前回は豊受神宮の別宮である多賀宮を紹介しました。

外宮(げくう)の宮域には他にも

「風宮(かぜのみや)」と「土宮(つちのみや)」という2つの別宮が鎮まりますが、

その紹介は後回しにして、内宮に移動します。

 

内宮は「ないぐう」ではなく「ないくう」と読みます。

濁音にならないのが特徴です。

その理由として良く「濁音ではなく清音で読むから」という説明がありますが、

それではなぜ「外宮」は「けくう」ではなく「げくう」なんですかね?

「濁音を嫌う」という理由では説明がつきません。

 

話が横道にそれました。

 

内宮の中心となるお社は「皇大神宮(こうたいじんぐう)」です。

皇祖神(皇室のご先祖様の意)である「天照大神(あまてらすおおみかみ)」をお祀りする神社です。

 

写真が撮れるのはここまで。この石段の下までしか写真撮影はできません。

これより先、石段を上がると写真撮影は禁止です。
 

 

お参りされたことのある方は御存知の通りかと思いますが、

石段を登ったところに見える鳥居のある場所を、

板垣南御門(いたがきみなみごもん)と言います。

 

この鳥居をくぐるとお賽銭を納める箱のある「外玉垣南御門(とのたまがきみなみごもん)」です。

一般にはここからお参りをします。

 

御垣内参拝(一般の神社で言うところの正式参拝)の場合は、

外玉垣より更に内側で参拝ができます。

(とは言っても、外玉垣南御門の反対側の軒下ぐらいの位置ですが)

 

 

 

 

天照大神は皇祖神であると同時に「太陽神」と認識されています。

八百万の神々の中の中心的存在でもあり、最も尊い神様の1柱とされています。

 

天照大神は、元々は天皇陛下が寝起きする部屋に祀られていたようです。

これは「宝鏡奉斎の神勅(ほうきょうほうさいのしんちょく)」と呼ばれるものによります。

『日本書紀』には天孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、天照大神より鏡を賜り、

「この鏡を私だと思い大切に祀りなさい」と仰られたことにはじまります。

この鏡が後の三種の神器の1つ「八咫鏡(やたのかがみ)」になるのです。

 

しかし第10代崇神天皇の御代に疫病が流行り、

天皇は天照大神を祀りによりふさわしい場所を探すように、

自分の娘の豊鍬入姫(とよすきいりひめ)に命じます。

この天照大神をお祀りするにふさわしい場所を見つける旅は、

豊鍬入姫では終わらず、第11代垂仁天皇の御代になると、

垂仁天皇の娘である倭姫(やまとひめ)にその役目が託され、

やがて伊勢の地を見つけ出すことになるのです。

 

こうして天照大御神は、今の伊勢の神宮、内宮の鎮まる地にたどり着いたのです。