今日は何の日? | 平成の侍 町井勲オフィシャルブログ『居愛道』Powered by Ameba

今日は何の日?

今日、2月22日は、歴史的にみて何があった日でしょうか?




1905年、竹島が島根県に編入されました。



朝鮮では15世紀初めから五百年も鬱陵島の「無人島政策を続け、国民の渡海を禁じてきましたから、この海域についての知識はすべて伝承、伝聞の類で、実際にどんな島があって、どのくらい離れているかなど、まったくわからなくなっていました。

$平成の侍 町井勲オフィシャルブログ『居愛道』Powered by Ameba-我が国の領土 竹島



調査の結果、『鬱陵島外図』『同内図』

という二枚の地図が政府に提出されます。

このとき鬱陵島の近傍には「竹島」「島頂」の二つが島として報告され、ほかは「巌」という岩礁として扱われました。鬱陵島との位置関係を精査すると、この二島は現在韓国でいうところの竹嶼と観音島であると考えられます。
日本の竹島(独島)にあたる島をこの地図で見出すことはできません。

$平成の侍 町井勲オフィシャルブログ『居愛道』Powered by Ameba-竹島関連地図



さらに1898年から99年にかけて対韓帝国学部編集局という韓国の公的機関が『大韓興地図』『大韓全図』という地図を刊行します。

ここでも朝鮮の東限は東経百三十度と記されている。

これは鬱陵島の経度で、いまの竹島(独島)は百三十一度五十五分です。

そして翌年、勅令が出るわけですから、明らかに当時の韓国は自国の東限を鬱陵島と考えており、「竹島」「石島」などは竹嶼、観音島などの周辺の岩礁のうち比較的大きなものを指していると考えるのが妥当です。

韓国はダレスに済州島、巨文島、鬱陵島のほかに独島と波浪島を加えてくれるよう要請します。

しかし、調査の結果、ダレスは韓国政府に書簡をもって、


「我々の情報によればリアンクール岩(現在の竹島、独島)が朝鮮の領土として扱われたことは一度もない」と要請を却下したのです。


波浪島に至っては存在を確認することさえ出来なかった。

ですからサンフランシスコ講和条約第二条(a)項は

あきらかに竹島を日本の領土として認めたものです。



櫻井よし子氏 平成17年度8月号 「文藝春秋」より