いすけ屋



 前項、「愚痴を少々・・・」で書き足らなかったのが、原発再稼働だ。日本人はあまりに放射能被害に敏感である。なぜそうなったかというとズバリ、左巻きのプロパガンダである。 3.11事故以降、テレビに出てくるのは最初は御用学者だったが、水素爆発してからは、もっぱら自称原子力専門家であった。ところが京大の原子炉実験所小出裕章助教や今中哲二助教、自民党の河野太郎氏、漫画家の小林よしのり氏、大阪府市エネルギー戦略会議特別顧問から山口県知事選に立候補し、大差で落選した飯田哲也氏、中部大学教授武田邦彦氏等はテレビに出演し、頻繁に放射線の恐怖をあおった。80年前の「直線仮説」に基づく推定で、低線量でも危険、ちょっとでも浴びれば危険と、無知を無知とも知らず、国民を煽ったものだ。確か、福島では100万人が死ぬとか言ってたが・・・。



 原子力専門家というのも怪しいが、放射線の人体への影響に関する専門家は上記の中には一人もいない。札幌医科大学医療人育成センター教養教育研究部門教授の高田純氏は専門が放射線防護学で、世界の被災地に飛び、自身も被曝して貴重な経験を数多く積んでいる、この方面では日本で一番信頼できる学者である。その高田純氏と中川八洋氏の共著である「原発ゼロで日本は滅ぶ」(オークラ出版)は、一度は読んでおいて損は無い本である。少なくとも放射線恐怖症からは解放されると思う。以下にそのさわり(まえがき)を紹介する。




(引用始まり)



原発ゼロで日本は滅ぶ 中川八洋、高田純共著(オークラ出版)


避難の福島県人よ、直ちに帰郷せよ!   
"国家犯罪"「帰還困難区域」に従ってはならない   


 共産主義者は、悪の存在しない、”悪ゼロ”の、善のみの社会=「共産社会」を妄想する。これと同じで、事故のない、”事故ゼロ”の社会=「共産社会」を妄想する。だが、悪が完全に消えれば善もまた完全に消える


 われわれ正常な人間は、善の満ちる社会を創るべく日々努力する。すなわち、悪の最小化を追求する健全な文明社会を築こうとする。が、善悪の消滅した悪魔の社会を理想とはしない。善悪がなくなれば、道徳も法的正義も存在しえず窒息し、文明の社会civilsocietyは自壊し、暗黒へと反転する


 善悪が消滅したディストピア(暗黒社会)をユートピア(理想社会)だと転倒妄想する、”悪魔の思相”社会主義が流入して祖国ロシアが破壊されていくのを阻止すべく、大文豪ドストエフスキーは小説「異端審問官」(『カラマーゾフの兄弟』)を書いた。本書は、ドストエフスキーの大小説には及ぶものではないが、科学技術における事故ゼロ社会を妄想する、その先に到来するのは、社会を破壊せんばかりに常軌を逸した大事故が多発し、道徳も、人間的であること(ヒューマニズム)も、科学の真理も、法的正義も、圧搾され抹殺された暗黒の社会であろう、当たり前のことを正面から論じるものである。



「脱原発」革命は、日本史上に例がない”悪魔の犯罪”  



 たかだか「福島第一」原発四基の建屋破壊と微量のセシウム漏洩事故に、スローガン「脱原発」が、日本列島ところ狭しと金切り声で張り上げられること自体、「異常」とか「狂気」とかの言葉ですら充分には衣現できない
「脱原発」の雄たけびは、日本国の文明的発展を阻害し破壊せんとする、巨悪な「反日」犯罪・の蜂火である。美しき徳性に満ちるべき、世界に由緒正しき日本国の栄光と未来とを破壊せんとする、日本国内に湧き出た垂直侵略者たちによる”悪魔の対日暴力”である


 それは、科学を無視して”科学不在の無法”を絶対神として信仰させる、オウム真理教の狂気も及ばぬ、反科学と野蛮化のレーニン共産革命の再現である。一九一七年の口シアの狂気が、一世紀を経て、二〇一一年の日本にフランケンシュタインのごとくに墓場から蘇った


 この種の革命のために手段を選ばず、コリアンで共産主義者で”反日の狂人”菅直人は、福島県人を人間とも扱わず文字どおりの家畜に扱い、不必要にも自宅や故郷から強制追放して、ほくそ笑む。しかも、福島県人を守るべく、災害対策基本法を盾に、断固としてこの強制連行を拒絶すべき福島県知事・佐藤雄平は、東電から金をぶんだくるタカリの好機到来とばかりに、さかさにも菅直人の”凶悪な国家犯罪”に与した


 東京電力もまた、電力不足と電力料金の高騰を必然的にもたらす”日本経済つぶし”だけでなく、失敗や困難に直面しでもなおそれに挑戦し克服せんものと勇気や努力の倫理・道徳の生に生きる精神を日本人から剥奪し、”堕落と怠惰な日本人”へと改造するのを狙う、「脱原発」革命の悪魔の反日運動に与している


 なぜなら、第一に、不必要な強制避雌をさせられた福島県人に東電が賠償するから、避難はいつまでも解除されない。だが、東京電力は”賠償支払いこそ大犯罪”であることが自覚できない。第二に、あんな長期に避難が強制され、自宅居住もままならないうえに郷里が破壊す尽くされるならば、「原発いやだ」という感情が日本人令体に広がるのは、自然だろう。すなわち、東電は、数兆円の不正義な賠償支払いを通じて、”反日の狂人”菅直人がデッチアゲで公然と遂行する”前代未聞の国家犯罪”の、その筆頭共犯者になっている。



避難福島人が強行帰宅・帰郷をすることが、すべてを解決する   



 では、これからどうすべきか。余りに遅すぎたのではあるが、正しきことに、遅きに逸したといえるものなどない


 まず、家畜並みに「強制連行」された”避難福島人”は、でっち上げられた”非科学の極み”「帰還困難区城」などまったく無視して、警察官に阻止されようが機動隊がこようが、強行突破して帰宅/帰郷すべきである。これはまた、憲法第二二条が保障する「居住の自由」の権利の行使であって、なんびともこれを阻むことはできない


 そして、東京電力は、”菅直人の凶悪な国家犯罪”である福島県人「強制巡行」の、その片棒を担ぐ”賠償の支払い”という法的不正義を犯してはならない。すなわち、東電は、賠償支払いを直ちに拒絶し、直ちに中断すること。これこそが、東電がもし「福島第一」原発事故を贖罪したいのならば、真正の贖罪として今すぐに果たすべきトップ義務である。


 むろん、すべての正しき日本国民がすべきことがある。それは、次の通り


 日本最初の原発発電の営業開始(一九七〇年三月、日本原子力発電・敦賀発電所、GE社のBWR)から四十一年間、本格的な事故は。「福島第一」が初めてで唯一である。しかも死者は一人もおらず、放射線で病気になったものすらも一人もおらず、原発四基が廃炉になったことを別とすれば、原発事故としては本質的には軽微なものであった


 それなのに、この原発事故を教訓に、事故の発生確率がより低い、つまり「より安全な原発づくり」の方向ではなく、事故を克服せず、事故に恐怖して失敗にめげて屈服する、”逃亡・逃避の道”を日本国民が選択することは、日本国も日本人として正常な生き方を放棄することである。「原発事故なんかなんだ!」の、絶ゆまず前進する健全な精神なくして、日本人の人格から論理道徳が溶解するし、努力や勤勉の美徳が腐食する。その結果、国家の存立そのものが危うくなる。

 航空機の墜落事故など、ライト兄弟の飛行機誕生以来、数え切れないほど無数に起きて、その死者数は十万人単位である。だが、「航空機に乗るな」「航空機を製造してはならない」などの馬鹿げた運動やキャンペーンは起きたことがない。すなわち、口にされる(「原発ゼロ」の根拠としての)「放射能の危険からの安全」とは、野蛮人たちの狂った未開宗教の狂ドグマの、生贅にされた原発に投げつける”悪魔の呪文”。科学ではない


 日本国民よ、「脱原発」という悪魔のカルト宗教の洗脳から眼を覚ませ!そして、極左勢力の革命イデオロギー「脱原発」「原発ゼロ」を撃破する、思想内戦を闘いぬき勝利しようではないか。スイス政府がすべての家庭に一冊づつ配っている教本『民間人による国民(民間人)防護』に名句がある。日本人よ、福島県人よ、拳拳服膺(けんけんふくよう)されたい。


「放射能の恐怖に負けてはならない。学者たちは、自宅居住・故郷帰還は無理だと信じ込ませようとしている。しかし、ノーを突きつけよう。福島県人は、いつでも自らこそ自らの主人だとの衿持をもつ、科学に従う健全な人間であるべきだ」


(引用終わり)