サンデー毎日のロッキー青木連載も12回目――。

 

 ロッキー青木は米国の株式市場に自ら創業した会社の株式上場を果たした最初の日本人として、ニューヨークのウォール街にその名を轟(とどろ)かせた。それが全米に鉄板焼きレストランチェーンを展開した「ベニハナ・オブ・トーキョー」である。ただし、ベニハナがそこに至るまでには、さまざまなビジネスの挫折もあった。ロッキーにとって最大の失敗が、カジノ計画だ。

 1970(昭和45)年代に入ると、米国は不動産や金融の不況に見舞われた。ビジネスにおける中核都市であるニューヨークから波及した景気の落ち込みは、大西洋に面した東海岸のリゾート地、ニュージャージー州のアトランティックシティーに波及する。

 海沿いのリゾート地であるアトランティックシティーには、古くからホテルが林立し、ニューヨークの富裕層が夏季休暇を楽しんだ。そのホテルが老朽化したうえ、米国の不動産不況が追い打ちをかけた。ホテルは客足が遠のき、文字通り閑古鳥が鳴く。街はゴーストタウンと化し、ニュージャージー州は、財政が破綻寸前の赤字に陥った。その起死回生策として州の打ち出した打開策が、カジノ誘致だったのである。(以下略)