「私は、若い人が好きです!」
今日、出先からの帰りの夕方、大阪駅構内の居酒屋で一杯。
ほどなく帰ろうとしたときに、ふと隣に座った人が、
私が注文した熱燗を、同じように注文して気になり、
声をかけてしまいました?@
60歳前後?のまだ現役のサラリーマンでしたが、
気さくにお互い話してしまうことに!
話が進むほどに、あと一本と良い気分になってしましました@
いろんな話をした中で、はっきり記憶に残っているのは、
東大阪の司馬遼太郎記念館の、大変近くにお住まいの方とのこと。
その方は、司馬氏が亡くなるまで20数年同じ町内に生まれ育った
とのことで、いろんな思い出話をしてくださった。
その中の一つが、町内会での行事で寄付をお願いしに、行った時の
お話です。
まだ二十歳代の時の話だそうですが、秘書に話を任せるのでなく、
自ら玄関に出向き、要件を聞き、寄付も大きくもなく少なくもない
配慮をして、一緒に行った仲間といろいろ話されたそうです。
その時の言葉、「若い人が好きなんです」をよく覚えておられる
そうです。
私にとって、坂の上の・・でなく、雲の上の・・存在でしたが、
このようなお話をお聞きしていると、一市民として地元の方々と
同じ目線で、接しておられたのだな、とつくづく思いました。
その方は、「東大阪の誇り」です! とも仰っておられました!
大阪駅で一緒に環状線に乗り、座ってしばし話をして、私が先に降りて
プラットホームで電車の出るのを待っていると、せっかく座った席を
立たれ、ドアー近くに来られ、あいさつされ、大変恐縮しました。
別れ際に名前のみ、お互いに名乗っただけで、またお会いできるかどうか
分りませんが、大阪駅構内の居酒屋に行く楽しみが増えましたね@
子供のころからの司馬氏との、日常生活を通しての近い関わりが、
その人の生き方にも反映しているように、だぶって伝わってきました。
1時間ほどの語らいでしたが、「袖振り合うの多生の縁」とその方は
話されましたが、本当に「多生の縁」となり、またの出会いを願う夕方と
もなりました。

「ある喫茶店での出来事」                             

ここは、私がいつも行く近所の喫茶店。かなり広い店内には、10名ほど働いている。

男性は一人で、後は女性の職場。

いつ行っても気持ち良い応対で、大変居心地の良い空間。

そこに、偶然にも私の住んでいる大阪のマンションの女性(仮名:多喜絵江さん)が働いていて、先日仕事の話を聴く機会があった。

「いつも気持ちの良いあいさつや、心に響く気遣いに感心しているよ!」、というような率直な印象を伝えていると、次のような話を聴かせてくれました。

多喜江さんが話すには、自分にとって職場になぜか気に障る女性(仮名:陽子さん)が「いた」とのこと。

陽子さんは、個人的に話していると、話題も豊富で、楽しく話せるのに、グループで話していると、自分のペースでころころ話を変えたり、あまり思いやりのないコメントを返して相手の気持ちに配慮を欠いたり、また特定の人と話をしたりと、言動が気になり、だんだんと不快に思うようになっていった。

あまりに、自分のペースで周囲の空気を読まず、気ままな陽子さんが気に障って、次第に顔を合わせないように避けるようになったとのこと。

でも、陽子さんを避ければ避けるほどに、不思議と休憩時間が重なったりして、顔を合わす機会が増えてきた。そして、イライラは帰宅後も引きずり、頭から離れなくなった。

 そんな時、 ふと「何でこんなに、陽子さんにとらわれているんだろう?」と自問する自分がいた。

 

 そして、陽子さんをジャッジしていることに、自分の判断の基準と比べていることに、エネルギーの多く費やし、奪われていることに気がついた。

 そんなことに気づいたある日、他の同僚の話が耳に入った。

 「陽子さんは、楽しくて正直なんだよね、・・・」

 なぜか、この話が素直で素直な気持ちで、心に響いた。

 

 「ああ、こう言う見方もあるんや! 確かに悪気はないし、子供の正直さを持ち続けているようなタイプかも知れないな~」

 そんな思いがわいてきた。

 確かに、人はみな違う。それぞれ自分にない力を持ち、役割を担っているのではないかとも、思えた。

 そのように相手への見方を変えてみれば、ジャッジする気も手放せて、あまりとらわれなくなっていく自分を感じられた。

 そんな自分の相手の見方を変えることができた後、こんな見方も持てるようになった。

 それは、陽子さんの気ままながらも正直な部分に、何で自分は、こうも苛立った反応をしていたのかと、自分の内面に目を向けることができた。

 自分は、そのような陽子さんに比べて、「かなり自分の中の正直さを押し殺して、人に合わせてばかりいたり、また自分の出来ることを無視して、がんばりすぎていたりしていたなあ…」と、気づいた。

 ひょっとして陽子さんへの苛立ちは、自分では気づいていないことを陽子さんを介して教えられているのではないか?とも思えるようになっていった。

 そんな事があって、これからは「自分もできるだけ自然体で、自分に素直に過ごそう」と決めた。

 すると、自分の気持ちが解放されるような気持ちとなり、陽子さんへの感謝の気持ちも素直に持つことができた。

 そんな自分の思いに立つことができたある日、ふと陽子さんに声をかけられたが、以前と違って、自然に楽しく話せる機会が生まれた。

 

 これは陽子さんだけでなく、他の人たちとも、前は「いい人」を装ってがんばらなきゃ、と気を張って話していたのが少しゆるんで、また良し悪しを判断せず、おおらかに素直に会話を楽しめるようになったと感じている。


今は、きっと今までより余裕をもって、これからの人生において、人との関わりを楽しんでいけるのではないかと思っている。

多喜江さんの内面にそんな変化が起こってすぐに、陽子さんは、事情で退職していった。


陽子さん、本当に心からありがとう。

(終)

数年前に松田聖子さんと中島みゆきさんが、化粧品のコマーシャ
ルに登場された時は、その意外性に大変驚きました。

 ご存知と思いますが、化粧品は富士フイルム社製です。当初多く
の方は、フイルム会社が化粧品??とその意外性に驚かれたと思い
ますが、この意外性を松田さんと中島さんの意外な組み合わせによ
って、和らげる戦略だったかもしれませんね?

 それはともかく、自社の主力製品が衰退する中、蓄積された技術
を他の分野に展開し、売り上げを伸ばしているというのはすごいで
すね。
...
 今朝のアメリカのコダック社の破綻のニュースを見て思いました


 学生の頃、あまり普及していなかったカラー写真フィルムは、な
んと言ってもコダックという神話めいたものがあって、懐かしくも
ちょっと淋しいですね