国歌起立判決 「合憲」機に指導の徹底を
   
2011.6.1 02:52
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110601/trl11060102520000-n1.htm


 卒業式の国歌斉唱の際、東京都教育委員会の通達に基づき教職員に起立斉唱を命じた校長の職務命令について、最高裁が「思想、良心を直ちに制約するものではない」などとし、合憲の初判断を示した。


 同様の訴訟は各地の裁判所で争われているが、最高裁判決として決着した意義は大きい。教育現場の正常化の大きな一歩と評価したい。


 提訴したのは都立高校の元教諭で、平成16年春の卒業式に起立しなかったため戒告処分を受けた。これがもとで退職後の再雇用が認められず、都に損害賠償を求めていた。


 都教委は15年秋から、教職員に対し、卒業式や入学式の国歌斉唱で国旗に向かって起立して斉唱するよう通達し、校長が職務命令を出している。しかし従わずに懲戒処分などを受け、処分取り消しなどを求める訴訟が20件以上、係争中だという。


 不起立の教師側は「思想、良心の自由を保障した憲法19条に反する」などと主張している。これに対し19年、国歌斉唱のピアノ伴奏を命じた校長の職務命令を合憲とする最高裁判決が出ていた。今回は起立命令についても、合憲と判断された。


 節目となる行事の国歌斉唱で、教師が座ったままの光景は保護者や生徒にどう映るか。こうした教師の行為は個人の政治的主張や感情を生徒らに押しつけるもので、教育の場では許されない。


 今回の判決では、「国旗・国歌が強制的にではなく、自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何よりも重要」という補足意見もあった。だが自然に敬うことを妨げる教師がいるからこそ、職務命令は出されている。補足意見を盾に「強制はいけない」と主張するなら筋違いだ。


 学校現場ではこれまでにも、国旗掲揚や国歌斉唱に反対する一部教師に対し、校長らが苦労を重ねてきた。11年には広島県の校長が自殺する痛ましい事件が起き、これを契機に「国旗国歌法」が制定された。


 大阪府では、国歌斉唱で教職員の起立を求める条例案も府議会で提案されている。国旗、国歌に敬意を払う国際的な礼儀を守らず、「憲法違反」だと言いつのる教師こそ問題なのである。教委は「合憲」判決を機に、改めて指導を徹底してもらいたい。



いすけ屋


 この判決は、当たり前であるが、敗訴した元教師が涙の会見を行っていたが、ほんとに可哀そうにと同情する。主張が通らなかった事ではなくて、こんな当たり前の事が、いい年こいて60になってもわからない哀れな人だからである。日の丸=戦争と短絡し、教師のくせに、押し付けられた史観に気付かず、国家を否定するとは、余りにも視野がせまく、勉強が足りない。又その歪んだ史観を生徒に押し付けている。これでは、日本は永久によくならない。


 以下はある有名人の話である。敗訴した元教師より、彼の方がよっぽど世界の中の日本について、よく理解している。一度、彼のように、世界に放浪の旅にでも出れば、国家の有難味がよくわかるだろう。リアリズムを学べ。


<私は君が代・日の丸以前に、日本では国家というものの存在があまりに軽視されていると思うのです。私は若いときにバックパッカーとして世界中を放浪していました。そのとき、国境を超えるたびに国家の意義を考えざるをえませんでした。破綻国家の国民は悲惨です。現代でも奴隷のように売買され酷使される子供たち、国内では働くところがなく、アラブの金持ちに虐待されながら働いて、本国の家族に送金する人々、帰るべき故郷を追われて生涯を流浪の民として過ごすおびただしい数の人々。それらの人々に比べて、ほとんどの国に自由に行き来できるパスポートを持ち、たんなる紙切れにすぎない紙幣が、世界中の銀行で現地通貨に交換できる日本という国の国籍を持っていることがどれほどありがたいことか


 この国を作ってきたのが、父であり母であり隣人である、そんな他者に対する感謝のシンボルとして国旗国歌が存在すると知れば、行動は自ずとついてくるものだと思うのです。>


 感心するね。この文は誰あろう、関西圏では超人気番組「たかじんのそこまで言って委員会」の司会者辛坊治郎氏である。原発などの国策の基本を除いて、国旗国歌に関しては、彼は合格だ。次期大阪府知事選に立候補すれば、こういうのが当選するんだろうけど、そうなると日本の政治もいよいよ末期症状だ。神奈川県の黒岩さんとか、メディア出身者はなかなか本性を現さないから、要注意なのに、簡単に当選させてしまう。黒岩知事は、国旗国歌に関しては、元教師と同じ立ち位置である事を、この際よーく認識しておく事だ。神奈川県民さん。