- 生きている意味の答え -

生きていることは意味ではない。意味とは概念です。

生きていることは地球・自然が産んだもの。

生命の壮大な歴史から意味という概念を見てみれば、小指の先にも満たないとても儚いものです。生きていることの雄大さは、意味という言葉を超越しています。生きている壮大さは、意味では捉えることができません。

生きている意味は無いのではなく、生きていることは意味ではない。こう言えるのでないでしょうか。

 

‘生きている’と‘意味’を繋げているのは人の心です。

辛い。虚しい。くだらない。生きていることの意味を問うとき、そう感じている場合が多いようです。

そもそも生きていることの意味を考えられるのは、意味という言葉を会得しているからこそ。産まれてから誰ともコミュニケーションしたことが無いのであれば、意味の意味さえ分かり得ないでしょう。だとすれば生きている意味というこの問いは、誰かが居てくれたからこそ考えられている問いだと言えます。

‘生きている’ ‘意味’。繋がらない概念同士であっても繋がりを求めて出来た問い。ならば、生きている意味の答えは独りで解決できないものです。

「個人的快楽のため」「自分だけが満足するため」「欲望の赴くままに生きるため」これらは意味の疑問に応えられないものです。

 

生きていることは、ささやかな触れ合いのひととき。感性と想いのままに活動できれば素敵です。肉体、知性、精神的な心地良さを味わい続けられれば、なおのこと素晴らしいと思います。

しかしそこに意味を求め探すのであれば、自分の天性や経験を活かしたとき、どんな人の為にどんなことが出来るのかを考え行動することが答えになります。支え合ったり、肯定していられること。一緒に生きていられること。いっときの言葉や感情だけでなく、行動や形にできること。それが結果、意味となります。

 

生きていることは、意味という概念の範疇を、とうに超えた代物。だから魂(感性や想い)の赴くままに生きれればそれでいい。しかし、あえて意味を付け加えるのであれば、誰かとの影響を無視できません。意味そのものが誰かと生きていくために産まれた概念です。生きている意味の意味は、生きることの難しさと肯定し合えることの奥深さを学ぶためのものかもしれません。

ただし、意味に縛られて生きていることが辛く思えたときは、無理せず肯定し合え、自然と自分が活きる情緒ある道を探して行きましょう。本音で肯定したいなにかがあることが大事です。

 

 

- あなた1人の存在 -

地球の歴史(47億年)から、あなたが生きてきた年月を見れば約0.0000001%

地球の全人口(2017年現在で約73億人)から、あなた1人の存在を見たら約0.00000001%

限りなく無に等しい存在です。

 

あなたが今まで5分以上、言葉を交わした人はどのくらいいますか?小学校・中学・就職・高校・大学。職業が営業でしたら大幅に増えると考えられます。しかし初めての人と5分以上話す機会が毎日ある人は多くはないでしょう。もしも0歳から100歳まで毎日必ず1人と新しい出会いがあると仮定したとしても36,500人。言葉を覚える前から毎日必ず新しい出会いがある人はいないと想定すれば、もっともっと少ないのが本当でしょうか。

情報社会の現代では、数万人という人の数をよく耳にします。しかしそれは実に想像しがたい数だと解ります。女なんて・・男なんて・・そう話す20代の方がいらしたら、日本人に限定しても全体の約0.005%しか会話したことがないと想定できます。全体の1%を知っていても、まだその存在を語るには不十分と言えるのではないでしょうか。その人が持ち合わせている感性や、何が好きで何が嫌いかなどの趣味趣向、育った環境や経験してきた道のり、賢さ、人は千差万別です。男なんて・・女なんて・・と憎しみを持って断定することは、いつまで経ってもできません。50%以上の日本人と最低でも5分以上話したことのある人は、この世にいません。生涯をそれに費やしても日本人口の0.1%にも満たないのが現実です。

 

夜空に光る1つの星からの視点で地球を見たとき、あなた1人の存在は実に取り留めもないものです。あなたを取り巻く社会や世界も、有るのか無いのか解らないようなもの。と同時に、それほど宇宙は壮大です。

生きているということは、そんな神秘なる宇宙・地球が産んだもの。それに比べ、意味という概念は人類が誕生してからのものです。厳密に言えば意味という言葉はあなたの頭の中にある一つの概念です。

意味という言葉の領域を超えたところに、生きるということの理解がある。それは生きることでしか理解する方法はない。生きることでしか、生きることを捉えることができないものです。

 

宇宙は無機質で無感情のよう。人間は無情で残酷に見えることも。生きていることは虚無とさえも考えられる。もしそう感じたことがあるならば、銀河の向こう側の星から自分の人生を観てください。

自分一人の存在は見事なまでにクダラナイ。あなたが見てきた世界もアッパレなほど取り留めもない。でもだからこそ自由であり、愛おしい。そう感じられたら幸運です。実は全ての存在が、謎を生きる不確定な脆い存在です。宇宙からすれば生きている意味なんて意味のないものかも知れない。でもだからこそ、あなたの存在を肯定してくれる誰かの体温に触れたときグッとくるものだと思います。

 

意味や価値を越えて、感性と想いの赴くままに生きてください。魂の赴くままに大切なものを見つけられたらこの上ない幸運です。

 

 

- 一葉 -

あなたは大樹に生い茂る一枚の葉っぱ。ただただ、大いなるものに導かれていくように生きていくしかない。風に吹かれれば揺れ、雨に打たれれば跳ね、日射しを浴びれば伸びる。周りを見ても同じようなもの。

 

自分だけはある種、特別な人間だと思っていた青い頃、いつしか特別な存在ではないことを受け入れている。しかし本当は、多くの人が特別な人だった。そのことに喜びを感じたら、やはりあなたは特別な存在。あなたはただ大いなるものに導かれるように生きていけばいい。

 

見守られている。与えられている。でも逃げてもいいし、学ばなくてもいい。枯れて地に落ちて、大樹の根に抱かれ、やがて雨風と共に土になり、栄養として再び葉になる。あなたはただ大いなるものに導かれていくしかない。

 

抗えない運命もあり、どうしようもできない怒りもある。何を目指していけばいいのか解らないまま、途方に暮れることもある。そんなときは健康を目指せばいい。調和を目指せばいい。物事の表裏を掴めばいい。意味や理由や価値に捉われない人生でも、大切なものを持たない人生でもいい。

 

- 冒険 -

このまま満足に笑って死ねるか。冒険は、それを取捨選択し始めることの挑戦から始まる旅です。本当の故郷。生を全うする達成感。自由の実感。冒険を体感したことがなければ、そんな憧れが膨らんでくるかもしれません。しかし、そういった期待は容易く打ち砕かれる。自身を野にさらせば、自分の命なんて消えて当然のものだとすぐに気付かされてしまうものです。

 

自分の存在を肯定してくれる人間が1人でも思い浮かぶことは奇跡。誰かからの肯定を受けていたからこそ、今まで生きてこれた事実。誰かを肯定しなければ存在する意味がないことを感じるでしょう。

 

体感して初めて知る機微なる感触。木を見て森を見ず。井の中の蛙、大海を知らず。物事や人を、さも解ったかのように言うことは、いつまで経ってもできないということに気付かされます。何事においても、解るはずもないということが解るのです。

 

失敗や挫折、敗北を知るからこそ、自分にできる唯一のことに気付ける。ときに、生かされたと思わざるおえない惨めさと希望。それを味わったとき、自分に残されている可能性に挑戦できるようになるのです。動機は、自分を肯定して欲しいためだけのものではなくなります。

 

冒険をし続けていれば、否定されることの連続。失うものの方が多い。そんな人生になるかもしれません。でもあなたは冒険をしていい人です。大いなるものにあなたがどう導かれるか。どういう巡り合わせに影響されるか。これは冒険の醍醐味でもあります。誰かに影響されて考えが変わるのは愛ゆえ。変わらない意見を持つことに愛があることと同じこと。本当に大事なものを失うからこそ得るものもある。そこに覚悟ができるのであれば、あなたは冒険をしていい人です。

 

誰にでも岐路に立ち、迷い苦しむときがあります。そんなときの道しるべは、このまま満足に死ねるかどうか。それを基準にしたとき、大小問わず冒険が始まるのです。こんな気持ちのまま生きていくことができるのであれば、ずっと生きていたい。理想論かもしれませんが、心の底からそう思い、死んでいくのが心地いい死だと私は考えます。それはやはり、大切な誰かや何かを大切にしているときです。

 

自分の未熟さや儚さが身にしみたとき。自分の存在の小ささや無力を思い知ったとき。より強く感じるかもしれません。自分だけは、とか、たまたま上手くいってほしい、とか、勝手気ままに、なんていうのは妄想に過ぎない。唯一の生きる道、残された光は、何かを大切にすることができる自由があることだと。

 

 

- 牙と毒 -

ときに毒を使い、刃を向け、殺す気で挑むこともアリかと思う。人を肯定する心を持っているあなたは、生き続けるべき存在だが、ときにそれが弱さになるときがある。あなたを理不尽に否定してくる人に、へこへこする必要は無い。最悪の場合、心も身体もボロボロになり、果ては無念の死に至ることもある。やらなければやられる世界で、相手を思いやる気持ちはアダとなるときもあります。死ぬ気でやっていたら、本当に崩壊することもある。ときに殺す気で行かなければならないときもある。かといって正面切っても部が悪い。痛手を被るのはこちらだという先の見えたことをしては自殺行為。そのときは、守るべきもののために裏工作をするのも手。知恵を絞り、生きられる環境作りをしましょう。怒りに縛られている時こそ、肩の力を抜いて挑むのです。

相手を陥れるくらいの毒でなくとも、薄めて薬のような毒を。相手に致命傷を負わせるくらいの刃でなくとも、危険だと思わせるくらいの刃を。正面からではなく、思わぬところからの攻撃は、ときに必要だということを忘れないで頂きたいです。

 

- 全面肯定 -

あなたの存在を丸ごと否定するかのような言動を浴びる毎日があれば、人生に嫌気をさすことだってあるかもしれません。まるで我慢比べのような仕事。うんざりすることが当たり前かのような日々。こんな毎日から抜け出したい。生きていればそう思うこともあるではないでしょうか。

 

何を目指して生きていけば良いのかというと、ただ笑って過ごすこと。そして生まれてきてよかった、生きててよかったって思い続ける日々に向かうしかない。いや、それができれば生きていることの意味を考えないのかもしれません。

 

肯定してくれる誰かがいてくれればキツさや辛さ、苦しさがあっても前向きになれる。でも否定し続ける人に対してどうすれば良いのか、悩みものです。また、そんな人を否定する心に支配されて、怒りややるせなさにとらわれるのもいかがなものです。その場合は、無理やりでも全てのことを肯定するのです。すると世界は変わります。いやいや、そんなことは綺麗事、どんな場面でもそれができるのはもはや人間じゃないと私も思います。しかし、否定されたことに対しての憎悪に捉われ続けていたら、否定するだけの人生になってしまいます。否定してくる存在さえも肯定することができれば、無敵。ではどうやってそれをするのか。ほぼ不可能ですが、ねじ伏せるがの如く全面的に肯定するのです。誉め殺しとは違うが、殺す気で褒める。こじつけかのように無理やり心の中で肯定し、完結させる。これです。

 

その人、その存在を、心の中でむりくりに’存在するべき存在だ’と決めつけるのです。微々たる良いところを拾ってスゴイと言い聞かせるのです。と同時にあなたがその人に対して抱く否定的な感情を叩きのめすのです。否定的な感情がある人のことを、心の中で徹底的に本音でホメゴロし、皮肉を入れずにねじ伏せるように、叩き潰すかのように肯定する。

 

するとその人に否定されても、否定し続ける気持ちに縛られず、その人のいいところを吸収することができるかもしれません。問題なのは、あなたが誰かに否定されても、嫌悪感や憎悪など、誰かを否定的に捉える心に縛られないようにするということです。もちろん、できないことの方が多い。でも、否定されたときの負の感情や、否定する心に注ぎ込まれるエネルギーは、誰かを肯定するための学びや力に転換された方が為になると私は考えます。自分が誰かに肯定されたいがための言動や動機はもうやめて、次は誰かを肯定するために、命を懸ける生き方を願います。

 

 

- 最後に -

生きていることは、なんだかよく分からないこと。何のために何をしているという理屈を超え、良くも悪くも苦汁を嘗めることがあります。難しく考えようが気楽に捉えようが、自分を変えようが環境を変えようが、生きる気力を失うときがあって当然の代物。

生きている意味の答え---。私は2つだと考えます。1つは自身の感性と培ってきた想いの赴くままに生きること。もう1つはどんな人のためにどんなことができるのかを考え行動すること。正しさは測れないゆえ、表裏であると考えるのが相応と考えます。思うように生きていたい気持ちを大切にしながら、理屈どおりにいかない自然のうねりに身を委ねることで、あなたなりの何かが見えるものだと私は信じています。自分本位に生きるのも、人の為にと生きるのも、容易ではない。どちらにも敗北を感じるときが必ず来る。そしてどちらかに没頭して余裕ができたとき、初めてどちらにでも生きれる。それは表裏一体となっているのではないかと気付かされます。

生きている、存在しているということは、意味という理屈でまとめられるほど行儀のいいものでない。実に大掛かりであり、語り納められるものでないでしょう。生きている意味は、意味を越えた解りえないものだと分かったところで、さてどう生きるか。

    ---もしかしたら、意味が無いのを嬉しく思う生き方が1番いいのではないか。私はふっと、そう感じたりもしております。それが、生きている意味を問う心のゴールではないのかと。生きている意味を探求し続ける日々は、生きていく意味を製出し続ける日々へと続き、やがて意味が無いことへの魅力に心が惹きつけられる。答えは育まれるものならば、今日付の私なりの答えはこれかなと思っております。


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