~~奈良・當麻寺にての写仏(続き)~~
しばらく線をなぞっていくと、ふと思いました。
一つ一つの線をなぞるのは、毎日を過ごしていくことによく似ているなって。
小さな線は書きやすい、けどたまに力の入れ具合などで微妙に崩れたりもする
けどそんなに気にならない線になり納まっている
それが何気ない日々の生活に似ているなって…
大きな線や、長い線 仏様の顔のパーツなど
特に注意を払って書く線は
人生の中ででの1つの節目の様な線
だから書く前に深呼吸をし、間をあけて
丁寧に書きあげていく
重要な部分の線だから、後で見ても分かりやすく
筆がうまくいっている部分や乱れている部分がはっきりする
そんな思いを持ちながら丁寧に線をなぞっていきました。
書き始めてから2時間…
ようやく仏様が書けました。
細かく見ていくと
うまくいった線やそうでない線
失敗が目立った線があるけれど
けど全体としたら仏様が写仏されているには
ちがいありません
人生大なり小なり躓いたとしても
人生が完結した時には、全てひっくるめて
この写仏の様に出来上がってるんですよね。
だから人それぞれの写仏ができる
人生においてもそう思えました。
写仏は誰かと絵の優劣を競うものではない
完成させることこそ大切だと、説明でもありました。
人生も人と優劣を比べるものではなく
どれだけ自分らしく生きれた証を残すのかが
大切な様な気がしました。
写仏に慣れてうまくなったとしても、自分なりに
良いところ悪いところは分かる訳で
だからこそ、切磋琢磨していいものを書けるように
していかないといけないんでしょうね。
写仏をしながらそういう思いに浸り
線を噛み締めながら、なぞって行きました。
上に書いたことは写仏に対する僕なりの勝手な解釈なのですけど
他の人は別の解釈や全く違う解釈をされるのかもしれません。
けど自分なりに感じたことっては、それを気付かせる修行でもあって
現世でも自分を磨く一歩になる…
それが写仏の教えなのかもしれませんね。
2時間殆ど休憩なしで正座して書いたんですけど
全然疲れなくて、書き終わったらすっきりしてました。
写仏って簡単な修行だけれども奥が深い…
そう感じられる体験でした。