母が、弟に、
「ずっと昔から、その声も喋り方も大嫌いだったんだよ!」と言われたらしい。
弟は、私と違って、自分からは全く喋らない。
(「ほとんど」とかじゃなく、文字通り「全く」喋らない。)
話しかけても、かろうじて、2~3言、言葉が返ってくるくらい。
子どもの頃は、ひょうきんで無邪気で明るい、優しい子だったけれど、
家の中でのいろいろなこと、そして、学校でのいじめが重なって、
自分を表現しない、人と関わろうとしない、
でもプライドの高い、
「よく分からない人」になってしまった。
でも、基本は、すごく優しいと思う。
(あ、でも一時期は、カッとなると包丁持ち出したりしてたな。。。怖かった。。。)
母は、そんな弟を、母なりに守ろうとして来たんだと思う。
私は母としょっちゅうぶつかって来たから、
母は私に何を言われても、今さらそれほどダメージは受けないだろうけれど(笑)、
弟からそういわれて、かなりショックを受けている様子。
そりゃそうだね。
まさか弟がそんな風に思っているなんて、想像もしていなかっただろうから。
しかも、反抗期や思春期ならともかく、30歳も過ぎた今になって。
以前だったら、母の心中を思って、私も取り乱していただろうと思う。
でも、母からこの話を聞いても、それほど動揺しなかった。
・・・いや、やっぱり直後は、こんな風に思って落ち込んだし、やり切れない気持ちになった。
「どうしてこんな問題ばかり起こるんだ!
うちはずっとこんな問題だらけの家族のままなのか。
仲良くなったりお互いを大切にしたり、そういうことは望めないのか?叶わないのか?」
でも、あまりそれは長くは続かなかった。
それは、私が変わったからというよりも、
母が、思ったよりも落ち着いていたから、だろうけれど。
母は、すごく悲観的で被害妄想が強い面があるから、
こんなことが起こったら、また「消えたい、もう死んでしまいたい」だの、
「私なんて生きている意味は無い、今までの人生何だったの」と、
泣いたり喚いたりしていただろうと思う。
でも、今回は、心の中は嵐かもしれないけれど、表面上は落ち着いている。
母が取り乱したら、やっぱり私も、そんな母と、そして弟に対して、
悲しみと怒りでいっぱいになっていたと思う。
母とこの件で、少し話をした。
その時、私の口からは、「気にしなくていいと思う」という言葉が何度も出た。
何故なのかよく分からないけれど。
母の立場になってみたら、「気にしない」なんて無理だと思う。
ショックだろうし、「自分の今までの人生はなんだったんだ」という気持ちになるだろうと思う。
「うちは、子どもがみーんなこんな風になっちゃって。何が間違ってたんだろう。」
そう呟く母を見るのは、やっぱり辛い。
私もそうだったけれど、親が与えてくれるものを、子どもが受け取るとは限らない。
どうしたって、食い違いはあると思うから。
それに、たとえ「嫌い」だと言ったって、嫌いが100%では無いと思う。
嫌いが50%を占めていたとしても、好きとか感謝とか、他の思いもあって、
ただ、話の流れで「嫌い」が刺激されて、「嫌い」が出ちゃっただけ、っていう面もあるんじゃないかな。
仮に、心の底から嫌いだったとしても、そういう思いをずーっと自分の中に押し込めてたら、
それはいつまで経っても変わらない、「嫌い」のままだと思う。
でも、こうやって口に出すことで、何かが変わるかもしれない。
本人に言うことで、ある程度、解消するというか、終わりにできる部分もあるかもしれないし。
ここでお互いに話をすることで、色々と分かることもあるかもしれないし。
だから、悲観ばっかりしなくてもいいんじゃないかな。
そんな風に母に話した。
母は、「嫌いって言うんだから、100%嫌いなんでしょうよ。」と、納得はしていなかったけれど(笑)
母は、備忘録を兼ねた壁のカレンダーに、
弟が帰ってくる予定の日付のところに、こんなことを書いていた。
「聞く。ただ、聞く。」
それを見て、母の気持ちを感じて、その時は少し泣きそうになった。
母はたぶん、ちゃんと、受け止めようとしているんだと思う。
子どもを心配し過ぎたり、ついつい構い過ぎたり。
それは母の愛から来ているっていうこと。
母は、両親から見捨てられたような形で生きて来たから、
心配すること、構うことが愛の表現なんだ。
昔の母は、その自覚が無かっただろうけれど、いまは、それをちゃんと、自分で知ってる。
それを「愛」だなんて思えなかったけれど。
「母が自分の欲を満たしたいだけだ」という見方をして来たけれど。
それは、母の愛。
少しずつ、それが分かってきた。
正直、不安はある。
やっとここまで来たのに、ここからまた雪崩みたいに、家族が崩壊に向かうんじゃないか、って。
大袈裟かもしれないけれど、そういう不安は、ある。
でも、「全ては良い方へ向かうための変化である」ということを、信じてみる。
インディアンの中には、常にその部族の幸せ・平安を祈る、信じる役割のひとが居た、という話を聞いたことがある。
その役割のひとではないけれど、私は、「大丈夫」って信じる。
そして、昨日。
山川亜矢子さんの本を読んでいた時のこと。
何か、トラブルや「悪い」と思うことが起こった時に、
「私がどうにかしなきゃ」という思いを持つっていうこと。
ハッと、それに気付いて。
涙が出た。
ああ、そうだったんだなあ、って。
職場でもそうだ。
人間関係でも。
私に関係の無いようなことにまで責任を感じ、背負い込もうとする。
「私が」どうにかしなきゃ、何とか解決しなきゃ、って。
でも、実際にそれに対して、何か行動をするわけじゃない。
(ここが私の傍観者的なところ、「逃避癖」の出るところだと思う。)
その時、自分の中では、「私には関係の無いことだ」という思いと、
何もできない自分に無力感を抱いて自分を責める気持ちとが、同時に存在する。
また、「何もできない」という無力感が防御に転じた時は、
相手や状況への怒り、イライラになったりする。
私は、実は、優しいのかもしれない。
あはは( ̄▽ ̄)
でも、それが、自分を責めることや、相手への怒り・イライラになっちゃったら、元も子も無いよね。
何でも背負い込もうとする傾向、そして、無力感。
この感覚は、幼い頃に、家族の問題を何とかしたい、
母親を助けたい、幸せにしたい、と思っていたこと、
そして、それなのに自分には何もできなかった、
その経験から来ているのかもしれない。
(分からないけど~( ̄▽ ̄))
もう、なんでもかんでも背負いこもうとしなくていいんだ。
(実際、背負い込むことなんてできてないんだし~( ̄▽ ̄)ww)
リラックスして、その時に、自分がどう感じるか、どうしたいのか。
何かしたかったら、すればいい。
したくなかったら、しなくていい。
そして、「しないこと」に罪悪感は感じなくていい。(難しいけど。。。)
だから、今回も、「なんとかしなきゃ、丸く治めなきゃ」じゃなくて、
自分の気持ちに正直に居たいな。
今回のこと、いまは、客観的に観てる・・・気がする。
そんな自分を、冷たいように感じたりもするし、
居心地の悪さや罪悪感を感じたりする部分もあるけれど。
・・・こんなんでもいいのかな。
よく分からない。
でも、これが今の私、だしなー。
これしかできないよね。
今日もまた、長いつぶやきを。
読んでくださって、本当にありがとうございますo(^-^)o