救世主世界君臨、神の家天皇家を伝えるライン | is6689のブログ

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       知ら示す天皇

天皇家の始祖正勝吾勝勝速日天忍穂耳命は、母天照皇大神様から「葦原中国を知らしめせ」との命令を受けています。『古事記』の「邇邇芸命」の最初にあります。

「命令文」で尊敬語は使いません。母が子に命令するのに尊敬語を使う事は秩序を壊します。上司が部下に命令する際に尊敬語は使いません。よって、「知らしめす」の意味は「知らせる」・「示す」です。アホ学者は文脈を無視して「お治めなさる」と間違った事を伝えています。天皇の任務を間違って伝えています。天皇制を正しく伝えていません。

世間一般は隠されている事を知る事は出来ません。神が隠した事は人が知る事は不可能です。天皇の正統は平安時代、神により隠されました。清和源氏に隠されました。その事実は以下の史料に示されています。 

清和源氏の始祖とされている経基の生年月日は一般に知られていません。しかしこの系図には「寛平五年六月十日」と記されています。また死没の表記に「薨」の文字を使っています。薨は「親王」の位を示しています。

賢い人はこれだけの表記から、経基王は実は陽成天皇の嫡皇子元平親王であると推理するはずです。さらに親王の証拠の御物がこの系譜にある、無ければならないと推定するはずです。証拠の御物とは草薙剣と八咫鏡と勾玉です。

陽成天皇は第57代の帝です。第58代の帝は陽成天皇の祖父(文徳天皇)の弟、光孝帝です。そして59代は光孝天皇の第7の御子、源定省です。ここで賢い人は第59代以降の帝は「源氏」と判断できるはずです。天皇の正統はここで隠されたと理解できるはずです。この理解で歴史を見直すと………神の国日本がその歴史から分かります。

「永万元年」とは西暦1165年です。世間一般の知る所はこの年、為朝は伊豆大島に居て伊豆の七島を支配してそしてその4年後に為朝は自害したと。ところがこの史料ではその年為朝親王は沖縄に出かけ子供をつくり、しばらくして日本に『帰朝』したと伝えています。

先にわたしは古事記の倭建命の所で『神の朝廷』の事を伝えました。神の朝廷があるから日本は神の国と伝えました。神の朝廷とは父を象徴する草薙剣を持つ皇子が母を象徴する八咫鏡をいつきまつる事、また神の家族会議と伝えました。為朝が帰朝した日本とは、それで鏡がつくられた堅石の採れる「高天原」です。わたしは高天原は伊仙町と伝えています。

鏡は伊仙町の『御前堂』に1813年までありました。その地名がそう伝えています。天照皇大御神様の『御前』を拝するように鏡を拝しなさいと大神様は命令しています。八咫鏡を置いてあった聖所が『堂』です。詳細は別途に。為朝親王は神の朝廷を伊仙町御前堂で拝していました。今、親王の子孫は多く伊仙町に居ます。「与人ばれ系譜」です。その本家は伊家でしたが、隠されていました。

1815年癸酉歳に八咫鏡は伊家墓所の神宮の箱に納められ封印されました。 

舜天王家、実は真実の天皇家が徳之島に上り密かに隠れ住んだ事を伝える記述です。為朝の御子舜天は嫡子の証しとして草薙剣だけを授かっていたと推理できます。その子孫が密かに徳之島に入ったのは鏡がそこにあったからと考えられます。


八咫鏡は神宮のこの箱の中にあります。勾玉は「子」の象徴ですから本物がいくつあっても構いません。ここにもある可能性はあります。

         聖51度伊霊ライン

2015年11月17日

この時初めて、地図にラインを引きました。自分の住んでいる伊仙と妻の故郷である秋田は羽後町でラインをとりました。ラインが京都や立山の近くを通る事に驚き、これは天皇皇后ラインではと思いました。以来地図にラインをとって考えるようになりました。 

二本の伊霊ライン

最初伊仙と伊勢の直線上に「伊」の付く地名がある事に驚き「伊霊ライン」と名付けました。このラインンはその傾きが「47度」である事を最近、朋友長崎順二君が明らかにしました。わたしは去年の10月に始まるエデンの園についての知らせの導きから、秩父―日光で神の家族の事が「23(子)」と「24(親)」の数霊で山の標高から伝えられている事を明らかにしました。23+24=47です。47度の伊霊ラインは神の家族を伝えるラインです。

藤原道人君は「伊仙」と「伊吹山」でできるライン上にも「伊」の地名が多くみられることを発見して二本目の「伊霊ライン」の存在を明らかにしました。その傾きの角度は順二君が『51度』と明らかにしました。このラインの伝えている事は、・・・・・・・・今日のメインの知らせです。  

伊吹山から51度の傾きは三上山を通ります。伊仙ー三上ー伊吹ラインとも伝えることができます。

このラインの近くに北緯34度33分の羽曳野市があります。河内源氏の拠点であり、倭建命の御陵、実在した初代天皇応神天皇の御陵のある事で知られています。河内源氏は清和源氏の嫡流、つまり真実の皇統です。羽曳野市は万世一系の天皇家の拠点でした。という事はそこに「八咫鏡」があったという事になります。この地を拠点としたのは頼信公です。1033年癸酉歳、公が鏡をこの地に多田から移しています。

わたしは先に満仲親王が1033-60=973年に、鏡を伊勢神宮から多田へ移したと伝えましたが、よく考えて、鏡は常に万世一系の天皇家と共にあるのが真実と気づき、神宮から鏡を出したのは973-60=913年癸酉歳に皇位を降りていた陽成院が神宮から出したと改めました。ここの出来事をより詳細に調べると、陽成院ではなく院の母高子(たかいこ)の可能性があります。藤原道人君の指摘です。わたしもその可能性を認めます。しかしここでは鏡は万世一系の天皇家にあるという真実の確認と神は時の神ですから、鏡を移すにも時があると考え、その時が「癸酉歳」であると伝えます。

  34の数霊

「34」の数霊について以前から考えていました。聖書「創世記」の33章でモーセと顔と顔を合わせて語った神とモーセに背中しか見せなかった神の二柱の神が伝えられています。母なる神と父なる神です。そして34章6節で「主、主・・・・」で一つの神として伝えられています。わたしはこの事実から「33」と「34」は一緒に大切ではないかと考えていました。33=母キリストです。羽曳野市の緯度が34度33分から、34は天皇、即ち母キリストの初子または神の家の嫡子を伝える数字と閃きました。傾きの数霊「51」は免古世(聖霊により新生した神の子たち)を伝えていますが、34は免古世の姉の「真牛」を伝える数字と考えました。羽曳野市の緯度34度33分は天皇の正統を伝えています。それは51の伊霊ラインの近くです。

わたしの名、信貴の「信貴山」と「橿原」と「羽曳野」が伊霊ラインと平行に並んでいるように見えます。

伊吹から北東方向の伊霊ラインです。「立山」があります。

立山の中心の山と伝えていいと思う『大汝山(3015m)』の緯度にびっくりしました。36度34分33秒です。ミロク・天皇・母キリストを伝える数霊です。大汝山のすぐ下に『雄山(3003m)』があります。男性の山です。という事は大汝山は女性となります。


雄山の下に『龍王岳(2872m)があります。龍王=天皇です。大汝山・雄山・龍王岳で母なる神・父なる神・皇子ダビデ天皇の三位一体を伝えています。

わたしは最初、三位一体の山の北西にある『奥大日岳』の標高「2611」からこのラインは「聖霊の王」を伝えていると思いました。26=ZION、11=KINGです。シオンの王=大日の奥義です。

世間では「富士ノ折立」と大汝山・雄山を三山と捉えています。

  我と汝

哲学者マルチン・ブ―バの著書に『我と汝』があります。若い頃に読みました。「我にとって常に汝であって『それ』にならないもの即ち永遠の汝こそ神に他ならない」と伝えています。立山の大汝山は永遠の汝、母キリストです。その事実をN36度34分33秒で伝えています。神聖なその山はエデンは伊仙からの霊ラインにあります。

51度の霊ライン奄美大島に注目してください。今日ここで地震が3回起きています。また、我々の異母兄弟(田畑家)の住む龍郷町がそのライン上にあります。沖縄では為朝親王がその地の女性と結婚して嫡皇子舜天をもうけた浦添市がそのラインにあります。わたしがこのラインについて最初に直感した「天皇皇后ライン」は正しかったようです。

藤原道人君が発見し、その傾きを51度と長崎順二君が明らかにしたこの伊霊ラインは、・・・・・・・・・言葉を失います。日本は間違いなく神の手による神国です。

万世一系の天皇ダビデ

彌勒の転輪聖王ダビデ



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