怪しき雲が通過…



11時頃起床。

小さなパンを一つ食う。

おやつの時間に家を出る。

泳ぐ…。

こうして吉野家に入ると、輸入再開だのアメリカ産だのオーストラリア産だの全てが陳腐に思えてしまうほど旨い牛飯を食うことができる。この日の牛すき鍋定食の味は忘れまい。

スイマーの経験上、水泳というのは元々他の運動に比べ空腹に陥ることが多い。それだけのエネルギーを消耗する全身運動なんだろう。さらにこの日はろくなエネルギー摂取をせずに臨む失態ときている。

以前は水陸両用スピード寄りのスタミナ兼備万能ホースだったが、近年スタミナが著しく低下し、最近では恐らくサクラバクシンオーである。

故障だってある。数年前患った屈腱炎の後遺症で片足に重心が寄る癖がついている。その証拠に靴のインソールの文字は、一方が新品同様なのに対しもう一方の文字はほぼ消えている。脚の付け根の筋肉も左右不均等である。足首も健全な方に比べ半分ぐらいしか曲がらない。これだけがたついていればスピードも低下してしかるべきところだが、これに関しては一ヶ月程度の特訓期間があれば9割ぐらいまでは戻せるだろう。

スローペースで折り合って余力を蓄えるのが苦手だ。

ゲートが開いたら後のことなど考えず突っ走る性質である。

200メートルのレースを50メートル競走のつもりで走っては勝負にならない。

だから泳ぎに行っても50メートル泳いでは休み、泳いでは休みの繰り返しで大体400500メートルで終いにする。全力を出すことはないが6~7割ぐらいのスピードは出している。3割に抑えて、果たして歩いているのか泳いでいるのか判断しかねるスピードで1000メートル以上泳ぐには「折り合い」が必要である。

この例は陸の上にも通じる。

ランニングをするとき、やはり3割で折り合おうとはせず、それなりのスピードを出すため200300メートルぐらいで区切るのだ。

だが気まぐれというものは突如としてやってくる。

川沿いのサイクリングロード。いつになく3割で抜群の折り合いを見せると、いつもの区切り位置など軽がると突破して隣町の駅、繁華街の辺りも楽々と通過する。道中はペースを上げる余裕さえあった。結局隣町の奥地まで休むことなく走り続けた。折り合いの大切さ、そして3割を不心得だったために敗北した過去の戦いが悔しさと共によみがえってくる。

いつも300メートルぐらいしか走らない男にしたら恐ろしい進歩である。

バクシンオーからまずはタイキシャトルへのステップアップは時間の問題だ。

しかしいくら折り合ったからとはいえ、散々走った後に上がり33秒の脚を使えというのは酷である。