天文学者:カール・セーガン(1934ー1996)が"地球外知的生物宛メッセージ"をNASAの探査ロケットに載せたのは、1972ー73年だ。パイオニアという名のそのロケットは、木星・土星等の表面を探査したあと、太陽系外天体を求めて旅立った。むろん、その探査結果を20ー21世紀の人々が知ることはない。木星までの距離は高々9200万km(海王星で43億5000万km)だが、太陽系に最も近い恒星までの距離は4.2光年あるのである。

 ちなみに1光年は光エネルギーが1年間に到達しうる距離で、光の速度は毎秒30万kmである。つまり1光年という距離は、30万×60×60×24×365=9460800000000kmだ。地球と太陽の平均距離(1天文単位)は約1億5000万kmだから、その63072倍である。

 パイオニアは(太陽系を出た後は)慣性で飛ぶだけだから、光年の距離に到達するのにはとてつもなく長い時間がかかる。むろん、光速で飛ぶロケットは存在しない。

 セーガンは更に1974年に、やはり"地球外知的生物宛メッセージ"を電波で発信した。プエルトリコにある世界最大の電波望遠鏡を使ってだ。それは素数を使った暗号であり、地球人の自己紹介というべき内容だ。これはあるいはもしか、未来の科学史に刻まれる行いかもしれない。だが世間的には、単なるパフォーマンスとしか受け取られなかったようである。

 基本的にミーハーであるセーガンはそれが不満だったのだろう。1985年に、SF「コンタクト」を世に出す。"宇宙へのメッセージ"ならびに"宇宙からのメッセージ"を主題とした作品だが、文芸としての出来は良いものではなかった。ただ名優ジョディ・フォスターがヒロインを演じた映画版はある程度ヒットする。公開は1997年だが、セーガンはその前年にこの世を去っていた。未だ62歳の若さであった。死因は知らないが、たぶん癌じゃないかと思う。

 カール・セーガンが「コンタクト」で描いた地球外知的生物は、どちらかといえば友好的なものだ。だが多くの映画人はそのスタンスを取らない。リドリー・スコット監督(シガニー・ウィーバー主演)の「エイリアン」(1979)は、その典型だ。1996年に公開された「インディペンデンス・デイ」も同じ系列である。例外はスティーブン・スピルバーグ監督の「ET」(1982)ぐらいではないか?。これは地球に異星人がひとり取り残されるという設定だから、他作品とは色合いが異なる。

 ちなみにこの設定は横山光輝が「バビル2世」のプロローグで用いたものだ。だがその後の展開はまるで違う。スピルバーグが横山作品を読んで参考にしたことは、多分あるまい。

 "宇宙からのメッセージ"というテーマを扱った最初のSF作品は、フレッド・ホイル(1915ー2001)の「秘密国家ICE」だろう。1967年の刊だが、原著が出たのはもっと古いかもしれない。

 ホイルは高名な天文学者だったが、1957年に突然SF「暗黒星雲」を刊行して読書界を驚かせる。このSFは、宇宙塵が(統一体として)知性を有するというユニークなものだった。そのアイデアは、ヴァン・ヴォクトの「宇宙船ビーグル号」(1950)の最終話に登場するアナビスのパクリだ。だがホイルは本職が科学者であるだけあって、よりリアルな仕上がりになっている。

 そしてこの作品で彼は、"科学者国家"というアイデアを提出した。プラトンの"哲人国家"のようなもので、「政治は世襲やポピュリズムに委ねることなく、合理的思考精神を持つ者が担うべきだ」という構想だ。英国は日本よりましと思うのだが、ホイルにすればそれでも不満があったのだろう。そしてこの構想は「秘密国家ICE」にも継承されている。アイルランドが国境を閉ざして変身・成立した新国家ICEは、まさしく科学者国家だったのだ。

 ストーリーは,英国諜報部の指示を受けてICEに潜入する若手科学者の語りで進められる。途中までは「イアン・フレミングの安っぽいパクリ」の雰囲気で、さほど面白いものではない。だが終末に近づいて「さすがホイル」の内容になる。ICEの中核を担う科学者たちは、宇宙人だったのだ。

 ただし宇宙人であるのは精神のみで、肉体は地球人である。このアイデアは、ジョン・ウィンダムの「呪われた村」(原題"Midwich  Cuckoo")のパクリだ。だがウィンダムが描く宇宙人は"UFOに乗って地球にやって来る"(そして某村のチルドレンに己の精神を移植して去る)のに対して、ホイルの「秘密国家ICE」では"メッセージのみが (電波で)地球に到達する"のだ。そしてその電波を受けたアイルランド人の某かは、優れた科学者になるのである。

 近代科学のルーツは古代ギリシャにあると言われる。そして当時のギリシャ人(の某か)のみがそのようであった理由として、「かれらは宇宙人だったのではないか?」という説がある。この(怪しげな)学説のルーツは、あるいはフレッド・ホイルにあるのかもしれない。

 遠宇宙の異星人は、何故地球にメッセージを送って来たのか?。その理由を、ICEの女性科学者は(主人公に)告白した。

 かれらが高い文明を築いた惑星は、抗らい難い天文現象により滅びつつあったのだ。さりとて、移住に適した他の惑星系は見つからぬ。それで精神のみを、電波で(あてもなく)彼方の宇宙に発信した。そして地球のアイルランド人のみが、それをメッセージとして受け取ったのだ。やがてその異星人達の肉体は滅びたが、精神は地球のICEに甦ったのである。

 これはたぶん、ホイルが「自分の死後のこと」を想って創出したアイデアだろう。虎は死して皮を残す(虎自身は不本意なことかもだが)。科学者は死して業績…ないしは、新たな業績の源になりうるアイデアを残す。少なくとも残したい。そのような願望は、科学者の"端くれ"でしかない私にも存在する。でも、私には無理だな(苦笑)。 

 ホイルはこのあと「アンドロメダのA」と「アンドロメダ突破」でも、"宇宙からのメッセージ"をテーマとした。だがこれらの出来は、さほど良くなかった。カール・セーガンは「コンタクト」で約20年ぶりにこのテーマを扱ったが、その出来も(冒頭で述べたように)あまり良くない。

 日本では1978年に、「宇宙からのメッセージ」という映画が公開された。深作欣二監督で、真田広之・志穂美悦子・千葉真一などが出演でだ。だが超駄作という噂であり、私は見ていない。

 "宇宙へのメッセージ"をテーマとした作品としては、藤子・F・不二雄の「カンビュセスの籤」(1977)という名作がある。藤子FのSF短編は「ミノタウロスの皿」(1969)が世に知られるが、本作品もそれに遜色ない出来だ。あらすじは、以下のようなものである。

 アケメネス朝ペリシャの王カンビュセス2世(在位B.C.529ー22)は北アフリカ遠征を行った。だが兵站の不備から食糧危機が発生し、兵士たちは共食いを始める。籤で犠牲になる者を決めるのである。主人公の兵士サルクは運悪く犠牲の籤を引いてしまった。だが彼は逃げる。そして霧の中に迷い込む。霧から抜け出したとき、そこには見たこともない荒涼とした世界が広がっていた。

 行き倒れ寸前だったサルクは、異装の少女に助けられる。そしてコンピューターを装備した地下施設に運び込まれる。言葉は通じないが、サルクが空腹であることは理解され、少女は一本のミートキューブをサルクに与えた。サルクはその味に堪能し、もっとくれと頼んだ。だが少女は、その依頼を断乎拒否した。

 やがて故障していた翻訳機が直り、サルクと少女は会話出来るようになる。少女はエステルと名乗り、「終末戦争があったのよ」と語り始める。其処は23万年後の未来だった。サルクは(自分はそれとは知らずに)タイムスリップしていたのである。

 核戦争により地上は住めなくなり、生き残った僅かな人々は地下シェルターに逃げ込んだ。だが食糧が足らない。やむなく人々は共食いを始める。だが秩序的にだ。エステルを含めたグループには人工冬眠の技術があったが、それは限度1万年である。それでとりあえず全員が手持ちの食糧を食べ尽くし、人工冬眠に入る。その前に、宇宙に(あてどもなく)「助けてくれ」のメッセージを発すようにしてだ。

 1万年後に全員が目覚めた時、救援の(宇宙からの)メッセージは届いていなかった。もう食糧は残っていない。それで犠牲の籤を引いた者がミートキューブになり、残りの全員がそれを食べて再び(1万年の)人工冬眠に入る。そのことが何度も繰り返され、エステルだけが残った。エステルがミートキューブを食べて人工冬眠に入ろうとした時に、サルクが(過去世界から)現れた。よせばよいのに、エステルはそのミートキューブをサルクに与えてしまった。もう残りは無い。ということはつまり、サルクとエステルのどちらかがミートキューブになるしかないのだ。

 その後の展開は敢えて記しません。法の緊急避難の妥当性を問う"カルネアディスの船板"という寓話がありますが、それと似てますね。だが名人SF作家:藤子・F・不二雄が紡ぐ物語の結末は、それより感動的です。

 

【ブログ著者/渡辺茂樹が顧問をするアスワットのHP】