強盗が起こっていて、それを見て見ない振りをする警察官はとても悪いですね。殺人者を無罪放免する裁判官もとても悪いです。もし神が罪を無視するのであれば、神は神ではありません。今、私たちの身の回りでは、多くの恐ろしいことがあることを私たちは知っています。毎日、ニュースは、ひどいことを他人にし、神に対して罪を犯している人たちのことを満載しています。時には犯罪や憎しみのニュースが私たちを悩まします。しかし、詩篇96篇11~13節は、私たちが喜ぶ理由を教えています。

天は喜び、地は楽しみ、海とその中に満ちるものとは鳴りどよめき、
田畑とその中のすべての物は大いに喜べ。そのとき、林のもろもろの木も主のみ前に喜び歌うであろう。
主は来られる、地をさばくために来られる。主は義をもって世界をさばき、まことをもってもろもろの民をさばかれる。(詩篇96篇11~13節)

聖書は、神が正義の神であることを保障しています。神は悪が永続することを許されません。イエス様が再び、地上に来られるとき、生きている者やすでに死んだ者であっても、すべての悪を為す者は裁きを受けます。そして悪しき行いに相応しいものを受け取るのです。

 

主は敬虔な人たちを誘惑の中から救われる方法をご存じであり、不正な人たちを罰する裁きの日まで留保しなければならないことを知っておられます。(第二ペテロへの手紙2章9節)

The Lord knoweth how to deliver the godly out of temptations, and to reserve the unjust unto the day of judgment to be punished: (King James Version 2 Peter 2:9)

神の義は無限、永遠、不変です。最高の人間の警察官や裁判官であってさえ、時々間違うことがあります。なぜなら、彼らは起こるすべてのことを見ることができないし、彼らが知ることができない秘密があるからです。神は全ての事をご覧になり、すべての秘密を知っておられます。私たちが考えていることや、私たちが何かしている時に感じていることさせ、神は裁くことがおできになります。というのは、神は私たちの心の中をご覧になることができるからです。

 

参考文献: Starr Meade, Training Hearts Teaching Minds, pp.20-1.