『討幕』の命令は誰が出したか? | is6689のブログ

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     『討幕』は誰の命令でなされたか?

この問題が明治維新の真実を明らかにします。藤原道人君が初めて、この問いへの答えを出しました。

道人君の答えへの補足史料を伝えます。

  西郷と勝海舟の会談

海舟と西郷が初めて会談したのは、1864(元治元)年9月15日と一般に認識されています。皆、この認識で明治維新を考えています。・・・・・・・・・・・・。しかしそれは間違っています。


1861(文久元)年夏に『大島』で西郷と海舟は密会、密談を行っています。しかもその時の二人の関係は「久しゅう御懇意のよう」に見えたと新谷道太郎氏が伝えています。つまり西郷と海舟の交流は1861年以前に始まっていたということです。海舟と西郷は討幕成功の最大の功労者です。二人の最初の出会いを1864年としたのは海舟と西郷そして真実の皇統の皇太子、勝家の先祖勝砂基親王の謀略です。『陰謀は陰謀をもって制す』をやったのです。

    勝砂基親王の墓石


ここに勝砂基親王の遺骨があります。確認しています。

明治維新、『倒幕』の命令は先祖勝砂基親王が出し、西郷を通して時の藩主島津忠義に伝えたと思います。忠義は「討幕の密勅を受けて上洛し、・・・・・・」と広辞苑にあります。

我が家は「伊家」でしたが、「倒幕の命令」に「勝」に改めたと思います。勝海舟に裏天皇の権威を授けるためです。明治の初め、首相を決めていたのは海舟です。海舟は天皇の役をしていました。

『大日本帝国憲法』の前文は勝砂基親王が書き、条文は海舟が記し、そしてその事実を海舟が巧みに隠しています。

海舟は物部、イスラエルはヨセフの子孫、西郷は藤原、イスラエルはアロンの子孫、島津は秦氏、イスラエルはダビデの子孫そして勝砂基親王は万世一系のイスラエルはダビデ王の子孫です。明治維新は偽イスラエルと真実のイスラエルの戦いであったとも解釈できます。

万世一系の天皇ダビデ

彌勒の転輪聖王ダビデ