昨日の続きです。

さて、観音様でみつけこの看板?(; ̄Д ̄)?

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ついさっきまでいた大寧寺には

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確かにここで自刀とあります。( ̄~ ̄;)


私もそうとしか知りません。(ヾノ・ω・`)

ただ、御子息の義尊さんはたまたま京の都から来ていた二条良豊さん、小幡義実さん、持明院元規さん達四人で大寧寺から逃げ、ここ安田の地で無惨な最期をとげたと聞いています。(‐人‐)


もしかしたら勘違い?

轟天号でしばらく行くと……………………


ありました。\(◎o◎)/

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確かに大内義隆之郷墓って書いてあります(-""-;)

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古い時代の宝篋印塔があります。

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お墓の数は4つ……………………

やはり間違いではないでしょうか?(´▽`;)ゞ


隣接する休憩所には由緒書がありました。

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内容はこちら

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あー!あの大寧寺にあった説明板の

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でも~( ̄~ ̄;)

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ウ~ンこの内容だと確かにここのお墓が義隆さんっということになります。σ( ̄∇ ̄;)

どちらが本当かは私は大内義隆さんの最期を見たわけではないのでわかりませんが、宝篋院塔の数からいったら私が知っている話で纏まるのです。
しかし、ここに書いてあるのは昔の古文書でこの地に昔から伝わるものです。

それとも義隆と義尊を書き間違えたのか?(どちらも読み方は「よしたか」)

どちらが本当なのかは各個人の想像の中で(´▽`;)ゞ


なんとも寂しげな句がありました

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いにしえの悲運な人の
墓所をば
尋ぬる人の
如何に少し


後ろ髪を引かれながら

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さぁ次の目的地へ車≡3≡3≡3