5月15日の神事の後日、17日の神殿です。「黒いさざれ石」を授かりました。その重さに神示がありました。
17日の重さは1,19キロでした。
左から
1=神
19=救世主
神が救世主と伝えています。人間は救世主ではないという事です。
右から
91(くっぴん)=最強の親
1=神
最強の親は神と伝えています。
19(救世主)は91(最強の親)です。本来人間は皆、神の子供です。親にはなれません。神にはなれないという事です。
18日の重さは1、18キロでした。不思議ですが事実です。
左から
1=王
18=666=弥勒=復活
世界の王は復活したダビデーソロモンの王統と伝えています。
右から
81=日本
1=盟主
日本が世界の盟主と伝えています。
沖永良部島へ
神殿の住所を見てください。・・・・・・・「和泊町喜美留1639」と表示されています。もちろん神示です。ここは徳之島伊仙町の阿権ですから。この神殿の神は
和泊で(平和を保ち)
喜びと美しさを留める神と伝えています。
1639
16=全世界が
39=(サンキュー)を捧げる神とも伝えています。
和泊町喜美留地区に「笠石海浜公園」がある事が画像から分かります。なんと、2020年の七夕にそこで「縄文の祭り」がなされていました。主催した方は永良部出身で都会で活躍している女性でした。「1639の神」は「縄文の神」と伝えられたと思います。
沖永良部島です。平らな島です。標高の最も高い山は「大山」で、約240m、厳密には239,9mとネットにあります。神聖な数字です。
「夷」の意味は「たいら」です。地形の特徴から永良部島は『夷洲』と表現できます。「洲」は島の意です。夷洲=平らな島=沖永良部島です。
『奄美の伝説』で紹介されています。著者は島尾敏夫・島尾ミホ・田畑英勝です。
「大山津見」の神の島です、沖永良部は。その娘は天孫邇邇芸命の妃、コノハナサクヤヒメとイワナガヒメです。神聖な島です。
沖永良部島は平らな島=夷洲=大山津見の神の島=此の花開耶姫の故郷です。
徐福東渡
この史料は徐福の東渡を伝えています。学者たちは誰も、「夷洲」を沖永良部島と気付いていません。夷洲を「台湾」と考えています。「会稽の海外の東てい人」から考えてその地域は会稽の東と考えるのが自然です。それは奄美群島になります。「せん洲」と「夷洲」は奄美群島の中の島と考えられます。
上の史料、文脈から「せん洲」に徐福たちが留まったと分かります。
「徐福像」とわたしは伝えています。伊仙町の文化財です。現在は公に見る事は出来ません。この像の発見をきっかけに徳之島が徐福たちが向かい、最初に上陸した島である事を明らかにしています。史料の表記から「せん洲」と「夷洲」は隣り合う島と分かります。「徳之島」と「沖永良部島」です。
「東てい人」の「てい」の意は「おおなまず」です。どんな魚であるか、学者たちは分からないようですが、わたしは「大瀬ざめ」と直観しました。
髭のようなものが、ナマズを連想させます。
伊仙町面縄の漁港で上がった事があります。
ナマズの体長は約60㎝、大瀬ざめは約100㎝とネットにあります。大瀬ざめ=おおなまずと考えられます。
せん洲=徳之島です。
夷洲=沖永良部島、せん洲=徳之島は共に神聖な神の島です。神の代が来るまで隠されて来ました。
東冶と東治
「会稽東治」と「会稽東冶」について邪馬台国研究者が検証しています。「東治」が正しいとの結論が出ています。「夷洲」を台湾と考えた学者たちは会稽東冶で考えているはずです。「東冶」は福建省にある地名です。その東で「台湾」になったと思われます。
本題
「秦王国」は日本の歴史書には出て来ません。倭国の都邪馬台国も日本の歴史資料には出て来ません。ここでいう「秦王国」は福岡の東部ー大分の北西地域です。昔の「豊」国です。秦氏は秦の始皇帝の子孫、またイスラエルはダビデの子孫と伝えられています。その秦氏が『夷洲』から来ていると伝えています。中国→夷洲→九州の豊国と伝えています。秦氏はダビデ一族、ダビデ王家の側近です。女王ヒミコはダビデ王家です。王はダビデの血筋から出ます。中国から蓬莱ヶ島=せん洲(徳之島)とその隣の島、夷洲に来たのは徐福一団です。徐福はイスラエルのヨセフの家と先に伝えています。始皇帝はダビデ王の子孫です。秦氏はダビデ一族です。始皇帝の子孫と共に徐福一団に「秦氏」はいます。応神朝に朝鮮半島から渡来した秦氏とは別の集団です。徐福東渡の目的はダビデ王国の建設です。
秦王国の「王」とは誰?秦王国=豊国から分かります。女王ヒミコの後継者、壱与=台与=ㇳヨです。倭国は都を邪馬台国=徳之島からㇳヨ女王の時、九州は豊国に遷都しています。それを伝えるのが「秦王国」です。秦王国=豊国=京都(みやこ)郡です。「馬が岳城」はㇳヨ女王の皇居であったと思われます。その跡継ぎは万世一系の皇統、清和源氏嫡流です。したがって清和源氏の始祖源経基の築城とされていると思います。
豊女王の時の倭国の都の辺りを伝えています。「阿蘇山あり」と記されています。日本は神の国です。神は隠れる神です。隠す神です。「神示」の助けが無ければ真実の歴史の解明は不可能と思います。「神示」は真の天子に来ます。
真の天子
わたし24歳の時です。真のユダヤ人は日本人です。「徐福」はヨセフの家の子孫です。藤原家はアロンの子孫です。真の天皇家は万世一系のダビデ王家です。救世主イエスは日本人です。変な事にイエスの肖像画は白人になっています。とんでもない間違いです。日本人の顔を素にしてイエスの肖像画を描く事をおすすめします。
わたしのこの写真を素にしてイエスの肖像画を描く事を許可します。このままではいけません。わたしはイエスではなくダビデですから。ダビデは母なる神イエスの御子ですから似てはいるはずです。白人のイエスの肖像画に「否」を宣します。
万世一系の天皇=鳳凰
893侠客天子ダビデ」