今日は一日晴れやかで、とても暖かなお天気でした。 

 

2011年の3月11日の天気を、私は鮮明に覚えています。 その日の福岡は、晴れてはいたものの、黄砂のせいか、空がやや黄色く靄ってみえる、この季節特有のお天気でした。


未曾有、といわれた大災害の起きた場所から、一番離れた対角にあたる位置に、私の住む街はあります。 

 

だからその日は、いつもと何も変わらぬ日常を、何も知らずに過ごしていたのでした。

あの日出来事を、きっと誰もが忘れることはできないでしょう。  

 

様々な人が、様々な立場で、様々な想いを持って関わり、向き合わねばならない、とても大きな大きな災いでした。

あれから9年がたったのですね・・・。

 

希望の「希」の字は、一文字で、「こいねがう」と読みます。

 

希(こいねが)う、とは、「強く願い望む」という意味です。  

の字は「のぞむ」とも読み、の字もまた「のぞむ」と読みますので、そうすると「希望」とは、「のぞみ、のぞむ」ということになりますね。

「希望」を辞書でひいてみると、「未来に望みをかけること」と記してあります。 

希望という字からイメージできる、期待する方向に展開する、将来的に明るい見通し…そんなニュアンスの通りの、とてもポジティブな言葉です。
 

私にいただくご相談や、ご質問の中には、時々、「生きる意味を知りたい」とか、「生きることが空しく感じる」という言葉を見かけることがあります。

 

人はなぜ生きてゆかねばならないのか。 

 

それは、「生きているからこそ、できることがあるからだ」と、私は思います。

生まれた使命だとか、そんなたいそうなことでなくていいのです。 生きているからできること、それをやれるということが、生きている意味なのではないでしょうか。

あの日、津波が奪い去って行った、たくさんのかけがえのない命。

 

子供たちには、きっと、将来への、たくさんの大きな夢があったことでしょう。 新しい環境に変わる4月のことを思い、期待に胸を膨らませていたでしょう。 


数日先の、春休みには、やりたいことがたくさんあったでしょう。 

大人たちのどなたにだって、これから先にやる予定だった計画が、たくさんたくさんあったでしょう。  

今夜家に帰ったら、家族に話そうと思っていたことがあったでしょう。  これからあの人に伝えるはずだった気持ち、当たり前に伝えるはずだった出来事・・・。

 

全て、叶うことはなかったのです。


自分のやりたいことをやる、できることをやる、ということが生きる意味であり、生きてゆかねばならない以上、やらないといけないことなのではないか…。 

 

私は最近、特にそう思うようになりました。

 

ならば、いつかやろう、そのうちやろうと思うことを、できるだけ先延ばしにせずやらなければ。

 

 

私は昨年から「描く」ということを、始めました。


絵を描くことは、本当はずっとやりたいと思っていたのに、「私なんかにはとても・・・」 そう思って、できないでいたことです。

妹のBeBeからは、ずっと前から「描いてよ~」と言われていたのに、下手だし、才能もないし、無理。 そう思ってできなかったのです。

でも、あるときふと思いました。  才能なんてものは、誰にでもあるものではないのだから、そもそも私にないのは当たり前なのです。 

だから別に、下手でいいのだ。 上手いものを描こうだなんて、それがそもそも、おこがましいのだ、と。

生きているなら、できることをやらなければならない。

私たちは生かされている。  生きていること、それがすなわち、希望だと思うのです。

 

 

 

    

私の三作目にあたる観音菩薩です。  旅立った魂の、やすらかなる眠りを願い描きました。


 

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