こんばんは

 

まさよのコラムにようこそ

 

 

 

 

ときどき「先生」と呼ばれることが

 

あります。

 

O先生も、メーカーの担当Yさんも

 

他社の編集さんも、何故か「先生」

 

といいますキョロキョロ

 

なんていうのでしょうね?うーん

 

わたしなんぞ先生ではないのでね。

 

「先生」と呼ばれると身の置き場が

 

ない気持ちになります。

 

塩をかけられたナメクジのような

 

気持ちになりますチーン

 

そのことを今日ブログに書こうと

 

思って、夕方テレビを付けたら

 

議員のことをいつから「先生」と

 

呼ぶようになったのか?という

 

話題をしていて、議員を先生と

 

呼ぶことを見なおしましょうと

 

やっていて、見事なシンクロ

 

ニシティだなぁと思いましたおいで

 

 

 

世の中に先生と呼ばれる人は

 

多いけれど。

 

わたしのような仕事の者を「先生」

 

と呼んだらいけないと思いますうーん

 

まだわたしがフルタイムのOLだった

 

とき当時、細〇〇〇さんがとても

 

人気でした。

 

凄く威圧的で、そして威張っていて

 

大きな宝石の指輪やアクセサリー

 

をギラギラさせていて、わたしには

 

とても下品に見えました。

 

周りの人が、有り難がったり

 

ヨイショしていて、「先生、先生」

 

と呼んでいることが、とても違和感

 

を覚えました。

 

先生じゃないよね?うーん

 

他の人の方が、普通の人の方が

 

謙虚で、そして精一杯生きている

 

のに、なぜ先生と呼ばれてそれに

 

ふんぞり返っているのだろうか?

 

とそんなふうに思っていました。

 

はい、わたしって、性格悪いで

 

しょう?おいで

 

あなたのその贅沢は、人の苦しみ

 

悩みで儲けたお金だよね?うーん

 

もっと謙虚にならないといけない

 

わよね。

 

と、当時わたしは40代でしたが、

 

そんなふうに思ってみていました。

 

占い師やスピリチュアルカウン

 

セラーが「先生」と呼ばれることは、

 

おかしいという思いは、きっとそこ

 

から来ているのかもしれません。

 

そう思いながら、20年経ちわたし

 

ってば、本当に全然変わって

 

いないのだと、しみじみ思います。

 

何をするにも、何を思うのも

 

人とは、人となりです。

 

 

 

 

今日は、神様からいただいた

 

栗を剥きました。

(勝手に神様からの贈り物に

していますおいで

 

明日 娘が帰ってくるのでね

 

栗ご飯を炊こうと思います。

 

だけど、わたしは栗ご飯の

 

栗を避けて食べちゃうのよねうーん

 

今日は、小さいジャガイモが

 

190円で売っていたのでね

 

煮っころがしにしました。

芋の煮っころがしは、わたしは

 

里芋ではなくて、じゃがいも

 

loveなのです照れ