【主張】原発事故賠償 許されぬ政府の責任逃れ
   
2011.4.23 03:04
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110423/plc11042303060002-n1.htm


 少なくとも数兆円規模とみられる東京電力福島第1原子力発電所事故の損害賠償をめぐり、政府周辺でさまざまな構想が浮上している。


 だが、原子力事故の損害賠償を定めた原子力損害賠償法に基づく十分な議論や説明もないままに東電に責任を押しつける形で賠償を急ぐ姿勢は菅直人政権の「責任逃れ」との批判を免れず、無責任といえる。


 原賠法によると、事故が起きた場合、電力会社に加入を義務付けている保険に基づいて原発1カ所あたり最高1200億円が保険から支払われる。それを超える分については原則として電力会社が賠償すると定めている。


 一方で、損害が保険による支払額を超える場合は必要に応じて国が援助を行うとし、「異常に巨大な天災地変または社会的動乱」による損害に対しては電力会社は免責され、国が責任を負うとも規定している。


 問題は、大震災がこの免責適用対象にあたるかどうかについて、菅政権が明確な判断と説明を欠いていることだ。枝野幸男官房長官は「安易に免責などの措置がとられることは経緯と社会状況からありえないと、私の個人的見解として申し上げておく」(先月25日)と発言、政府の事実上の既定方針になった。海江田万里経済産業相も今月22日、「免責にはあたらない」との判断を示した。


 原賠法に基づく免責に関する基本的判断や説明を国会や国民にせずに、東電に賠償責任を負わせる形で構想が進むことに、閣内にも異論がある。他の電力会社も巻き込んで全国的に実質的な電気料金値上げを行い、賠償金の原資にあてるなどの案も政府内にある。


 だが、未曽有の犠牲者を出した大震災と津波、そしてその後の原発事故処理に対しても、政府はまったく責任がないと言い切れるのだろうか。


 賠償問題は長期的に電力を安定供給するにはどうするかという問題とも密接にかかわっている。


 首都圏の電力供給をあずかる東電の負担能力や役割をはじめ、国がどこまで責任を持つかなどについても検討すべきときだ。政府の責任を明確にしないうちに、安易に国民の負担を求めるのは到底受け入れられない。


 菅政権は東電と国の責任を改めて明確に説明した上で、国民に理解を求めるべきだ。



いすけ屋


 やっと新聞でも、原発問題では政府の責任についても書いてくれた。ここん所、東電バッシングしておけば大手新聞としては安泰だったが、あまりにも酷い菅内閣に、とうとう「しびれ」を切らしたようだ。


  民主党政権は、「コンクリートから人へ」と公共事業などのインフラ整備を、特に防災や耐震化の予算までも削減をしてきたが、こうした政策が間違いであったことは誰の目にも明らかだ。


 福島原発の水素爆発は、地震や津波で起こしたのではなく、その後の初動体制の誤りが引き起こしたものである。だから「人災」だとも言われる。実は、3月11日の午後2時46分の地震直後、システムは作動し、緊急炉心停止を自動的に行って核分裂は止まった。地震直後に停電となったが、非常用のディーゼル発電により冷却も無事作動している。1時間後に大津波で全電源喪失したが、バッテリーで8時間冷やし続けたので午後10時半までは安全な状態だった。


 問題はこの8時間の間に、新たな電源が用意できなかったことと、その場合には海水投入しか方法がないにもかかわらず、その処置が遅れたことだ。これには廃炉の覚悟がいる。民間会社としては事故の軽重の判断がつかない時点での廃炉の決断は、特に原発素人経営者にとっては、難しかっただろう。これは海江田大臣の「一喝」で解消した。


 ところが、最後の手段である海水投入には、その前提として炉内の圧力を下げるため、ベントと呼ばれる蒸気排出が不可避である。この処置がバッテリーが切れて12時間以上かかったことが、爆発に至る致命傷になったと言われている。そして、その原因が「菅総理の原発への乗り込みの強行によるものではないか」と疑われているのだ。この水素爆発が無ければ、配管類の不具合もなかったろう


 ただし、私が言いたいのは、こんな事後の些細な事ではなく、「津波の想定を5.7mで許可した政府にも責任の一端がある」と言う事である。ベント作業は菅総理が行く行かないに拘わらず、バルブを電動から手動への切り替え、手動での開閉、被曝時間の制限等から、かかるべくしてかかった時間かも知れない。或いは発電所外へ放射能が漏れる事を恐れたのかもしれない。東電は何も言わないから真実は分からないが、責任問題を問うなら、もっと根本的な問題から洗い出して行くべきだ。