わたしの住む町の飲み屋街にあるとある飲食店の店先で、水槽に入った亀が飼われている。必ずしも食用というわけではなく、店主が飼っているペットのようである。ある日の朝、シャッターが閉まった店が並ぶその飲み屋街を通ったら、その水槽に入った亀を見かけたので、立ち止まって亀の様子をじっくりと眺めた。


亀は狭い水槽の中でモゾモゾと動いていた。そして、「こんな狭いところに閉じ込められて可哀想だなあ」と思った。なんせその水槽は直径50センチくらいしかないのである。彼にとっての世界はその50センチの水槽の中だけなのである。こんなところに閉じ込められて一生を過ごす亀の身になったら、物凄く気の毒に思えたのである。だってそうではないか。彼がここから外へ出ることは一生ないのだとするなら、この狭い水槽の中で生き続け、いつか死ぬのである。


そして、彼を水槽から取り出して、広い外界に解き放ちたい欲求に駆られたが、そんなことを勝手にしたら飼い主に叱られてしまう。しかし、仮にわたしが彼を外界に放ったとしたら、それはそれで彼のためにはならないと思い直す。狭苦しい場所から広い場所に出たはいいが、すぐさま彼に様々な危険が襲いかかるにちがいない。ここに留まれば、飼い主が餌を与えてくれるが、外へ出れば自力でそれを確保しなければならない。何より車道にでも出たら、車に轢かれてすぐにぺしゃんこになるにちがいない。自由を満喫できる時間もごくわずかに過ぎない。ならば、自由を犠牲にしても狭い水槽の中で暮らした方が彼のためにはいいことかもしれない。


普段は気にも止めないそんな亀の幸福について考えたのは、わたし自身の心の有り様と関係しているのだろうか。考えてみれば、わたしも水槽の中の亀同様、社会に保護されて生きている。わたしは水槽の中の亀よりも断然に自由だと思っているが、社会も一つの水槽であることは同じである。その水槽から外へ出ることは、自由な気分を満喫できるが、危険がいっぱいであることは変わらない。


*水槽の中の亀。(「いらすとや」より)