前略、お酵母さん。
冷蔵庫に野生酵母さんがいるとうれしい。
リンゴの酵母と昆布の酵母。
<野生酵母の育て方>
まず、煮沸した「ビン」と酵母菌をつける「具材」、そして「水」を準備する。使うのは、これだけ。
具材は季節の野菜など何でもいいみたいだけど、まずはリンゴや昆布から始めてみよう。
① ビンの中に、適当な大きさに切った具材をフタのギリギリまで投入。
② そこに、水をあふれるほどいっぱいに入れる(水は水道水でもいいけど、地下水とかミネラルウォーターの方がいいと思う)。
③ 空気が入らないように注意して、フタを閉める。きっちり締める(ここがとっても重要!この時点では、ビンの中にはいろんな野生菌が入ってしまってる。各種腐敗菌まで・・・)。
④ 冷蔵庫で3~5日保管(この間に、いろんな菌類の中、まずは「低温で空気がない状態」に強い乳酸菌が増殖。ビンの中の悪玉菌?雑菌?を食べてくれる)。
⑤ 常温に戻して2~3日(次第に勢力が、乳酸菌から温かいところが好きな酵母菌に移っていく。やがて、酵母菌ばかりになる)。
*さあ、この状態でいろいろ使ってみよう!
常温に戻して2日位の、フタを開けるとちょっと「シュワッ」っていうくらいのとき(乳酸菌と酵母菌が拮抗した状態)は、甘酸っぱい感じ。そのまま飲んでもいい。
1日1回は開けて様子を見ながら・・・ビンからあふれるほど「シュワシュワ」する頃は、酵母が一番活躍しているハズ。
酵母は、具材を食べて、どんどんアルコールと炭酸ガスを出して、増えている。料理にも使いどき。なんとも言えない滋味があるんだな。まだ試してないけど、パン酵母にもなるみたい。
⑥ その後は、冷蔵庫の中でゆっくり熟成しながら、ときどき常温に出して味を確認。そのうち、酵母の作ったアルコールをエサにして、酢酸菌が育っていく。
⑦ 具材を取り出して冷蔵庫内で熟成させると・・・やがては酢に!
目には見えない。けど、もののけのように、野生酵母はそこいらじゅうにいるんだなあ。
チキン・ミッシェル3週目。
鶏たちはその後、一応元気だ。“一応”っていうのは、実はまた1羽、ちょっと元気がない子がいるから。
この子たちがだいだらぼっち(仮名)に仲間入りして早3週間。生後約1カ月というところだろうか。体つきも大きくなって、白っぽい産毛に混じって茶色いしっかりした羽が増えてきた。
ところが、面白いというか当り前というか、体格や成長具合にはかなり差があるのだ。目に見えて成長している子が数羽いる一方、ほとんど大きさが変わらないような子もいる。
左下にいるのが一番チビで、最近元気がない。
生き物なのだから、よく考えるまでもなくそれは当り前のことなんだけれど、成長がそろっていないと、やっぱり見ていて心配になってしまう(元気ないのかなあ、とか)。
そして、これが「生産業」として「扱うモノ」なら、成長の度合いや規格は、当然比較にならないほどの厳しさで重視される。
不揃いでは確かに不具合が大きいから、特に大規模・集約型になるほど、あの手この手で成長を人工的に操作する。
過密なゲージに詰め込み、光も新鮮な空気も遮断し、卵を産むために最も効率のよい餌と薬のみを与え続ける“通常の養鶏”は、知識では知っていても、実際の“肉や卵を生産する現場“を目にすると、やっぱり「怖い」景色に感じる(そして、現在発生している新種のウイルスの多くが、そういった集約型畜産の場から発生していることは、もっと広く知らされるべきじゃないか)。
けど、“一定期間”で“同規格”のモノを“規定量”生産することを絶対条件とするのは、畜産業に限らない。農業も当然、同じだ。
北海道の代名詞ともいえる広大な「ジャガイモ畑」とか「トウモロコシ畑」とか、あれはちょっと視点を変えてみれば、ゾッとするような“不・自然”で“人工的”な景色だ。
そこまでいかなくても、農地ってのはそもそも“自然”ではない(生態系としてもものすごく不安定な上に、個々の生物体として弱いから、薬づけにしなきゃならないのも同じ)。
種子の発芽だって、不揃いだと「異常か?」ってつい思ってしまうけど、本来生物的には、不揃い=多様な方が良いはずなのだその方が様々な環境で生き残っていける。揃いがいいってことは、簡単に滅亡するってことだから。
そこらへんの感覚が、僕らはもう、狂ってしまっている。
正しいとか間違いとかじゃない。そんなことは決して言えないし、答えなんてない。けど、せめて何が“異常”な状態なのかはわかっていたいと思う。
農業に対し、安易に「自然」なんてイメージをかぶせるべきじゃない。“農業(含畜産)は基本的に「不自然」であり、「反自然」”だ。
そこを自覚した上で、どういう方法で自分たちの食べ物を得るかを考えたいと思う。
つまり、“自覚と覚悟”を持ちたい。
・・・話が大きく飛んでしまった(鶏も結構、飛ぶよ!)けれど、てなわけで、成長がマチマチなのは、だいだらぼっち(仮名)としては悪くはない。ただ、1羽、あまりに成長が遅くて元気がない子がいて、餌もあまり食べないし、動きも良くないし、やっぱりかなり心配なのだった(でかくてよく食べる子は何故だか好奇心も強くて人なつこく、小さくて弱いのに限って非常に怖がりなのも、面白い半面、自然のシビアな一面を感じさせられる)。
何にせよ、ゆっくりでいいから、みんな元気で大きくなりますように!
*蛇足。10羽くらいまでの少数飼いは、個体識別できちゃうのが(最後に食べることを考えると)つらい。だから、(ペットではないし)個体には名前はつけず(個体識別もなるべくしないようにして)、全体をチキンと呼ぶようにしている。チキンは鶏にあらず。チキン=鶏肉だ。そして、チキンと言えば、梅図かずお『14歳』の「チキンジョージ」か、ミッシェルガンエレファントのアルバム『チキンゾンビーズ』しか思いつかなかったので、彼女たちの名前は「チキンミッシェル」ちゃん(さすがに“ゾンビーズ”はないな、と良識ある判断をした私)。
メメント・モリ。
今朝、ヒヨコが1羽、死んだ。
原因はわからない。
朝、水と餌をやっているとき、大騒ぎしているヒヨコの中、1羽だけが目を閉じて、眠るようにじっと座っていた。気になって抱えてみると、抵抗もせず目も開けず、眠っている。
まだ温かく、かすかな動きもある。が、かなり深刻な状態であることは素人の僕にも感じられた。
思えば、一昨日の夜、1羽だけが少し離れて眠っているのを何となく妙に感じた記憶がある。
昨日一日は、どうだったろう?何となく元気がない子がいる気もしていたような・・・わからない。
実はここ数日、かなりバタバタと忙しく、余裕がなかった。毎日朝夕は餌と水の減り具合を確認して、足していたし、(部屋にヒヨコ箱も置いているので)1日何回かは様子を見ているつもりだった。
昨日もそうしていたつもりだった。・・・けれど、気づけなかった。
原因はわからない。でも、完全に僕のミスだ。
早く気づいたところで大したことはできなかったかもしれない。でも、死の間際になるまで感づいてあげられなかった。何もしてやれなかった。
そもそも、僕は卵をもらう(奪う)のに加え、最終的には食べるつもりで彼女たちを飼っている。つまり、命を支配し、いずれはこの手で殺すのだ。
けれど、だからこそ、“その日”が来るまで、真剣に彼女たちと付き合いたいと思う。
そう。生き物と暮らす以上、どんなに忙しかろうと、どんな理由があろうと、生きてる彼らにちゃんと向きあってなきゃならない。
だから、胸が痛いな・・・。
あまり関係ないし、不謹慎かもしれないけれど、勤めている老人ホームで、担当している老婦人が亡くなった。
多少認知症はすすんでいたものの、会話はしっかりしたものだったが、体はここ数か月でどんどん衰え、寝ていることが多くなっていた。
数か月に1度来る親族に会う以外、彼女の世界はあの老人ホームだけになっていた。外に出ることもほとんどなく、窓の外に目を向けることもほぼ皆無だった。
そして・・・亡くなった。
ヒヨコも、あのばあちゃんも、肉体を構成していた物質はやがて分解され(まあ人間は悲しいかな焼かれてしまうのだけど)、土に、大気に拡散されていく。そしてまた、何かの一部になるのだ。そう遠くない未来には僕だって・・・。
それだけのことだ。
けど、彼女たちとひと時の時間を過ごしたことをやっぱり嬉しく思う。
そして、死ぬまでのもうひと時に、自分が何をしようかと考える。
結局は、だいだらぼっち(仮名)として、喰って糞して寝て動いて・・・を繰り返していくだけなんだけどね。
カビゴン、味噌を喰らう。の巻
久しぶりに味噌の具合を確認したら、色とりどりのカビが生えていた!
もともと入ってしまう雑菌に加え、後から昆布を入れたときにたくさん混入してしまったんだろう。
×100くらいの倍率にして見てみたい。
彼らもまた「創作団だいだらぼっち(仮名)」のメンバーだし、何ていうカビなのか調べてみたいところだ。・・・けど、やっぱりちゃんと味噌ができないのも困るので、煮沸したスプーンで表面を削り取り、上に塩をふっておいた。
これでうまくいくといいんだけど・・・。
「未曽有の味噌」自体はまだまだ未熟。3ヶ月後くらいにはいい塩梅になるかな。
取り除いたカビ付き未熟味噌、何かに使えないかなあ。ボカシ肥に混ぜてみようか。
「バイキン」って言葉、好きだなあ。
黴菌=黴(カビ)と菌、でしょ。
なんでキタナイもの、ってイメージなんだろう。
食べられちゃった・・・
1週間ほど前から「大豆の芽がようやく出てきたなあ」と思ってたのだけれど、なかなか続かない・・・とボンヤリしていたら、気づくと全然なくなっていた。
どうやら、タネバエにやられたらしい。
こんなふうに喰われていたり・・・
9割ほどがやられているので、仕方なく播種しなおした。
タネバエは未熟な有機物を嗅ぎつけてやってくるらしいけど、撒いた鶏糞が原因だろうか。
ともかく、今さらどうしようもないので、対策として播種後に不織布をかけてみた。
ただ、あんまり不織布を使いたくないので、もう一ヶ所はイナワラで覆ってみている。
効果のほどはいかに・・・?
遅れ気味・・・う~む。
(5月末の「栽培日記」より)
畑作業は遅々として進まず、どんどんズレ込んでいる。まいったなあ。
稲や麦類、雑穀(ヒエ、イナキビ、タカキビ)の播種はようやく終えた。
けど、今借りてる畑は、腐食のほとんど無い粘土質で、でかい石もごろごろ出てくる。土中はねっとり、表面はすぐに乾いてバリバリ、コンクリートみたいになる。風もかなり吹きつける。
「砂漠の民」はこんな感じかなあ、なんて思いながら、ホウで畦を切り、穴をあけて種を播く。
(あんまり使いたくないけど)
マルチしないとこも作ったので、比較してみたい。
ここら辺の田植えは、もうとうに終わっている。
田植え機でほんの数分の作業を何時間もかけて手作業でやっている有り様。
地面に這いつくばって石を除き種をまく姿を大型トラクターに乗ってる農家の人が目にしたら、見下ろしてきっと笑うだろう。「遊びはお気楽だね」と思うかもしれない。
まぁ、「遊び」かもしれない。でも、彼らの考えるような「遊び」とはきっと違う。
化学化・機械化して化石エネルギーを浪費することによって成り立ってる今の農業が、「効率」を追及しているように見えて、実は(経済という観点を除くと)非常に非効率な方法であることを考えると(エネルギー収支では、投入した3割程度しか生産性がない、という説もある)、せめて自分の喰う分はできるだけ手で作りたい、と思う(だいだらぼっちの団員の力を借りてね)。
・・・とはいいつつ、播種しながら、「芽が出る気がしねえ」とぼやいてるのも事実。
せめて雑穀は、鶏のエサがまかなえる程度獲れるとといいのだけれど。
だいだらぼっち(仮名)は考える。
なぜ、だいだらぼっち(仮名)は創作「団」なのか?
それは、独りじゃないからだ。
僕がつくってんじゃないからだ。
栽培も、飼育も、酒づくりも、漬物づくりも、味噌づくりも全部、僕の力でやってることではないんだな。そこらへんをニンゲン様はつい勘違いしてしまう。
別に、ニンゲン以外のものを崇拝する気はない。
「神秘」と表現する気もないし、「地球は一つの生命体=ガイア」なんて考え方もあんまりピンとこない。
けど、目に見えないもの(微生物とかね)の存在を感じ、意識することで、世界の見え方は変わると思う。
別々の存在・別々の生き物が勝手にやってることが、絶妙にかかかわりあっているってこと、そしてそれがなんだかお互いに割合いい塩梅で調和してるってところが面白いじゃないか。
生態系の循環システムの精選された合理性・・・!合理的なものってのは、本来美しさを備えてるんだなあ、と思う。
栽培するにしても、植物を単なる「作物」として見るか「生き物」として見るか、で、この行為の面白さはまったく違うものになるんじゃないだろうか。
ニンゲンが欲する「作物」があり、「雑草」「害虫」「益虫」と呼ばれる存在がいる。「害獣」とされる動物や「大して気にされない動物」がいて(「保護される動物」なんかもいて)、「植物残渣」や「糞」や「遺体」があって、まさに無数の「土中生物」がいる。「土」と「水」を介して、様々な物質が循環している。
すべてが結びついて、かかわりあっている。
そこに“神々しさ”を感じる必要なんてない。だけどやっぱり、wonderは感じずにいられない。
農「業」がつまらなくなってくのは、お金のことしか考えないからだ。
産業としての農業は、土を「養分の入れ物」としてしか見られない閉じられたSenceにしてしまう、と最近強く思う。
「種(タネ)」という、植物の巧みな戦略!
生態系を多様化・複雑化し、豊かに回復しようとするたくましき「雑草」の働き!
「水田」のミネラルを鮭が遥かアラスカの海から運んで来ているという、壮大な旅物語!
ゆがみがあったり、いびつなものもあったり。
「個体差」や「体調」はいつだってマチマチだから。
…っていう当たり前のことすら、スーパーで買う卵は忘れさせてくれる…。
「農」には、この世界のブラックボックスを覗くチャンスが、いくらでも転がってるっていうのに・・・。
「食」や「農」にかかわる世界は、まさにWonderで満ちてるっていうのに・・・。
だから僕は、「創作団だいだらぼっち(仮名)」一員でいたいと思う(まあ、もっと言えば、「創作」ってのもニンゲンの勝手な考えであって、彼らは「ただ生きてる」にすぎないのだけれど。そのあたりもまた面白いね)。
*(仮名)なのはホントに名前を確定してないから。
「名前」はそのものを世界の中で“(意識上)浮かび上がらせる”し、あった方が何かと便利だからつけるのだけれど、確定する必要もないと思ってる。そもそも曖昧なつながりだし、まぁどうだっていいんだな。
そういう意味での(仮名)。
答えは・・・・・・
危険な食卓。
「食の安全・安心」なんて、もううんざりなんだな。
第一、「安全」と「安心」をひと括りにするなよな。
「安全という状態」と「安心という感情」は、まったく別の問題でしょ。「安全」な食べ物だって、それでほんとに「安心」できるかどうかはわからない。だって、感情の問題だもの。
あんまりにも空っぽで商業的すぎる言葉の使い方に、呆然としてしまう(高橋知事が、「安全・安心な北海道産品を!」なんて言うのは、いったいどこまで本気なんだろう?)けど、まあ、農「業」は産業であって経済活動だから、大事なのはイメージだけなんだろうけどね。
♪イメージがあればいい~♪、ってね。
そもそも、だ。
食に「安全」とか「安心」なんてあんのかな?
生きてるモノにとって、「喰う」ってことは、本来、常に「危険」と隣り合わせの行為じゃなかったの?
「安心して喰う」なんてことをさも当たり前とする感覚こそ、ズレちゃってるんじゃないのかな?
「喰う」ってのは、自分が生き延びるために相手を殺すこと。
そして、体内に異物を入れること。
それは決して「安全」でも「安心」でもないキワドイ行為じゃないのかい?
もともと生き物には、「喰えない危険=飢え」だって大いにあるはずなんだし。
狩猟・採取・栽培・飼育、そして加工、保存。
それらは必ずしも、「安全・安心」な行為じゃない。それらを経て体内に取り入れるコトもまた、本当は決して油断してはいけない。
だから、僕らは少しでも危険を減らすべく、知恵を働かせなきゃならない。
それが人間だったはず。
添加物がいや?農薬がいや?
本来やるべき「喰う」為の前段行為をぜーんぶ他人まかせにしといて、「安全」や「安心」を求めるなよ、と思ってしまう(同時に強く自戒する)。
それは「生きてる」ことを他人まかせにしてることじゃないか(同時に他者に「死」を委ねてることでもあるだろう)。
不可欠な、当り前の、日常の風景。
「喰う」ことの「危険」を思い出したい。
それは自分の手を知恵を感性をフルに使うことであり、命に向き合うことだ(そして、だからこそオモシロいんだ)。
自分を完全に家畜化してしまう前に、手放しちゃった「危険な食卓」を取り戻していこう。
ニューフェイス!
だいだらぼっち(仮名)に新しいメンバーがやってきた。
常々お世話になっている東川の「ファーム・レラ」さんより譲っていただいた、その名も「チキンジョージーズ」。
12羽のヒヨコ、ピヨピヨいっております。
か、か、かわいい・・・。
彼女たち(全部メス)は、数ヵ月後には美味しい卵をつくってくれるハズ。
さらにその数ヵ月後には、チキンになってくれる予定、なんだけれど・・・。
はたして、僕はこの子たちをツブせるだろうか・・・。
すでに雲行きは怪しいのだった。
「ファーム・レラ」さんのお手伝いで、結構な数の鶏をツブしたし、それ以前にも何度か鳥をシメたことはある。内蔵の処理や肉の切り分け方も少しは上手くなった。
そして、そんな技術より何より、“肉を「喰う」以上、「命を奪う」行為やその痛みを日常に置くべきだ”、と思っている。
人に手を汚させておいて、人に殺させておいて、善良な顔して「命はたいせつ!」なんて語る人間ではいたくない。
だから、このヒヨコたちも“当然”いずれは自分で殺して、食べるつもりで連れてきた。けど・・・自分の手で育て、数か月をともにした後、彼女たちの首を自分で落とす気力が僕にあるのかどうか、正直なところ、今は(早くも)わからなくなっている。
僕が今までツブしてきた鶏たちは、言ってみれば、馴染みなく感情が薄い「他人(?)」だったのだ。だからこそできたんだと、あらためて感じているのだ。
数ヵ月後の僕が彼女たちをどうするのか(泣きながらツブすのか、それとも人にゆだねてしまうのか・・・)、それまでの経緯も含め、綴っていきたいと思う(いよいよ軽々しく肉は喰えんな)。
続・創作団だいだらぼっち(仮名)。
彼らは下積みなしでいきなり畑デビューしてしまいます。
いよいよ活躍の時です。
在来種がほしかったので、野口のタネ さん等からトレードしての入団です。
まあ、いわゆる土です。
とはいえ、“いわゆる”なんて一言ではいえない存在です。
ツッチーさんをリーダーに、無茶苦茶たくさんのちっちゃい団員がチームを組んでいるはずです。
その数は、実際無限大。
彼らが何を創作してくれるか(土の中にね)。
「苗子」ちゃんや「種子」ちゃんの成長は、彼らの活躍にかかっています。
ただ、このツッチーさんは入団してまだ間もないので、まだまだ謎めいています(実はまだ、ミミズも見たことないんだよなあ)。
団員を増やして彼らが成長することが、だいだらぼっち(仮名)の当面の願い&課題です。
コージくん、ナット―菌さん、ニューさん菌さん(←金さん銀さんみたい)、酵母さんらの手を借りて育っているのですが、具合はイマイチです。
ほんとは、そろそろ畑にドカーンとデビューして、ツッチーさんと一緒に活躍してほしいのですが、今んとこはまだまだ未熟者です。がんばれボカシックス!
いつも化石エネルギーを喰いまくってはくさい息を吐く困った存在ですが、お世話にもなっています。
顔はけっこう気に入っています。
でもなるべくは、「ケッタ」くんを使うようにしています。
毎日、かなり活躍しています。
他には「ケンサッキー」とか「エレキじゃないレエキ」とか「女郎じゃないジョウロ」などがいます(・・・って、なんでダジャレになってんだ!)。
まあ、つまるところ、農具ですね。
「アミ坊」
最近入団しました。
まだ初々しい、というかたどたどしい感じです。
とても活躍しているとは言えませんが、今後バリバリ活躍してくれることでしょう。
まあ、主に冬場になると思いますが。
今んとこは、野良の合間なんかに創作してもらおうかと思っています。
あまり歓迎してはいない、っていうか入団許可してないのに。
勝手に活躍してくれる、ありがた迷惑な存在。
でも・・・彼らがいないと、この世界は使いようのない廃棄物だらけになっちゃうんだよね。ちょっと視野を広げたら、彼らはニンゲンよりよっぽどこの世界に必要な存在。
ある意味、本当に彼らはこの世界のKing Of Kingかもね。
嫌ってゴメンよ。
*さて。彼らがどうやって入団したのか。さらに、まだまだいる他の団員たちなどは近日紹介予定。






























