これまで、この書の預言はユダとイスラエル、特にエルサレムにのみ関係していました。 しかし今、イザヤ預言者は海外に目を向け始め、近隣の国民[1](states)や王国のさまざまな人々の運命を読み始めています。なぜなら、聖徒の王である主[2]は諸国の王でもあり、王自身の子らの事柄だけでなく世界の事柄も統治しているからです。

 しかし、これらの預言が実際に関係している国民はすべて、イスラエルに対して親切か不親切かなど、何らかの形でよく知っていて関心を持っていた神の民のようなものであり、それに応じて神は彼らを好意的に扱うか、御怒りの中で扱うであろう。 なぜなら、主の分(the Lord's portion)は神の民であり、主は彼らの周囲の人々に関する神の摂理のすべての摂理に目を留めておられるからである(申命記32章8~9節参照)。

 

申命記32章8,9節:

 8いと高き神が国々に嗣業の土地を分け 人の子らを割りふられたとき

神の子らの数に従い 国々の境を設けられた。

 9主に割り当てられたのはその民 ヤコブが主に定められた嗣業。

 

 バビロン、モアブ、ダマスコ、エジプト、ツロ(Tyre)などに対するここで我々が見出す脅迫は、神を畏れながらも有力な近隣諸国に恐怖し抑圧されていたイスラエルの人々を慰めるため、また、邪悪な人々の中にいる人々に対する警告を意図したものでした。 もし神を知らず、神の名を公言しなかった人々の罪を神がこのように厳しく責めるなら、神の名で呼ばれながらも神に反逆して生きている人々に対してはどれほど厳しいことになるでしょう。 そしておそらく、特定の預言を近隣諸国に向けることによって、それらの国々の一部がユダヤ人の聖書を読むように誘われ、その結果、彼らは自分たちの宗教に引き入れられるかもしれません。

 この章とその後に続く章には、バビロンとバビロンの王に対して神が言わなければならなかったことが含まれています。バビロンとバビロンの王は、当時はイスラエルにはほとんど知られていませんでしたが、時間が経つにつれてイスラエルにとって他の誰よりも大きな敵になるでしょう。 こうして、神はついに彼らのことを考慮することになるだろう。

 

この章では次のことが書かれています。

I. バビロンに対して使用されることになっていた軍隊の全体的な結集(イザヤ書 13章1-5節)。

II. それらの軍事勢力がバビロンで行わなければならない恐ろしい血なまぐさい働き(イザヤ書13章6-18節)。

Ⅲ. これがもたらすバビロンの完全な破滅と荒廃(イザヤ書13章19-22)。

 


[1] 「くにたみ」でしょうか。何か特定の日本語訳はありますか? Noah Websterによると、以下の定義をしています。A political body, or body politic; the whole body of people united under one government, whatever may be the form of the government. 次を参照すること。Webster, Noah. American Dictionary of the English Language (1828 Edition)

[2] 原文ではheですが、主のことと思われます。