こんにちは、いとうです。

新潟でヒプノセラピーをしています。

 

 

 

自分の感情に向き合うタイミングは、

いつだって遅いことはない

 

って話をしていいですか。

 

 

 

 

わたしは小さい頃から、祖父に

「遠慮するな!」

って言われていました。

 

 

他の孫たちのように

なんか買って!

って自分からねだることは多分しなかったし

(わたしもついでに買ってもらっていましたが)

 

なにか使うとき、もらうときは、確認していたし

 

お盆とかに祖父の家にあがるときは、

「おじゃまします」

って言ってました。

 

 

 

だから、祖父からは

あれ飲みたい!とか、

これ食べるね!とかって勝手にしていいし、

家に入るときは

「ただいま」だろ!!!!

 

ということを何度も言われ

(いや、実際に言われたのはほんの数回かもしれないけれど)

 

すごくイヤでした。

 

 

 

 

親しき中にも礼儀ありでしょ

って思っていました。

 

当たり前のことじゃん

って、思っていました。

 

 

 

 

ふだん思い出すことはなくても

心の隅の奥のほうに、そんな思いを抱えていました。

 

 

 

そして何年か前に

この思いをテーマにヒプノセラピーをしたんです。

 

これがまた、とてもいいセッションでね。

 

 

 

そのセッションの中で、

 

いつものように祖父から叱られたわたしは

「遠慮するなって言われることがすごくイヤ!!」

と祖父に反撃しました。

 

 

 

怒りをぶちまけて、怒鳴り返して、殴りかかった。

 

祖父のお腹をボンボン叩きながら

(設定でわたしは小学校低学年位なので)

 

居間から庭に飛びだしてもなお

叩き続けたんだけど

 

祖父はそれ全部受け止めて。

 

 

 

居間から庭に飛び降りるのは

段差もあって結構あぶないんだけど

 

それもちゃんと

(わたしに叩かれながら)支えてくれて

 

 

全部の思いをぶちまけたわたしは

大泣きしました。

(ヒプノの中のわたしも、現実のわたしも。)

 

 

 

 

 

後になって気づいたことですが

 

礼儀ただしいことは、多分まちがってないし

なんなら正しいことかもしれない。

 

 

 

 

でもね。

 

 

 

祖父は、

のびのびしていいんだよ

って言ってくれてたんですよね。

 

ここではちゃんとしなくても、いいよ

って。

 

 

 

単に祖父が、やんちゃな子供が好きだった

だけかもしれないけど、

 

なんでも受け止めてくれた祖父

そう願っていたのなら、

 

 

もっと図々しくしてたらよかったなぁ

 

今は思うようになりました。

 

 

 

 

わたしは間違えたことしてないのに…

 

じゃなく、

 

祖父が望んだようにしたらよかったな

 

 

そう思うようになりました。

 

 

 

 

祖父はもうとっくに亡くなっていますが

わたしが生きている間に、このことに気づけて良かった。

 

 

 

実際、大人になっても何年も

(祖父が亡くなった後も何年も)

 

祖父はわたしに厳しかったと、

ずーーーーっと根にもっていたのだけど

 

 

 

 

あぶないとこだったな!

と思っています。

 

 

気づけて

良かった!

 

 

 

 

 

誰かを悪者にしてまで

「自分は正しいんだ」と信じることでしか

安心できない人生を

 

やめられて

よかった。

 

 

 

今は、前よりもずっとずーーーーっと

安心して生きてます。

 

 

 

 

ということで、

いつだって遅すぎることはない!

 

 

 

一生恨み続けなくてもいいかも

思ったときが、タイミング。

 

かもしれない。

 

 

 

 

 
 
 
 
ながら聴きとか、しますか?
 
みんなの人生がちょっとラクになりますように☆
の気持ちで、stand.fmはじめました。