救世主世界君臨、八咫鏡の真実 | is6689のブログ

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天皇家の八咫鏡

4月6日16時13分

拡大して鏡の中を見てください。青色で王妃ティティの姿が現れています。鏡の後ろが光っています。不思議です。これは鏡からの光としか考えられません。わたしは「八咫鏡は光を放っている」と先に伝えています。    

  神の火

3月24日17時28分

神の火は八咫鏡から来ていました!鏡は神の鏡です。『鏡よ、出てください!鏡を出してください!』と熱心に祈った直後に撮った写真です。

  天子の家の八咫鏡は

1873年の癸酉歳(明治4年)に伊家墓地の神宮から3058番地の正八幡神社に移されていました。神鏡を護るためです。その当時鏡が狙われていたようです。曾祖父砂富の父砂富(親子同名)が密かに行っていました。砂富は伊仙伊家を離れ犬田布の八重竿、一族の家に隠れました。「与人ばれ系譜」から分かりました。草薙剣は神宮とは別の墓石に隠し、伊家=真実の天皇家を砂富は封印しました。

昭和36年9月23日正八幡社は1655番地に移り『義名山神社』となりました。以来、神鏡はこの地にあります。

ここは、1813年の癸酉歳以前までは神鏡を祭祀する建造物『御前堂』のあった地です。最初の堂の建立は源為朝によります。「師玉家系図」からの判断です。昭和36年天子の家の鏡は御前堂の地に還りました。


神鏡の大きさは「直径20㎝」と宮司岡本さんから聞きました。墓地の神宮に鏡が隠されていた跡があります。先に出している画像ですが、上の写真を見てください。正方形の中央部に見える白い部分がそれです。鏡からのエネルギーでこうなったと考えられます。直径20㎝の鏡が下にあったと考えられます。下が空洞になっている事は先に写真で伝えています。厳密には半球状の空洞です。

4月4日でしたか、「鏡」と「神の火」は何か関係があるのではと思い岡本宮司を尋ねました。宮司も驚くだけで分からないとの事でした。神社の鏡については宮司から正八幡社の時からあったが「由来は不詳」と聞きました。また神社の御神体は『剣』と伺いました。剣をご神体とする社に由来不詳の鏡です。

   訂正

わたしは「墓地の神宮に天皇家の鏡は隠されてある」と先に伝えましたが、調べた結果、「過去に鏡は神宮にあった」と訂正します。癸酉歳1813年から癸酉歳1873年までです。わたしは癸酉歳に八咫鏡は移されているという歴史を先に伝えながら、・・・・・・・・自己矛盾をおかしていました。しかし癸酉の日(4月6日)に鏡の真実を知る事ができました。神様のお導きのおかげです。認識上、天皇家の八咫鏡はユダヤ暦の1月1日に出ました。

母から「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と教えられました。わたしは「間違いを改めるは一時の恥、改めざるは永遠の恥」と教えます。

  『天子』のしるし

「皇位」に着くという事は『天子』の地位に着くという事です。この当たり前のことを一般は自覚してないように思います。天子は神の子、子どもという事を現実的に考えてないと思われます。わたしは今現在63歳ですが、わたしが皇位に着くという事はわたしは神の前に子どもとして振る舞うという事になります。神の前に子どもとして振る舞うというしるしの御物が三種の神器です。三種の神器をこのように考えているのでしょうか、皆さん。

  天叢雲剣


柄の部分の大きさは「子供」にしか握れないサイズです。

大人の握りのサイズ

直径20㎝の八咫鏡は天子の鏡です。

学者たちは八咫鏡の大きさについてその直径を「46,5㎝」等と言っています。学者は霊的事については「何も知らない」です。皆ゼロです。零点です。学者の説は皆、零(レイ)と知って真実に基づく和(ワ)の智が現れます。真実は世界に和をもたらします。

ちなみに八咫=八尺=30,303030・・・・・・・・×8=242,42424・・・・・・・・・です。これを数霊「24」で考えて、「八咫」は「永遠の神」を伝えていると分かります。したがって八咫鏡とは『神の鏡』という意味であり、「大きい鏡」という意味ではありません。天子と大きい鏡は矛盾です。

   学者の根本的間違い

「鏡」について学者たちは天照大神様を岩屋から誘い出した鏡と天子が降臨の際に天照大神様から授かった鏡を同じ御物と考えているようですが、それが根本的間違いです。天(あま)の鏡と天子の鏡の二種類の神鏡があります。そこから鏡の素材に関する真実が明らかにされます。「あま」とは島言葉で「母」です。天(あま)の鏡=母の鏡です。母の鏡と子の鏡を分けて考えるのは自然です。天の鏡は「高天原」にあるとわたしは見ています。 

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