います。これだけコンビニが増え、街中の商店は疲弊している中、これでもかこれでもかと自販機を設置している今をどうみたらよいのでしょうか?

「企業の社会的責任(CSR)」が問われている昨今で、意外とそんなポリシーを掲げている企業が、自ら自販機競争に関わっているのかも知れませんね?もっと視点を変えた競争は考えられないのでしょうか?

そうそう、みなさんはどう思われますか? 市中でこれだけの自販機が秩序もなくばらばらに設置されている「景観」を!

 「人生、60歳から80歳が黄金期!!」とおっしゃった方がおられた。関西のこの方は、70歳を過ぎて北海道に別荘を立てられたそうです。30年40年間と長きにわたり仕事に家庭に多くの労力を払い、そしてそれらから解放され、60歳からどう生きるのか?人生をどう見るか考えるかで大きく生きる姿勢も変わるのでしょう。


 さて、考えてみると60歳から80歳の20年を、生まれてから80歳までに例えると、60歳から65歳は20歳の成人までの「青年期」、そして70歳は40歳、75歳は60歳に相当します。言ってみれば、65歳から75歳は働き盛りの「壮年期」ですね!その後の75歳から80歳は「熟年期」と言うか、次の10年20年へ備えて助走する期間と考えることもできます。


 ちなみに当方は今年65歳を迎えます。60歳でそれまでの仕事から離れて5年が過ぎようとしています。この5年を振り返ってみると、それまでの40年近いサラリーマン時代から自由の身となり、自分の意思次第でどうにでも生きることのできる身分となりました。60歳から65歳までは「青年期」との例えをするなら、これからの人生の生き方を試行錯誤で模索し、65歳以降の「壮年期」への助走の期間だったともとらえられます。

 

 2011年の新年を迎えるに当たって、一般的には65歳からは「老年期」かも知れませんが、今年は「青年期」から「壮年期」へ歩み出す1年だと考えると、「いい歳になったな~、体力気力が落ちたな~、近い人の訃報に接してこれから大丈夫かな~・・・」、などと思ってしまう自分を元気づけてくれる気がしています。


この夏、姉と福井へ帰郷した折に、墓参りと合わせて山一つ越えたところの一乗谷の朝倉城跡を訪れました。目的は、史跡見物もあったのですが、姉の子供の時から仲のよかった同郷の知人が史跡近くに住んでいるので、会えればという期待がありました。姉から、大阪を出発する前から聞いていた話でありましたが、まったくその人を知らない私になぜか二人は「会える」のではないかと言う、なんと言うか直感的な思いを持っていました。


城跡をひと通り見物後、園内のレストランで食事中に旧友と会う話となり、少ない手がかりをもとにレストランで働いている人に聞いてみたが、心当たりはないとのこと。姉はほとんど諦めていたが、さらに城跡管理事務所へ行き受付の人に聞いてみたが、分からないと言う。今回は難しいのかなと思ったが、受付の人が事務所内の土地勘のある人に聞いてくれ、直接姉と話すと所在が分かり道順を教えてもらった。目的の場所は車で5分程度で分かりやすかった。


74歳の姉にとって約50年も会っていないが、高校までの一番の友人であって田舎の家も行き来していたとのこと。二人は顔を合わせると一瞬沈黙があったがすぐに思い出し、後は昔の思い出話や共通の知人の消息など、とめどなく話が弾んだ。


後日、この話を何度か反すうして思い起こし、ふと気がついたことがあります。これはとくに珍しい話ではないのですが、会えることをほとんど諦めていた姉を差し置く形で、私が聞き回り再会を果たせたのは、福井へ行く前になぜか「会える」と言う思いが湧きあがり、それを意識していたからではないか、しかし探し回っているときは自分自身そのような意識はもたず、自ら自然と行動して実現したのではないかと言う事に気付きました。帰阪当初はあまり意識していませんでしたが、今では単なる偶然ではなく、今回の帰郷で姉は旧友に「会える」と言う思いを持ったからではないかと思うようになり、それは徐々に確信に変わってきました。