今朝も散歩しました。自宅近くの藤の花が咲き出しました。この花を見ると4年前に亡くなった母を思い出します。北海道から山口に嫁いできた母は藤色の服がよく似合う人で、藤の花も好きでした。

 

2020年2月7日に母は亡くなりました。4月の下旬にこの藤の花が満開になった時のことです。花に見とれていたら、ニャーと鳴いて一匹の猫が近づいてきました。

 

         2020年の写真

 

 猫はずっと僕から離れようとしません。時々、鳴きながらです。

犬には好かれる「犬型」?の僕はどちらかと言えば猫は好きじゃありません。猫がわざわざ近づいてきたのは63年生きてきて初めてのこと。10分くらいしてから、僕はその場を立ち去りました。 

少し歩いてから振り向いたら、猫は消えていました。

 

 さて、この奇妙な体験は何だろうかと考えました。母の「属性」を既に書いているので、あることを思い浮かぶ人は多いと思います。

「母の霊魂が猫に乗り移っていた。」のだと。

 「霊魂」が存在するなんてことを僕は信じていません。

死んだら生まれる前に戻るのだろうけど、たぶん「無の世界」だと思っています。まあ、分かりっこないことです。

 その時に考えついたことは、今でも同じで変わりません。

 

「母は僕の意識の中では大切な記憶としてずっと生きている。

そのような僕の深層意識が猫の心と繋がって、このような現象を

起こす。」のだと。

 

 人間同士が五感を介せずに繋がりあっていることは自分の経験から

語ることはできます。

 「虫の知らせ」

 病状は解っていましたが、父と母が亡くなったのは急なことでした。二人とも午後に亡くなったのですが、父の場合は仕事場で、母の場合は休日で自宅で、急に「呼んでいるみたいだ」との思いがわいてきて、すぐにその場を離れて、枕元にかけつけました。父のときは車を運転中、母のときは新幹線に乗る直前に姉から連絡がきました。そして、二人とも僕が枕元に行き着いてから2時間半で息を引き取りました。

 前にも書きましたが「ありがとう」と二人に話しかけながら看取ることができました。

 他にも肉親と何かで繋がっている不思議な体験をしています。

子供のときですが、母と会話していたら、僕が話そうとしていたことを母が話しだしたことがありました。心が安らぐような経験でした。

姉とは朝、目覚めてから見た夢の話をしたら、まったく同じ夢を見て

いたという経験もありました。

 

「人間同士は五感を介せずに繋がっている」 これについてはユングが言う「同時性」、さらには「集合的無意識」に関係しているのかも知れません。まあ、ユングについては「夢分析」などは「認知バイアス」が入り込んでいるようで、僕はかなり批判的です。

 

 さて、人間同士、さらには冒頭に書いた動物同士の繋がりの原理(本態)は一体何でしょうか? 突飛ない話ですが量子力学の「量子のもつれ」に類似した現象だとか、最近流行りの「絡会」を思いつきます。

 「絡合」と、「量子のもつれ」のようなものは、つまるところ同じだと、僕は考えています。量子力学の研究者には「絡合」を研究している人もいます。

 

 生き物同士が僕が書いたように繋がりあっていることは、昔はもっと常識であったのかも知れません。「鯨の墓」を造ったとかですね。

 

ワトソン著の「エレファントム」では感動的なシーンがあります。

死が近い巨像が海岸から海の鯨と語り合っている。

 

 

 釈尊が入滅前の語った言葉。

「生きとし生けるものに幸いあれ」

 この素晴らしい言葉にも、生き物同士の繋がりが基本としてあるように思います。

 

 

 今の集合住宅ではペットを飼えません。子供のとき犬を飼って、よく一緒に遊んでいましたが、人間の子供と変わらないような存在でした。「ペットロス症候群」も生き物同士の繋がりが原因ですよね?