いよいよ 出雲への旅 の終結です。

 

 

 

 

 

 

 

 

前回は「万九千神社(まんくせんじんじゃ)」を紹介しました。

 

 

 

この神社にお祀りされている神様は、

・櫛御気奴命(くしみけぬのみこと)…食物の神様

・大穴牟遅命(おおなむちのみこと)…またの名を大国主命、出雲大社の神様

・少彦名命(すくなひこなのみこと)…大穴牟遅命を助けて国造りをされた神様

です。

 

 

この神社の境内に「立虫神社」があり、

そこには伊太祁曽神社の御祭神である 五十猛命 がお祀りされていると書きました。

 

 

立虫神社は現在では万九千神社の境内社となっていますが、

元々は別の神社であり、今日も特別な扱いがなされており、単なる末社では無いようです。

写真のように立派な社号標まであります。

 

 

この写真を見ていただくとわかりますが、鳥居の反対側には万九千神社の社号標があります。

鳥居を進んで正面に見えているのが万九千神社の本殿です。

 

 

そして万九千神社本殿前で右を向くと正面に立虫神社の社殿があります。

 

この神社は古くは斐伊川の中洲にあったそうです。

現在の万九千神社(立虫神社)よりも南西方向に800mほどの位置だったようです。

ところが寛文年中(江戸時代)に大洪水があり斐伊川の流れも変わり、

社殿や社地を変更せざるを得なくなり、

寛文10年(1670年)に万九千神社の境内に社殿が造営されたそうです。

 

なお「立虫神社」の名称の由来ははっきりとしないようですが、

現在の場所に遷座された当初は「神立大明神(かんだちだいみょうじん)」と呼ばれたそうです。

”神様がお立ちになる場所” という意味で ”かんだち” だったのでしょうか。

明治以降は旧名に復して「立虫神社」と改められたそうです。

 

 

こうして、神在月 に稲佐の浜からやってきた八百万の神々は、

出雲大社での 全国会議を終えた後、万九千神社で宴会を行った後、

それぞれの地に帰ってゆくのです。

 

今回の出雲の旅では、神々と同じ経路を辿ってみました。

 

是非、今度出雲大社へお詣りされる機会がありましたら、

こういった経路も参考にしてみてくださいね。

 

 


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