いすけ屋



 若狭和朋先生の「日本人が知ってはならない歴史」初版である。あと、(続)と(戦後編)の3部作だ。このシリーズが手に入りにくので、別途「日露戦争と世界史に登場した日本」(WAC)と「昭和の大戦と東京裁判の時代」(WAC)が発売されている。この2冊は「日本人に知られては困る歴史」というキャッチコピーなっており、「知ってはならない・・・」より直接的表現だ。この2冊は購入可能なので、勉強したい面々は、購読されたい。



 「知ってはならない歴史」というのは、冒頭にあるように、”知られては困る歴史”という意味である。誰に知られては困るのかと言えば、日本のメルトダウンを期待する反日日本人であり、中国・韓国・朝鮮・ロシア、ひいてはアメリカである。歴史の真実がばれると、日本を攻撃する理由がバタバタと崩れ、支那・朝鮮人の怒りを日本に向けられなくなる。支那・朝鮮政権が維持できなくなり、またロシアやアメリカは、68年間国民に示し続けてきた正義?が崩れる。たちまちロシアやアメリカの国民は大騒ぎとなり、信奉国は離散するだろう。



 「知られては困る」嘘の歴史を日本人の頭を支配しているが、騙され続けた日本人は、事の真相を知り得て納得し、騙し続けたGHQを引き継いだ政府やマスコミは再起できないほどの鉄槌を食らうことになる。軍部や東条英機を「悪」として作られた歴史に、近衛文麿が出てこない。東条英機は自殺を図ったが、50名の米軍兵士の輸血によって生き長らえさせられている。そして、見せしめに絞首刑となった。ところが近衛文麿の自殺は捨て置かれたのである。近衛もいちおうA級戦犯として巣鴨拘置所に出頭を命じられたが、最終期限日の1945年(昭和20年)12月16日未明に、荻外荘で青酸カリを服毒して自殺した。いずれ、近衛文麿の真実にも触れたいと思っている。




序章 「知ってはならない歴史」とは   


だれが、何を知られては困るのか?  


 「知ってはならない歴史」というのは、知られては困る歴史という意味である。私たち日本人に知られては困る歴史・史実とは何だろう。だれが困るのだろうか


 ずばり言えば、日本人のなかでは(融けて倒れる・融倒)を期待する劣情を秘めている反日的日本人である。ならんで、中国・韓国・朝鮮・ロシア、ひいてはアメリカである


 中華人民共和国を支配する中国共産党の正続性は、日本帝国主義の侵略から中国人民を解放したという「歴史」を土台にしている。朝鮮民主主義人民共和国についても、事情は同じである。「抗日・解放」が朝鮮労働党支配の正続性の根拠である


 しかし、心ある歴史家なら、これらの抗日解放の「歴史」は史実に反する偽史であることを知っている。早い話が、抗日パルチザンで「英雄」だった金日成と、ソ連車に担がれて北朝鮮の支配者になった「金日成」は、まったくの別人であることは公然の事実なのに、この事実は「知ってばならない」のである。これを知らない人が本当にいるのなら、その人は単に無知であるにすぎないか、あるいは「知ってはならない」政策の犠牲者にほかならない。金聖柱ソ連軍大尉が、突如、金日成となり本人を知る人々は仰天した。


 日本が中国を侵略したというが、日本と中国の戦争は日本が始めたものではない。蘆溝橋事件だけのことを言っているのではない。今日では、同事件での日本軍への射撃は共産党の工作であることが明らかになっている。このことは文中で詳しく見ていくが、私は単に共産党の工作のみを指摘しているのではない。現地解決の和平をぶち壊した「通州事件」の工作を言うだけでもない。昭和十二年の上海事変は蒋介石の主力十個師団余が二十万の兵力を集中し、五千余の日本海軍陸戦隊と十万余日本人(女性・子供を含む)を全滅させようと企図した事件である。


 蒋介石はドイツの元参謀総長ゼークト(第一次世界大戦の名参謀総長とうたわれた)と彼のスタッフを顧問団に招き、軍の編成、訓練ならびに実戦の指導を依頼していたが、これはソ連とドイツのラッパロ条約を背景にしている。第一次世界大戦の敗戦国ドイツは、この密約により、列強の包囲下にあったソ連軍建設の指導に当たるとともに、密かにドイツ国防軍の再建の骨格を準備していた。空軍や機甲師団建設の準備はソ連国内で進められていたのであった。これも今では周知の事実である


 国共合作により蒋介石軍のなかにソ連の影響力が一気に広まっていった


 上海事変はこのような国際的背景をもっている。ゼークトの後任はハルケンーファルゼン中将である。上海の蒋介石車は、ハルケン・ファルゼン将軍と顧問団の指導のもとに大規模で堅固な陣地を構築し日本軍の撃滅を企図した。中国軍は攻撃を問始した


 救援の日本車と激戦ののち、蒋介石軍主力は撃破され、首都南京に敗走した。やがて南京も陥落するわけだが、「南京大虐殺」のウソが蒋介石の工作で宣伝された


 ラーベやティンパリーらは、工作費を受領して蒋介石の工作に従事した者たちであることを今日の学的研究は明らかにしている。彼らは工作員なのである。「南京大虐殺」の虚構については、別に詳しく検証するが、今ここで私たちが「知ってはならない」中国人のささやかな「常識」について触れておこう


 日本人は、奈良と聞けば大仏とか古都とかを連想する。中国人は南京と聞けば中国史の「大虐殺」を連想する。日本軍とかは無関係に、南京と聞けば「南京=大虐殺」なのである。清末の太平天国の天京(南京)陥落の際の湘軍(「官軍」)による大虐殺は凄惨を極めた。古くは隋の虐殺、侯景の乱での「南京大虐殺」は「資治通鑑」を読む者をして絶望的な気分に陥らせる箇所である。中国人にとって南京とは虐殺の都なのである


 中国人には虐殺のない戦争というものが念頭に浮かばない。虐殺はなかったと聞かされても信じることができない。日本軍が虐殺しなかったとは信じられないのである。これが中国人の思考の制度なのである。また支配者=中国共産党は、人民がこのことを信じたら絶対的に困ることなのだ。虐殺の存在は支配の正統性を保持するための絶対的必要条件だからである


 はっきり言えば、「南京大虐殺」の話と「南京大屠殺記念館」は、中国共産党支配の荘厳装置のひとつにすぎない(この種の記念館は今日では約二〇〇箇所ある)。

 人間は極限状況では何をするか分からない、つまりは日本人も食人などの残虐な行為をするかもしれないと言う人がいる。「南京大屠殺記念館」には中国人の胆を食べる日本兵の展示もある。だが、日本には食人(カニバリズム) の文化はない。人間の理性は戦場の極限状況ではいとも簡単に狂うものだ。理性のパワーは弱いものである


 だが理性的抑制よりも根源的に強力なのが、人間の思考や行動を規制する人間の歴史性である。歴史的にその人間を育んできた思考・行動の様式は、理性のヒューズが飛んだときこそ、その人間の行動を根底で決定する。食わないのではなく、食えないのである


 勝利した日本車が嗜好的に人肉を食うことは絶対にない。他愛ない話だが、これは中国人の食人の文化を日本人に投影したにすぎない


 有名な薬用書『本草綱目』 (李時珍・編著)の「人の部」には人の胆が薬とされている


 問題の本質のスケールに比べて卑小な話柄を、私は述べているようだ


 中華人民共和国には日本の「戦争責任」などを口にする資格は、全然、ない。逆である。 


 日本が交戦したのは「中華民国」である。当時の共産党「軍」は交戦団体として、何らの資格要件を具備しない単なる匪賊にすぎなかったのである。どうもわれわれ日本人は共産党「軍」が当時は匪賊(共匪と言った)の群れにすぎなかった事実を、そして匪賊がソ連その他の援助をバックに、民国政府が日本との戦争で疲れ果てたときに背後から襲いかかり政権を奪取した事実を、ともに忘れつつあるようだ。それは「知ってはならない歴史」だからであり、日本人のなかの劣情日本人が、劣情イデオロギーで日本の教育とメディアを占拠した戦後の時期に「知ってはならない歴史」を編んだ、からである


 劣情日本人の背後にはアメリカの権力が控えていた。アメリカは、占領当時は非常にバイアス(偏向)のかかった認識を抱いていた。この認識は、日本を敵視し日本という悪玉を打倒すればアジアの秩序とアメリカの利益は守られるという信念に支えられていた


 折から勃発した第二次世界大戦にあってドイツ軍の勝利に焦ったアメリカは、「裏目から戦争に入る」 (バック・ドアー・ツー・ウォー)作戦に外交努力を集中していた。三国同盟の一角の日本を締め上げて、日本人に最初の一発を撃だせようという作戦である


 作戦は予想以上の成功をおさめた。不意討ちという付録まで付いていた。アメリカの全国民は怒りに燃えて、本気で目本人を憎み戦ったのである。だがFDR(フラックリッールーズベルト大統領)は事態の意味がまったく理解できていなかった(日本降伏の直前に彼は死んだ)


 日本を打倒したことにより、瞬時にして支那・満州・朝鮮・その他東南アジア諸国がソ連と共産主義に席巻される事態が現出するさまを見て、そして朝鮮戦争で脳天をしかたかに殴られたのちに、初めて理解できたのである。日本が満州・朝鮮・支那で頑張っていた「意味」をアメリカはようやく「理解」したのである。しかし、「理解」に達する前の「誤解」による日本解体の遺産は日本に深刻な後遺症を残しか。昭和二十年九月二目の降伏から、日本は昭和二十七年四月二十八日(昭和天皇の誕生日の前日)に「独立」を回復するまで、七年間の占領という追撃戦をしかけられていたのである。日本人の多くが追撃戦を知らないのは、「知ってはならない歴史」だからである


 朝鮮戦争においてマッカーサーは、満州を敵の勝手にさせていたのでは朝鮮の戦局の挽回が不可能なことを理解したが、この理解は彼の解任という結果を招いた。帰国した彼は上院の外交軍事両委員会で日本が戦争をしたのは正当防衛(自衛戦争)であったと述べるが、この重大なニュースを報道した日本のメディアはない。劣情日本人のイデオロギーが戦後日本の言語空間を萌断していたからであり、彼らの劣情からすれば、この事実は国民が「知ってばならない歴史」にはかならないからである。



(続く)