4-6 三ヶ条の御文 感謝とは ー自分で損を引いていることに気づかせてもらうー | 新・坊主日記

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2007年2月22日からブラジルの、サンパウロ別院でお仕事をする事になりました。
日本とは場所も言葉も文化も違うところですが、人間が喜怒哀楽の中で生きているのは同じです。
沢山の人たちに出会って共に学び合いたい!
坊主日記、2014年からはマリリア編に突入!

4-6 三ヶ条の御文Bom dia Rito matinal do Templo em Marília. ブラジル🇧🇷お寺から朝のお参り中継🙏😊

 

おはようございます。

今日は父親の83歳の誕生日でした。母は今年80歳でもう三月三日に迎えました。幸い両親元気そうで何よりです。

来年もし日本に行くことになったら父親方のいとこ会をするから早めに日時を知らせるようにということでした。

来年はいい年になりますように。 今年はマリリアのお寺の建立70周年記念法要が十月十八日に控えているのです。

父親がその記念に古くなった本堂の軸を修復してくれると言ってくれましたが、コロナの影響で今年には間に合わないようです。

しかし、来年にはお披露目できるのではないかと期待しています。マリリアの御門徒も喜んでくださるのではないでしょうか。

 

 

さて、今日は阿弥陀経のお勤めです。

伽陀

 

阿弥陀経 8ページ

短念仏

和讃 十方微塵世界の 添 万行の  50ページ

回向 願以此功徳

です。 御文はページの下に原文を掲載して、リンクを辿れば言葉の意味もわかるようになっております。

最後に私の感話を書いています。 感想や質問、なんでも書き込みしてくださいね。

 

 

 

 

3-6 三ヶ条の御文

 

 そもそも、当月の報恩講は、開山聖人(親鸞)の御遷化の正忌として、例年の旧儀とす。これによりて遠国・近国の門徒のたぐひ、この時節にあひあたりて、参詣のこころざしをはこび、報謝のまことをいたさんと欲す。しかるあひだ、毎年七昼夜のあひだにおいて、念仏勤行をこらしはげます。これすなはち真実信心の行者繁昌せしむるゆゑなり。まことにもつて念仏得堅固の時節到来といひつべきものか。このゆゑに、一七箇日のあひだにおいて参詣をいたす輩のなかにおいて、まことに人まねばかりに御影前へ出仕をいたすやからこれあるべし。かの仁体において、はやく御影前にひざまづいて回心懺悔のこころをおこして、本願の正意に帰入して、一念発起の真実信心をまうくべきものなり。それ南無阿弥陀仏といふは、すなはちこれ念仏行者の安心の体なりとおもふべし。

そのゆゑは、「南無」といふは帰命なり。「即是帰命」といふは、われらごときの無善造悪の凡夫のうへにおいて、阿弥陀仏をたのみたてまつるこころなりとしるべし。そのたのむこころといふは、すなはちこれ、阿弥陀仏の衆生を八万四千の大光明のなかに摂取して往還二種の回向を衆生にあたへましますこころなり。されば信心といふも別のこころにあらず。みな南無阿弥陀仏のうちにこもりたるものなり。ちかごろは、人の別のことのやうにおもへり。これについて諸国において、当流門人のなかに、おほく祖師(親鸞)の定めおかるるところの聖教の所判になきくせ法門を沙汰して法義をみだす条、もつてのほかの次第なり。所詮かくのごときのやからにおいては、あひかまへて、この一七箇日報恩講のうちにありて、そのあやまりをひるがへして正義にもとづくべきものなり。

一 仏法を棟梁し、かたのごとく坊主分をもちたらん人の身上において、いささかも相承もせざるしらぬえせ法門をもつて人にかたり、われ物しりとおもはれんためにとて、近代在々所々に繁昌すと云々。これ言語道断の次第なり。
一 京都本願寺御影へ参詣申す身なりといひて、いかなる人のなかともいはず、大道・大路にても、また関・渡の船中にても、はばからず仏法方のことを人に顕露にかたること、おほきなるあやまりなり。
一 人ありていはく、「わが身はいかなる仏法を信ずる人ぞ」とあひたづぬることありとも、しかと「当流の念仏者なり」と答ふべからず。ただ「なに宗ともなき、念仏ばかりはたふときことと存じたるばかりなるものなり」と答ふべし。これすなはち当流聖人(親鸞)のをしへましますところの、仏法者とみえざる人のすがたなるべし。さればこれらのおもむきをよくよく存知して、外相にそのいろをみせざるをもつて、当流の正義とおもふべきものなり。

これについて、この両三年のあひだ報恩講中において、衆中として定めおくところの義ひとつとして違変あるべからず。この衆中において万一相違せしむる子細これあらば、ながき世、開山聖人(親鸞)の御門徒たるべからざるものなり。あなかしこ、あなかしこ。   [文明十五年十一月 日]

 

 

感想

 

最近参加してくださる方が増えているようで嬉しいです。しかも感話だけでなくお経や正信偈のお勤めも一緒にしてくださっているようで何よりです。参加されている方の映像もズームみたいに表示されるようになったら私は嬉しいのですが。しかし中にはコメントで南無阿弥陀仏と書いてくだるのでそれでどなたが参加しているのかわかるようです。

 今日の御文も京都の山科での報恩講でのお手紙です。三つの真宗門徒(僧侶)としての振る舞いをお念仏の精神を獲得することによって諫めています。 つまり念仏の教えをきちんと受け取っていないから争い事の本を作ったり、名誉や金銭を優先する振る舞いをしたりするのであるとおっしゃっています。 本当の名誉やお宝は念仏にあるのに、真実の宝物をほかって置いてもったいないところで争っていると示してくださっています。 宗教に限らず私たちは社会の中でそのようなことをして損を自ら選んでいるのかもしれません。 三つのエゴ、名誉欲からくる、嘘や偽りお節介が大きな争いの種になってしまうのですね。気がついてないだけで日々そういうことをして結局不満の生活を自ら引いているのかもしれません。 南無阿弥陀仏

念仏は自分の心を照らす心の鏡でもあると聞いたことがあります。

 

それではまた明日、一緒にお参りいたしましょう。

 

 

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