『世紀末覇王』──────
この単語を聞いて北斗の拳のラオウを思い浮かべる人が多いだろう。
しかし競馬界では正に覇王が君臨した時代が確かにあった。
99年クラシック世代。
その皐月賞馬こそが後の『世紀末覇王』にして史上初の『秋古馬三冠』を達成し、未だにその記録が破られていない『古馬王道完全制覇』───いわゆる『グランドスラム』を史上唯一達成した馬、テイエムオペラオーである。
同期にはサンデーサイレンスと名牝ベガとの間に生まれたこの年のダービー馬の『輝く一等星』アドマイヤベガ、かつてのリーディングサイヤーで社台の重鎮となる『北の味』ことノーザンテーストを母父に持つ88年マイルチャンピオンシップ覇者サッカーボーイとこれまた良血の『頂点への道』ナリタトップロード、マル外のためにクラシック出走権を持たなかった『怒涛の執念』、今ではノーザンレイクで筋肉痛モリモリマッチョ猫のメトさんと楽しく余生を過ごしているグランプリホースメイショウドトウ、高知競馬のアイドルで113連敗と絶対に当たらない馬券が交通安全のお守りとなったハルウララ等が世代の代表となるだろう。
まずこの世代で名乗りを挙げたのはナリタトップロードとアドマイヤベガである。
2頭とも良血で評価が高く、走りも良かったことから一躍クラシック戦線の主役にあげられていた。
しかしアドマイヤベガはかなり重たい過去を背負っている。
名牝ベガは母体としても優秀すぎたのか双子を身籠った。
通常であれば何も問題はないのだが、競走馬の生産となると話は変わってくる。
双子であれば栄養が半分に分けられるため母体のなかでの成長は普通より小さくなるため、この時双子の片割れが堕胎させられた。そうして生まれてきたのがアドマイヤベガである。これに関してはウマ娘のストーリーでもかなり重たい話となっている。
一方テイエムオペラオーというと、デビュー戦で8着入線の後骨折、長い休養に入っていた。
そして運命のクラシックシーズン。
骨折明けのテイエムオペラオーは復帰戦のダートで5馬身ちぎって快勝。
その後も条件戦を勝ち続け、オグリの功績でもある追加登録制度で追加登録料を支払ってクラシックに登録、皐月賞に殴り込んだ。
その結果は最後の直線抜け出したナリタトップロードを驚異の末脚で追い込んで1着。皐月のタイトルはオペラオーに舞い込んだ。
続くダービーではまたしてもトップロードが抜け出しを図ったが、後方から一気にアドマイヤベガが突っ込んできてゴールイン。
鞍上武豊騎手はダービー連覇を達成し、アドマイヤベガもダービー馬の栄誉を得た。
そして秋になりテイエムオペラオーは古馬との対決で京都大賞典に挑んだが、この時絶不調のスペシャルウィークをマークしたことで敗北。
トップロードとアドマイヤベガは菊花賞前哨戦の神戸新聞杯へ出走し、アドマイヤベガが勝利。
そして本番の菊花賞はスローペースとなり脚を溜めていたトップロードの末脚が爆発。同じく差し込んできたオペラオーをクビ差制して優勝。その名の通り『頂点への道』を駆け抜け菊花賞のタイトルを得た。
この時アドマイヤベガは謎の不調となり6着敗退。
その後脚の故障で現役引退となった。
そしてオペラオー陣営は謎のステイヤーズステークスからの有馬記念ローテを敢行。
しかしこの年の有馬記念は『最強の2頭』による一騎打ちとなり3着。しかしこの敗北はなんとスペとグラスのクビ差という今後の活躍を確信させる結果であった。
明けて2000年、馬主再度はオペラオー主戦の和田竜二騎手の仕掛けの遅さを懸念して乗り代わりを提案していたが調教師が説得して続行。この時陣営は『年間無敗』を目標にすることを条件に和田竜二騎手を続投させた。
そしてオペラオーはとても賢い馬で自分が十分と判断したら勝手に調教を切り上げる、自分で馬房を明けて脱走して他の馬の調教を眺めて帰るという逸話が残る程でこの時和田竜二騎手が「今年は敗けられない」というやり取りをしっかり聞いていたのか遂に覚醒。
京都記念、阪神大賞典とGⅡを連勝し迎えた天皇賞(春)、ラスカルスズカ、トップロードを抑えて優勝。そして宝塚記念に選出されメイショウドトウをクビ差抑えて優勝しこれでこの年4連勝。
迎えた秋、前年の雪辱を晴らすかのように京都大賞典をナリタトップロードアタマ差抑えて優勝し5連勝。
そして『一番人気は勝てない』ジンクスが続いていた天皇賞(秋)では一番人気に応えてジンクスを破り優勝。前年のスペに続いて天皇賞春秋連覇を達成し、2着メイショウドトウとは2馬身半ちぎって勝利している。またこの時中央競馬の東京・中山・京都・阪神のJRA四大競馬場全てのGⅠを制した初の快挙となった。
そして世界の強豪集うジャパンカップでも実力を遺憾なく発揮しクビ差圧勝。しかも2着はまたしてもメイショウドトウである。
この時オペラオーの獲得賞金はスペの獲得賞金を超えて『世界賞金王』となった。
そして運命の有馬記念。
かつて幾度も挑戦し、どの馬も成し遂げることができなかった『秋古馬三冠』、そして『古馬王道完全制覇』と『年間無敗』がかかったオペラオーは事故により怪我をした状態で出走。
『勝ち続けると、全ての馬が敵になる。その馬は完全に包囲された。道は消えたはずだった────』このJRACMのナレーションからわかるであろうが、道中オペラオーは他の出走馬に完全に囲まれ、進路を塞がれてしまっていた。あまりの出来事に陣営は「馬が可哀想だ」と涙を流したらしい。
そして鞍上和田竜二騎手も4コーナー辺りで諦めてしまっていた。
しかしオペラオーだけは違った。
ライバルメイショウドトウが直線で抜け出しを図ったところに着いていき、馬群を無理やり抉じ開けメイショウドトウをまたもやハナ差圧勝、陣営の目標であった8戦8勝の『グランドスラム』を達成。それだけでなくこの年だけで『古馬王道路線完全制覇』、そして史上初の『秋古馬三冠』を達成した。
陣営はこの時誰よりもオペラオーを誉めてやりたいといっていたようだ。
※この時後方でツルマルツヨシが故障で競争中止。診断の結果は左前脚繋靭帯断裂の重症で競争能力を喪失し引退。その後誘導馬に。
この2000年は世紀末であり、その世紀末の年に年間無敗の王者となったことから北斗の拳のラオウになぞらえて『世紀末覇王』と呼ばれるようになった。そしてこの記録は今でも破られていない不滅の記録となっている。
翌01年。
新時代21世紀となったこの年、さすがのオペラオーも衰え始める。
休養明けの産経大阪杯で遂に敗北。連勝は8で止まった。
そして天皇賞(春)は意地を見せて連覇達成し、遂にGⅠ7勝。
しかしグランプリ宝塚記念は遂にドトウの執念が通じてメイショウドトウに敗北。
その後も天皇賞(秋)では『勇者』アグネスデジタルに指されて敗北。続くジャパンカップでも『新時代のダービー馬』で平成三大種牡馬『凱旋門賞馬』のトニービン産駒で最もやかましい馬であるジャングルポケットに敗北、そして有馬記念ではマンハッタンカフェに世代交代を告げられ敗北、その後引退した。
生涯戦績26戦14勝(内GⅠ7勝)
GⅠ7勝は『皇帝』シンボリルドルフ以来2頭目である。
獲得賞金は18億3518万9000円。
これは現在の獲得賞金ランキングでも5位と未だにその地位は揺るがないものである。
このオペラオーが『グランドスラム』と『秋古馬三冠』を達成したことで、オペラオー以上の素質馬が出てきたときは競馬ファンはできるだろうとたかをくくっていた────────
しかし現実はそんなに甘くはない。
『グランドスラム』どころか『秋古馬三冠』を達成した馬すら1頭しか出てこなかった。
史上たった2頭の『秋古馬三冠』達成の偉業を成し遂げたのはこのオペラオーとサンデーサイレンス産駒のゼンノロブロイのみである。
『年間無敗』は今なおテイエムオペラオーのみしか達成できていない日本のアンタッチャブルレコードのひとつである。
逆にホントに達成したオペラオー、お主は何者なんだ?
競馬はオペラオーのように無名のアウトブリードから時たま化物が生まれてくるから面白い。
そして『年間無敗』で『古馬王道完全制覇』しそうな馬は去年まで居たが、海外に行っているのと、天皇賞(春)に出ていないのでこれには含まれないだろう。
その後トップロードも成績不振から引退。
メイショウドトウもオペラオーと同じくして引退し、オペラオーと共に引退式を行った。
その後各馬共に種牡馬となったが、最も早く引退したアドマイヤベガは僅か4世代だけを残して2004年8歳で早逝。
ナリタトップロードもその後を追うかのように3世代を残して9歳で早逝。
テイエムオペラオーは重賞馬こそ出たがGⅠ馬が出ず。
晩年まで種牡馬をしていたが2018年5月17日の放牧中に心臓麻痺で22歳でこの世を去った。
覇王世代のクラシック活躍馬は総じて短命が多かった。
そしてメイショウドトウもGⅠ馬が出ず、現在は種牡馬を引退してノーザンレイク似て晩年のタイキシャトルと共に過ごし、彼を見送った今はボス猫メトさんをたまに背中に乗せてのんびりとした余生を過ごしている。
余談だがドトウはオペラオーと聞くと不機嫌になり、和田竜二騎手が来たときは攻撃的になっていた。恐らくだがドトウにとってオペラオー=和田竜二騎手と記憶しているのだろう。
まあ、ドトウもオペラオーがいなければ最もGⅠを取れていたのだろうが───────
本当に97年~99年の世代は化物しかいない年だった。
ホントにお前ら何なんだよ
以上『世紀末覇王』伝説でした。