THEライフ・貧者の一灯ブログ | シニア徒然ブログ

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きっといつか 風が吹いて 夢を運んで くる予感
神戸発信・・・








毎年8月に天王寺動物園に並べられる剥製

毎年、8月になると大阪の天王寺動物園では、たくさんの剝製
(はくせい)が並べられた企画展が開催される。

ライオンの剝製もある。トラの剝製もある。シロクマの剝製も
ある。 並べられた剝製たちは、どこか悲しげに見える。

なぜか、遠くを見ているように見える。

この企画展の名前は、「戦時中の動物園」である。そして、並
べられた剝製たちは、すべて昭和の戦争中に人間の手によって
殺された動物園の動物たちなのである。

日本で最初の動物園である上野動物園が開園したのは、明治15
年(1882年)のことである。 次いで、明治36年(1903年)には
京都市動物園、大正4年(1915年)には大阪の天王寺動物園が開
園した。

明治時代以降に日本が近代化し、海外との交流が盛んになる中で、
動物たちは交流の証しの親善大使として、日本に送られてきた。
そして、子どもたちの人気者になっていったのである。

ところが、である。 あの忌(い)まわしい戦争が始まった。

戦争中の動物園の悲しい物語としては、上野動物園を舞台にし
た、児童文学作家、土家由岐雄(つちやゆきお)の童話「かわ
いそうなぞう」が有名だろう。





戦争が激化する中で、空襲を受けたときに動物たちが逃げ出す
危険性が指摘され、猛獣たちを殺処分する命令が出された。

そして、ゾウやライオン、クマ、ワニなど多くの動物たちが、
次々に殺されていったのである。

野生の動物ではない。飼い慣らされ、親しまれてきた動物たち
である。 しかし、猛獣は猛獣である。人間の命を守るためには、
彼らを殺さなければならない。 命に順番はない。

しかし、上野動物園では、殺しやすいという理由で最初にクマ
が銃殺された。 もっとも、銃殺されたクマは、まだ幸せだった
のかもしれない。

その後、戦争に必要な弾丸を動物に使うことは望ましくないとさ
れて、もっと悲惨なさまざまな方法で動物たちは殺されていった
のである。

あるものは、毒薬を飲まされ、もがきながら、苦しみながら死ん
でいった。

しかし、動物の中には、毒の入ったエサを食べようとしないもの
も多かった。また、致死量もわからないので、毒に苦しみながら
も生きながらえる動物もいた。

餓死させられたゾウたち

それらの動物の処理方法が絞殺(こうさつ)である。 生きなが
らえたホッキョクグマやクロヒョウなどの動物たちは、首にロー
プをかけられ、大勢の大人たちにロープを絞められた。

こうして、たくさんの動物たちが死んでいった。

なかなか殺すことのできなかったゾウのワンリー(花子)とトン
キーは餓死(がし)させられることになった。

ワンリーとトンキーは、飼育員の姿を見ると、衰弱した体を寄せ
合って立ち上がり、芸を始めた。

土家由岐雄の「かわいそうなぞう」より。

しなびきった、からだぢゅうの力をふりしぼって、よろけながら
いっしょうけんめいです。 げいとうをすれば、もとのように、
えさがもらえると思ったのでしょう。






上野動物園の取り組みは、全国各地の動物園でも広がっていった。

上野動物園から半月ほど遅れて、大阪の天王寺動物園でも処分
が始まり、たくさんの動物たちが次々に殺されていった。

最後に残ったのは、ヒョウ1頭とホッキョクグマ1頭だった。
大阪天王寺動物園のヒョウは、人工哺育(ほいく)で育てられ、
飼育員がおりに入っても一緒に遊ぶことができるほどなついて
いたという。

「いつものようになでてやると、喜んでいました」

後に子ども向けに書かれた新聞記事には、ヒョウの飼育員の話
が残されている。

「なかなかりこうなやつでした。毒入りの肉を3回食べさせた
のですが、すぐ吐き出してしまいました。

しかたなく、絞め殺すことになったんです。 私がロープを持っ
てオリに入りました。いつものように体をなでてやると、喜ん
でいました。私は心を鬼にしてロープを首にかけたんです」

別の記事によると、飼育員が首にロープをかけるときも、ヒョ
ウはなついたようすでキョトンとしていたという。

飼育員の方は語る。 「オリの外でロープのはしを持っている人
に合図すると、私はオリから飛び出しました。むごいことです。
私は見たくなかったんです」

苦しかったのだろうか。悔しかったのだろうか。飼育員の方が
おりに戻ると、ヒョウはすべての爪を立てて息絶えていたとい
う。 そして、このヒョウは剝製として残された。

このヒョウの目は、いったい何を見つめているのだろう。

物資の不足している中で剝製を作り上げた人は、後世にいっ
たい何を残したかったのだろう。

猛獣は、生き物を殺して食べるが、戦争はしない。 動物園の
動物たちは愛されていた。

そして、動物を愛していた人が、動物を殺した。 それが戦争
なのである。 ・・・…











柔らかな声に安心感を覚えて

6月に夫、8月に実姉が立て続けに亡くなってしまった。
寂しさのあまり毎朝起きるのがつらくて、いつまでも寝床
でじっとしてしまう。

そんな私を、整理ダンスの上から夫の写真が見つめている。
「わかったよ。起きるよ」と、思い切り布団を蹴り上げた。

台所で昨日の残りのごはんにお湯をぶっかけ、漬物だけで、
さっさと朝食を済ます。それから薬を飲み、鏡を見ると、
目が潰れたようになっている。

いつも涙を流しながら眠るからだ。夫にもっと優しくしてい
たら、オムツも私が替えてあげていたらなど、反省ばかり。

時折、娘が心配してインスタント食品を持ってきてくれたり、
掃除をしてくれたりするので助かっている。

パジャマに上着を羽織って手紙を出しに行く私に、「みっと
もないからやめなさい」と娘は言うけれど、顔など洗いたく
ない。じっと布団をかぶっていたいのだ。

ある日、家に食料が何もなくなったので、渋々外食することに。

杖をついてヨチヨチ歩いていると、近所の喫茶店が見えた。
そこは、曜日で変わる間借りタイプの店で、よくわからない
店だなと思い、いつも通り過ぎるだけだった。

だが、「あれ、今日は看板が出てるわ」と、メニューが書か
れた黒板を見てみると、「ナポリタン」「チキンライス」な
どとある。ナポリタンは私の大好物だ。

ドアを開けると、マスターらしき男性が手を振って、「あーら、
いらっしゃい」と、にこやかに声をかけてきた。

年の頃は50代。柔らかな声と、優しさが滲み出る言葉遣いやそ
の姿に、私はふと安心感を覚えた。

古いトランペットなどレトロなものが飾ってある店の中にドタ
ドタと入り、ナポリタンを注文。

マスターは「ハーイ」と元気に返事をし、チャッチャと手際よ
く料理を作り運んできた。美味しい! 

続けて、チーズケーキとコーヒーを注文。マスターは嬉しそう
に、また「ハーイ」と返事をしてくれる。

そこへ急にドアが開き、年配の男性が入ってきた。慣れた様子
でカウンター席に座り、「いつもの」と注文している。

常連さんがいるのね……。親しげに話す2人の様子を見て、な
ぜか波打つ私の心。チーズケーキを平らげ、そそくさと家に帰
ることにした。

帰り際マスターは、この店は金曜日だけ営業しているのだと言い、
「また来てね」とずり落ちた私のリュックをさりげなく直しなが
ら、笑顔で店の外まで見送ってくれた。

家に着くと口をすすぎ、また敷きっぱなしの布団に潜り込む。
久しぶりの外食は思いのほか楽しく、軽くなった心で眠りに
ついた。





翌週の金曜日も、私はその喫茶店に行った。なぜか、あの店を
繁盛させたい気分になったのだ。

またナポリタンを注文すると、本当に嬉しそうに「ハーイ」と
返事をするマスター。思わず「美味しいね」と声をかけると、
「ほんと、嬉しいわ」と礼を言われた。

この声を聞くと、不思議と心がほぐれる。

この感じは、快感とでも言うのだろうか。また声が聞きたく
て、クリームソーダを追加で頼むことに。注文して、マスタ
ーの喜ぶ顔を見て満足する、を繰り返す。

「いくらお金がかかってもいいわ」などと、つい気持ちが大
きくなってしまう。夫の遺族年金だって雀の涙ほどしかもら
えないのに。

でも、あの快感を欲してしまうのだから仕方がない。私はいっ
たいどうしたのだろうか。

またその翌週、ナポリタンを頰張っていると若い女性が入店
してきた。マスターと仲よく話す姿に胸がざわつく。

えっ……この気持ちって、もしかしてジェラシー? 

以前、常連客とのやりとりを見たときと同じだ。 自分の感情
に驚きつつも、マスターの魅力に気づいているのは私だけで
はないという事実に、複雑な気持ちになっているのだと理解
した。

まるで、アイドルを応援するファンの心理ではないか。喫茶店
通いは、私の《推し活》ということか。 …





とはいえ、お店を潤わせたいならば友だちのひとりも誘っ
てやればいいのに、私はそういうことはしない。快感が半
減してしまう気がするのだ。

だから、決して誰にも言わない。

これは私の唯一の秘密。若返りの秘密と言ってもいいだろ
う。誰にも言わず、銀行でお金をおろして喫茶店に通うの
みだ。

ある日は古本屋で売れた本代700円を握りしめ、マスターの
もとへ向かったことも。

ドアを開けると、「あら、また来たの!?」というような顔
をして迎えてくれた。

「今日はのどが渇いたから来たのよ」と、ソーダ水を注文。
本当は、たいしてのどは渇いてなかったけれど。 夫や姉を
亡くした悲しさはまだまだ癒えないものの、マスターのおか
げで生きる活力が湧いてくる日々。

夫の写真に「ごめんね」と呟きつつ、今日は郵便局でお金を
おろしてあの店へ行こうと考える。もう誰も私を止められない。

ナポリタン700円、チーズケーキとコーヒーのセット1000円、
合計1700円が毎回の平均支出。

こんなことをしていたら、いつか破産するだろう。でも、いい
じゃないか。60年間、夫のわがままや束縛、金銭問題に我慢し
てきたのだから。

娘が知ったら、「バカな真似はやめなさい」と軽蔑のまなざし
で言うに違いない。でも、気にしない。

私は心の潤い、店は金銭的な潤いを得ているのだからフェアな
関係だろう。

だからマスターに、「こんなに金を使って」と思われていたと
しても平気だ。今日もまた洗濯をして、少し掃除をして、財布
をしっかり握って、私はあの店へ急ぐ。 …