「円高」「円安」は相対的な通貨量で決まる!   
2011.08.24
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110824/plt1108240946000-n1.htm


 為替の動きについて、本コラムの読者なら知っていることだが、原理は簡単で、円ドルレートなら円とドルの相対的な量で決まる。円がドルより相対的に少ないと、円に希少価値が出て高くなって円高になる。


 この単純な原理は、実はプロの投資家のジョージ・ソロス氏も使っており、「ソロスチャート」として有名だ。


 ところが、この解説はテレビの解説などではまずお目にかかれない。あまりに単純で一言で終わってしまうから、介入がどうなったとか、政治が問題とか、本質的でないことをもっともらしく話をしていることが多い。


 実は、円とドルのマネタリーベースの比によって、リーマン・ショック以降の円ドルレートの9割くらいを説明できる。


 これは、国際経済学では常識になっている為替のマネタリーアプローチを数量的に説明しただけだが、円高無策の政府やそれらの御用学者、御用マスコミにとっては、不都合な真実のようだ。都合のいいときだけで説明しているとかの反論もあった。


 実は、円とドルのマネタリーベースの比で、1980年代以降の円ドルレートはかなり説明できる。ちなみに、円とドルのマネタリーベースの比と円ドルレートの相関係数について、80年以降、90年以降、2000年以降、05年以降、07年以降のそれぞれから現在までで見ると、それぞれ0・47、0・67、0・77、0・84、0・91となっている(1に近いほど関係が強い)。


 これから面白いこともわかる。1980年代の円とドルのマネタリーベースの比からみると、円ドルレートは120~150円あたりでいい。しかし、実際の円ドルレートは200~250円くらいだ。要するに、本来の水準よりの2倍近い円安だったのだ。


 その当時、円ドル為替は「ダーティフロート(過度な介入による恣意的な相場形成)」といわれていた。形式的には変動相場制だが、裏で円安操作をしていたのだ。その結果、日本製品の輸出は好調で、それが日米貿易摩擦の原因になっていた。


 そこで、85年9月、G5のプラザ合意によって円安合意ができ、一気に日米のマネタリーベースの比まで円安になっていった。プラザ合意当時の230円台が1年後に150円台、2年後140円台となってマネタリーベースの比から予想される理論値あたりに収束した。


 プラザ合意による円高で輸出競争力を失ったわけだが、逆にいえば、それまでは円安で競争力を持っていた。そして日本経済も好調だった。


 その後、90年代からの長期停滞だが、それは円高の歴史でもある。逆にいえば、円安のときに日本経済は良かった。為替によって競争力や日本経済の帰趨はかなり決まる。(元内閣参事官・嘉悦大教授、高橋洋一)



いすけ屋


 円高、円高で大騒ぎし、財務省も単独介入で6兆5千万をドブに捨てた。最初82円/ドルで介入し、2回目もやったが、結局76円台だ。やはり、為替相場は通貨量で決まると言う事が、再度証明された。ならば、円高対策は「円」を刷れば良いと言う事になる。こんな簡単な理屈が実行出来ないなんて、日銀も専門家もあてにならない。


 ムーディーズによる日本国債の格付けがまたひとつ下がったということで、メディアは大騒ぎしているが、理由がなんと、総理大臣が毎年変わるからだそうだ。こんなものアホらしくて、無視すればいいのに、なぜ報道するのかね。金融投資家以外は関係ないだろ?それでもテレビに出てくる経済評論家は、「これで日本株は下がりますよ」と脅しをかけてくる。そんななら、何故「円高」なのさ?教えてちょうだい。


 この20年間は、経済学者、経済評論家、財務省、金融庁の面々に騙され続けてきた。とても信用出来ない。何故誤ったか。答えは簡単である。ケインズを捨て、フリードマンに走ったからだ。反ケインズ主義があたかも新しい経済学の流れのように捕え、我も我もとアメリカに留学し、洗脳されて帰ってきた。その彼等が経済学者、経済評論家、財務省、金融庁にばらけて侵入し、日本の経済を間違って引っ張ってきたからである。


 もうそろそろ正しい経済手法で導いて貰わないと、日本はとんでもない事になる。政治家も、いい加減勉強しろよ!