それは人生を彩るサイド側の話。
ここ最近、
「…人生とは…」と、マジメに人間としての老後を考えているヒラウジです。
いや、そもそもこういう事は20代のうちに決めるべき事なんだけど。
一応考えてはいた。
だけど、あの頃はずっと目指していたプロダクションに所属するプロの役者になる事しか頭になかったものだから、
それが叶わなかった後は、
これといった夢や目標が見つからないままズルズルと過ごしていた。
ここ数年間は、ただただ流されて生きていた気がする。
あとは
何となく生きて
何となく歳をとって
何となく終わる人生なんだと思っていた。
何をやってもあと一歩。
「特技」などは、ただの「自称」だ。
全て中途半端のなりそこないで、結局“ただの器用貧乏”である事がコンプレックスだった。
それでも
劣等生である事が当たり前だった自分なので、ほめてもらえる事は、やはり素直に嬉しい。
だけど、それがどうしても自分の中で“喜び”(嬉しさとは似て非なるもの)や“自信”には結びつかずにいた。
いつしか「自信を持ちたい」という気持ちは、
「生きたい」と思うのと同じくらい“本能”に近い部分にずっとこびりついていたのかもしれないな。
自分にとっての『自信』とは一体何なのだろう。
何を以って「自信」とするのか・できるのかは、
人によって違うと思う。
“白か黒”ならラクなんだろうけどね。
オセロみたいにわかりやすく目に見えて、例えば白を全て黒に返せたのなら、
それがきっと自信や安心に繋がるのだろうな。
でも人生は違って
白に近いグレーがあったり、マーブル模様であったり、黒とみせかけた白であったり…
一筋縄では表現できないもの。
これは人間関係であったり、社会の仕組みであったり、何でもそうだけど。
自信も、感情の個性的な部分で実に曖昧なものの一つなんだろうなあ。
どうして自分に自信が持てないのか自己分析してみた。
自分にとっての自信の“正体”は何なのか。
うーん…
それはもしかすると
中途半端ではない自分
なりそこないではない自分
器用貧乏ではない自分
なのかもしれない。
逆に考えると。
ならば、
もう一度
何かに賭けてみようと思った。
年齢を理由に無理だの限界だのとはあまり言いたくはないんだけど…
ハート以外の、
時間や懐具合という夢もへったくれもない“現実”という名の大人の事情もあるので、そう何度も多くの事に挑み続けてばかりもいられない世の常。
大きな人生の転機をそう何度も設定できる余裕はもうないので、
きっとこれが最後だと思う。
己の残りの人生の全てを
そこに賭けるつもりで、
プロと呼ばれる職人を目指して頑張ろうと思います。
いつか器用貧乏な部分も、自分の自信や武器とできるようにしたい。
それから
今年からは自分のした努力に対して、もう少し素直に認めてやる事にしようと思う。
ダメな部分はダメで本当に一杯あるけれど、
頑張ってきた事や続けてきた事は少しくらいは評価しなきゃ、
今までの自分のやってきた事を全て否定する事になるものね。
今まで自分自身とあまり向き合おうとせず、
逃げるというか…見ないフリをしていた事も多い。
他のせいにしたり、都合の良い風に考えて自分自身をごまかしていた気がする。
それでも自分って甘いんだよな~と思うし、
そう思ってるうちは、やっぱり自分を何かと甘やかしていて、一向に直らないんだろうけど(苦笑)
でも、今年は自分ともう少し真っすぐ向き合っていきたいと思う。
長くなったけれど、
それが今年の抱負。
きっと大変で苦しいだろうけれど、気持ちはワクモリしてる。
何となく生きられる事も幸せな事なのに…本当にバカな自分だと思う。
でもそんな自分のどうしようもなくバカなところ、嫌いじゃないよ。困ったもんだね。
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