私たちは何ができるのか

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Vol 5


皮肉な言い方をすれば、私たちは大きな問題であればあるほど、安心して論じることができる。

「地球温暖化をどうする」「アフリカの貧困をどう救済する」といった問題は、とうてい個人の手におえるものではない。

国際社会が総力で取り組んだとしても、解決はきわめて困難な問題だ。


地球温暖化に不安を抱きながらも、どれだけの人が日々の生活の中で二酸化炭素排出を減らす努力をつづけているだろうか。

自分ひとりがエアコンを消したって、どうなるものではないと密かに感じている人も少なくないだろう。こうした無力感は、無責任と隣り合っている。

確かに、大部分の日本人にとってアフリカは遠い存在だ。

悲惨なアフリカのために何かしたいが、個人ではどうしようもない。

だが、私たちは「できない」理由を無意識のうちに探しているのではないだろうか。私たちができることは「何ができないか」ではなく、

「個人としてでもいいから、何ができるか」ではないか。

私自身、「アフロペシミズム」(アフリカ悲観主義)の無力感に襲われたときに、ある人のことを思い出す。

20年前のアフリカ大飢饉のときに、一度だけ会ったある日本人だ。

その人は、個人タクシーの職を投げ打って、飢餓救済のためにアフリカにわたった人だ。志なかばでマラリアにかかってなくなった。「なぜ、いい年をしてアフリカにくるのか」を聞かれるたびにこう答えているといっていた。


日本人もアフリカ人も、地球という同じ長屋に住んでいる。

たとえ長屋の離れたところで火事が起きても、消火の手伝いに出かけるのは当然だ。こっちにだっていつ火が移るかわからなのだから」

つまり、「一人で頑張ってもどうしようもないのだから、火事は消防署にまかせておこう」と思うか、せめてバケツ一杯の水をかけることでも、火事を消す努力しようかと思うか。


もしかしたら、それを見てたくさんの人が、それぞれバケツを持ってはせ参じるかもしれない。もしかしたら、小さな火なら消防車が到着する前に消せるか、火を小さくできるかもしれない。


40年以上の駆けだし新聞記者だったときに、大火事の現場の取材でこんな経験をした。

興奮して現場を走り回っているときに、他社の同じ新米記者が、被災者と一緒になって火事場からピアノを担ぎだしているのを目撃した。そのときの衝撃はいまも忘れられない。その記者は間もなく新聞社を辞めた。

むろん、出火原因や消火作業などを報道することによって、目の前の少数を助けるよりもさらに多くの犠牲を防ぎうるという理屈はある。だが、現実に困っている人を前にして何もしなくてもよいのか、という疑問はいまも自分のなかでは解決していない。

 個人でも、できるという例を紹介しよう。

私の本にも書いた「コーヒーキッズ」という運動だ。米国ロードアイランド州で、コーヒー店を営む一人の人がはじめた。

中米を旅したときに、朝早くから暗くなるまでコーヒー農園で摘み取り作業に追い立てられる貧しい子どもたちを見て衝撃を受けた。

 そこで、コーヒー愛好者やコーヒー産業の関係者に働きかけて、年間50万ドルを目標に基金を集めた。

そこから、子どもたちの育英資金や母親が自立するための無担保、少額の資金融資であるマイクロクレジットを提供している。

この資金で、助産師、美容師、屋台や養豚などで、自立できた女性が1000人を越えて、その何倍かの子どもたちも学校に通えるようになった。たったひとりの意志ではじまった運動が、いまや世界的に注目されている。

 

コーヒーのような一次産品は、生産者価格の暴落とともに、大変な不条理が横行している。たとえば、ウガンダの例では、農家が1キロあたり15円でコーヒー豆が、加工されて先進国の小売店に並ぶときに2800円にもなる。

このように、生産者の収入は減り続けている。世界のコーヒー価格を支配する少数の焙煎・製造の多国籍企業は、市場の知識や情報にうといアフリカの農民から、ときには生産コストを下回る価格で買いたたき、巨額の利益を上げているのだ。

生産者は収穫を増やして収入を補おうするために、さらに価格の下落を招く悪循環に陥っている。

これが、無理な耕作を招いて森林破壊にもつながる。この結果、コーヒーもカカオも生産者価格が暴落して、農民の生活もいよいよ苦しくなっている。

 このような会合に参加くださる人は、とっくに知っておられると思うが、こうした不均衡な貿易体制のもとで、零細農家や農業労働者の自立と生活改善を支えることを目的に、世界的にフェアトレード・ラベル運動が起こされている。

途上国の農産物を公正(フェア)な値段で買う運動だ。1988年にオランダではじまり、1997年には、世界各国の運動組織が1つにまとまって、「フェアトレード・ラベルリング国際組織」が設立された。

 昨年末現在、日本をはじめ欧州、米国、カナダの20ヵ国が加盟し、アフリカ、アジア、中南米の計45ヵ国、433の生産組合がFLOに生産者登録している。そこから仲介業者抜きで買い上げている。日本では、1993年に設立され、昨年からフェアトレード・ラベル・ジャパンと改称した。

 

フェアトレードの国際基準を設定し、それを守って輸入された商品にラベルを貼ることで、一般のマーケットに参入しにくかったフェアトレード商品の普及を目指している。最近では日本のスーパーの店頭にもフェアトレード商品が並ぶようになった。

消費者はあえて割高でもラベル付き商品を購入することで、途上国の生産者を支援することができる。基準を満たした質の高い農産物を、公正な価格で、しか前払いでかつ長期の契約を結ぶという貿易のルールを作成した。コーヒーにつづいて、ココア、砂糖、蜂蜜、バナナ、オレンジジュースでも、同じような「認証制度」がはじまり、さまざまな分野に広がろうとしている。

全世界に展開するコーヒーショップの「スターバックス」。NGO「グローバル・エクスチェンジ」の要求で、2002年から奴隷や子ども労働者を使っていない「フェァ・トレード・コーヒー」(公正な貿易によるコーヒー)を販売している。

一方、カカオ農園の子ども奴隷の実情を知った米下院の2人の議員が立ち上がった。米国内で売られているココアとチョコレート製品を審査して、合格したものに「子ども奴隷を使っていません」(NO CHILDREN SLAVE LABOR)というラベルを貼る認証制度の法案を議会に提出、3年前に下院を通過した。

 スターバックスで成功した「グローバル・エクスチェンジ」は、チョコレート業界を次のターゲットにした。バレンタインデーに米国の有名チョコレート店の前で、子どもの奴隷を使ったココアを使わぬよう抗議デモをかけ、販売するチョコレートの最低5%は「子ども奴隷無使用チョコ」にするように要求した。

チョコレート業界はこうした世論に抗しきれなくなり、アフリカのカカオ農園の子ども奴隷一掃計画に協力する方針に転換した。チョコレート製造者協会(CMA)は、カカオ産地の西アフリカ諸国政府や国連機関を含む多くの組織と協力、子ども濫用と強制労働と闘うパイロット・プログラムを始動した。

 だが、問題はむずかしい。小売店が「奴隷無使用チョコ」ラベルを貼った製品だけを売買し、消費者がそれを購入すれば問題は解決するのだろうか? 「子どもたちが奴隷から解放され本国に送還されたとしても、その後はどうやって生きていくのか」という問題が解決されていない。

もともと貧困ゆえに親から売られ、あるいは自ら職を求めた結果、奴隷になったものが多い。「親元に返しても、元の貧困の荒海に突き落とすだけではないか」という批判がついてまわる。

 

パイロット・プログラムでは、カカオ農園の子ども奴隷を監視するシステムをつくり、労働環境の改善、最低賃金制などの基準と、それを業界会が自発的に認証する制度を設け、今年後半から実行に移す予定だ。

このプロトコールには、子どもたちに就学の機会を与えるプログラムやそのための新たな基金の設立も含まれている。さ今後3年間に1万人を目標に子ども労働者を解放して学校に復学させる計画だ。

さらに、反政府組織の資金源となっていたシエラレオネのダイヤモンドでも、コンゴ(旧ザイール)の木材でも違法伐採・輸出を阻止するために、国際基準によって公式に認証する「森林認証制度」が浸透しつつある。

合法的に売買・伐採された材木には認証マークが刻印される。消費国が、このマークの刻印された木材や加工製品以外を購入しなければ、不法伐採は抑止でき、森林環境の保全にもつながる仕組みだ。

私たち日本人は世界屈指の大消費者であり、世界中からモノを集めてこの豊かな生活を謳歌している。とくに、食糧や木材は世界最大の輸入国である。それだけ生産者に対する責任も大きい。

昨年12月日に、スマトラ島沖のインド洋で発生した巨大地震と大津波によって、アジアからアフリカにかけての海岸地帯に大変な被害が出た。最近、さまざまな国際機関や研究機関の調査によって、海岸のマングローブ林が破壊された地域ほど被害が大きかった。

その破壊の最大の原因は、マングローブ林を切ってエビ養殖場に変えてしまったことだ。日本は東南アジアからの最大のエビ輸入国で、日本がこれだけ輸入したことが、マングローブ破壊の最大の原因だ。ハンバーガー用の牛肉が中南米の熱帯林を焼き払った牧場でつくられているとして、かつて問題になったことと同じものだ。

現在もっとも必要なことは「想像する力」だ。スーパーで積み上げられた冷凍エビの山を見たとき、バレンタインデーで大量のチョコレートが行き来するときに、安いハンバーガーを食べているときに、「どこからきたのだろう」「誰がつくったのだろう」「どんなふうに作られているだろう」と疑問に思って、インターネットを開いてみることだ。

そこに、すでにこうした問題をめぐる情報があふれていることを知るだろう。同時に、どんな貧困のもとでこうした製品が生み出され、その貧困がエイズや少年兵や子ども労働に深く結びついていることがわかるだろう。

そのときにまず、私たちがもっとも考えなくてはならないのは、まずアフリカに『何をしないか』ということだ。アフリカの風葬当事国に武器を売るのを止めさせる。医師や技術者らの専門家を引き抜かない。私たちもある意味では、知らず知らずに、加害者になっていることもある。

アフリカの古着を送る運動に関わっている人も多いだろう。でも、良質で無料の古着が、どんどんアフリカに入ってきたらどうなるでしょう。アフリカの零細な繊維産業を破綻させて、かえって失業者をつくりだしているかもしれない。大量の食糧援助で、高品質の穀類が援助がされるために、がアフリカの農業が衰退しえいるかもしれない。

これは、援助をするなという意味ではなく、送る緊急性や対象、タイミングをよく考えて、めぐりめぐってアフリカの経済を破壊させない方法で援助すべきだろう。

そして、私たちが何ができるかを考えてみたい。たった一人のコーヒー店のおやじさんの善意が広がったように、何かがはじめられる。そのおやじさんはこういっている。

「自分は途上国の人を助けたつもりが、実は自分の方が学ぶことが多かった。何よりも人を助けることがこれだけ自分の心を豊かにするとは思っていなかった」

米ワシントン・ポスト紙はこう社説に書いている。今日のアフリカの悲劇は、「世界がアフリカの惨状を傍観してきたために起きた。それは無関心による大量虐殺」である、と。

2003年に「日本のアフリカ年」がありましたが、ことしは「世界のアフリカ年」。この機会にもういちど、想像力にみがきをかけたい。

最後にアインシュタインの言葉を皆さんに贈りたい。

「あなたのしていることの理由を考えるために、立ち止まってはならない。大事なことは、疑問を持つことを止めないことだ。関心はそれ自体で存在意義がある」






























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