阪神淡路大震災からもう30年経つのですね。

勤務していた電機メーカーは拠点の半分が西側。あの日は会社に行ったら「朝のニュースでやっていた地震、相当大きかったらしい」「伊丹方面の電話が通じない」と騒ぎになり、「死者が2000人規模になるって」ではっきりと(これは日本の歴史に残る大災害になる)と感じたものです。実際犠牲者はその3倍になったのですが・・・

 

当時は自分は外国人研修生を受け入れる担当で、折悪しく、シンガポールの大手取引先の御曹司がマネージャー研修のため来日しており、休暇をとって西宮の知人の家に泊まる、という日でした。当時は携帯電話も普及しておらず

(よりによって何でこの日)(なんでセレブ)と焦ったが、昼ごろ確認出来て本当に良かった。今頃社長になっているかもだが、彼もこの日を思い出しているだろうか。

 

5万人規模の会社において、知り合いが一人も亡くならなかったのは(関連会社社員の親御さん、くらいはあったらしい)奇跡的ともいえる。早朝の就寝時刻で、二世帯住宅はたいてい一階に親、二階に子供世帯なので家が倒壊して親世帯が犠牲になったケースが多いとも聞きました。

私たちが子どもの頃はまだ「関東大震災の時は」と語られることが多く、屋根瓦が飛んでくるからみだりに外に出るなと言われたが、阪神淡路以降は「家が倒壊する危険」を考慮して一時避難場所の確認、揺れが収まったら避難場所へ徒歩移動ともいわれるように。その後、都内では避難場所は全員収容できないので「なるべく在宅避難」と言われる。ペット同行避難も新しい課題だ。

 

ガス元栓など火の元に注意するのはもちろんだが、最近では、太陽光パネルが新たな火災元としてひそかに指摘されている(普及させたいアイテムなので公には言われていない)。屋根から落ちたり、故障した状態で日光が当たり発電が始まり火災原因になるそうです。

「災害時に太陽光発電」とは停電時に対応できるという話で、故障した太陽光パネルは新たな災害を生むリスクがある。この話は後日ゆっくり検証しようと思っています。