最終日は長崎に移動し、国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館を訪ね、平和教育と被爆の記憶の継承について聴取。長崎は医療事業部時代に長崎大医学部に出張し、原爆の爆風でかしいだ門柱を見たこともあったし、家族旅行で大浦&浦上天主堂や爆心地にも足を運んでいるので見るものは見たつもりでいましたが、今回の訪問でまた新しい発見がありました。

 祈念館は資料館と違って被害の実相を伝えるというより、例えば原爆死没者名簿を収めた追悼空間がある。

正面の段に見えるのが死没者の名簿を収めた棚この延長に爆心地があるよう設計されている。

また、死没者の顔写真、名前を検索できるシステムがあったり、被爆者のその日の記憶をたどった、手書きを製本化した壮大な文集がある。これらのレファレンスは今後の原爆研究に役立ちそうな貴重な資料です。手書きの文章は卒業文集と同じく、人柄がにじみ出るインパクトがあります。

館長さんの説明によれば、8月9日は最初小倉に原爆投下するはずが視界不良で出来ず、長崎も曇っていたが一瞬雲の切れ目があって投下となったということ(長崎でだめなら海へ投下だったそうだ)。長崎は敬虔なカトリック教徒が多く、原爆は神の人間への罰なのかと長く苦しんでいたのだが、1981年に来日したローマ教皇ヨハネ・パウロ二世の「戦争は人災」発言で救われた…など、一篇の小説のような心にせまる話を聴きました。教皇の来日は大きく報道され憶えているが、そんな背景があったとは。

館長曰く、年数が経つと昔は出せなかった資料が出てくるので最近のNHKドキュメンタリーなどは勉強になる。逆に、名著とされた原爆文学が、今では古本屋でしか探せなくなった、と。「われなお生きてあり」(福田須磨子)はぜひ探してみましょう。

「広島の原爆ドームのような、長崎の原爆の象徴はなんだと思いますか?」と聞いたところ「城山小学校の被爆校舎とか…」とまだ知らない遺構の名が。これは次の機会に訪ねてみたい。代表的な遺構が5つあるそうです。

https://nagasakipeace.jp/japanese/abm/insti/5.html

公園となっている爆心地。

 

爆心地のすぐ横に、被爆した浦上天主堂の遺壁が移築されている。ローマ遺跡のように美しく、若い女性が写真を撮っていた。

彼女もまた齢を経て、別の思いで長崎を振り返る日が来るかもしれません。

若い世代への平和教育について学ぶための訪問だったが、(8月9日、もし長崎の空が曇っていたら―)振り返っても仕方ないことが心にかかる最終日となりました。